山乃辺 時久

時空を駆けるトラベラーです。使用ビークルは250cc以下のモーターサイクル2車種。日本…

山乃辺 時久

時空を駆けるトラベラーです。使用ビークルは250cc以下のモーターサイクル2車種。日本列島の起伏を体感しながら、フィールド・ワークし続けたい… 〈既訪問地=★本州・四国全域 ★離島11島 ★鹿児島→長崎 ★門司→博多〉

マガジン

  • 中条遺跡 土偶A

    愛知県刈谷市重原本町の中条遺跡から出土した土偶Aを基本にして巡った周囲の環境を紹介しています。

  • 本刈谷貝塚 土偶

    愛知県刈谷市天王町の本刈谷貝塚から出土した土偶を基本にして巡った周囲の環境を紹介しています。

  • 私のシンクロニシティー

    シンクロニシティーを感じることのよくある私の実体験です。

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伊川津貝塚 有髯土偶 1:荒ぶる文

愛知県内の個人的な土偶調査は豊田市で終了と思い、すでに岐阜県にも手を広げ始めたところ、愛知県内の田原市でも土偶が出土している情報にぶつかったため、田原市を巡ることにしました。田原市から出土した土偶で頭部、あるいは体部がほぼ完全な土偶で開示されている土偶は「有髯土偶(ゆうぜんどぐう)」と呼ばれている土偶1点のみのようです。ただし、愛知県内で展示されている、その有髯土偶はレプリカで、実物は東京大学に収蔵されています。 昨年の9月下旬、有髯土偶の展示されているという田原市渥美郷土

    • 伊川津貝塚 有髯土偶 8:足を踏み鳴らす青面神

      愛知県西尾市吉良町の秋葉神社から、さらに矢崎川の左岸(東岸)の堤防上を北上すると、100m以内で国道247号線にぶつかりましたが、そこから北は一方通行で北上できませんでしたので、北上できる右岸(西岸)に渡りました。247号線から矢崎川堤防上の道を480m近く北上していると、左手の堤防脇に剪定されたされたマキに囲まれた瓦葺で黒い堂のような建物の前に出ました。 その建物は矢崎川の堤防上の道路が狭いことから、安全に参拝できるように堤防を背にして南西向きに設置されていた。 その建物

      • 伊川津貝塚 有髯土偶 7:新羅王倭人説

        愛知県西尾市吉良町の岩谷山第1号墳のある吉良饗庭(きらあいば)塩の里から県道316号線で、すでに直前の記事で紹介した幡頭神社(はずじんじゃ)を経由して、同じ吉良町の蛇穴に向かうため、再び316号線で海岸通に戻り、そのまま600mあまり西に向い、矢崎川の左岸(東岸)の堤防上を北上することにしました。この堤防上の道は幅が5mほどのコンクリート舗装で走りやすい道路でした。 矢崎川の左岸に入り、北上していると途中、堤防沿いに地蔵堂のある場所を通り抜け、名鉄蒲郡線(がまごおりせん)の

        • 伊川津貝塚 有髯土偶 6:塩の里の円墳

          「有髯土偶 5」の記事で経緯を説明したように、愛知県西尾市吉良町の蛭子社(えびすしゃ)から同じ吉良町にある吉良饗庭(きらあいば)塩の里に向かいました。吉良饗庭塩の里には岩谷山(いやだにやま)第1号墳が移築されているからです。 海岸通の蛭子社の北240mあまりに位置する吉良町若宮西の堤防上の遠景から蛭子社の杜全景を撮影した時、 その堤防上から三河湾の波打ち際のある狭い砂浜に降りてみた。 砂浜がある場所を通りかかった時には必ずその海岸で、波に洗われてスリガラス状になったガラ

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        伊川津貝塚 有髯土偶 1:荒ぶる文

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        • 中条遺跡 土偶A
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        • 本刈谷貝塚 土偶
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          2本

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          伊川津貝塚 有髯土偶 5:ハタガシラ→ハズ

          愛知県西尾市吉良町の蛭子社(えびすしゃ)から次の目的地である塩の里に向かうため、海岸道路を北西に向かいましたが、この時、蛭子社から海岸道路を挟んだ向かい側に幡頭神社(はずじんじゃ)の社号標があることには気づいていませんでした。幡頭神社の本殿がレイラインの基本にしてある中心線から250m以内にあると思っていなかったので、この時は幡頭神社のことは取り上げる予定ではなかったのです。 その社号標は石造で、蛭子社の北側の、海岸道路が90度(下記写真は広角レンズのため、ヘアピンカーブに

          伊川津貝塚 有髯土偶 5:ハタガシラ→ハズ

          伊川津貝塚 有髯土偶 4:海岸に寄り付いたモノ

          10月の中旬、渥美半島から北に延びる伊川津貝塚と本刈谷貝塚を結ぶレイラインが西尾市に上陸する愛知県西尾市吉良町に向かい、そこから北に辿ることにしました。吉良町にやって来ると、山鼻(やまはな)の海岸線から海に突きだしている森が見えました。レイラインはその突き出した森の海上140mあたりを通過して、山鼻に上陸しています。その森には蛭子社(えびすしゃ)が祀られているので、蛭子社に向かうことにしました 吉良町の号線表記の無い海岸道路を南下する途中、若宮西に蛭子社を見通せるプレーンで

          伊川津貝塚 有髯土偶 4:海岸に寄り付いたモノ

          伊川津貝塚 有髯土偶 3:巨石・池・箱船

          愛知県田原市伊川津町の伊川津貝塚と本刈谷貝塚(もとかりやかいづか)を結ぶレイラインを南から北に辿ることにしました。まずは辿れる最南端である「New Japan Beach」と名付けられた太平洋岸に向かいました。渥美半島の数少ない丘陵を伊川津貝塚のある北側から南に超えて国道42号線に出て東に向かい、若見交差点からNew Japan Beachに向かう唯一の通路に入ることができます。その通路は最初に住宅街を通り抜けると、海岸に向かって降りはじめ、両側は森に変わりますが、その森を抜

          伊川津貝塚 有髯土偶 3:巨石・池・箱船

          伊川津貝塚 有髯土偶 2:両岸の猿田彦神

          愛知県田原市伊川津町の伊川津神明社の西向きの社頭に戻り、石鳥居をくぐって、表参道に入りました。 まずは本殿の天照大御神にご挨拶だ。 表参道に入ると、境内には全面に白っぽくて細かな砂利が敷き詰められていた。 一ノ鳥居の10mほど先には一ノ鳥居と同じ石造伊勢鳥居の二ノ鳥居が設置されており、参道は両側の社叢によって心地いい陽影になっていた。 参道の突き当たりには4段の石段が設けてあり、段上に上る形になっている。 二ノ鳥居をくぐり、石段を上がると、コンクリートでたたかれた参道が

          伊川津貝塚 有髯土偶 2:両岸の猿田彦神

          今朝平遺跡 縄文のビーナス FIN:Stand by Me ドルメン

          2012年10月 愛知県豊田市の猿投山(さなげやま)に登った1週間ほど後に御船町(みふねちょう)の御舟石(おふないし)に向かいました。 愛車で御船町 御舟石の真北90m以内の農道まで入って行って農道脇に愛車を駐めた。 徒歩で農道から外れ、南側の森の中を抜けると、少し開けた場所に抜けた。 そこには円形の蟻地獄のような窪みがあって、その中に巨大な石版が据えられており、その端に注連縄の掛かった駒形の板碑が立てられていた。 その背後には高さ15mくらいの土手が立ち上がっていた。

          今朝平遺跡 縄文のビーナス FIN:Stand by Me ドルメン

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 92:巨石な古墳

          愛知県豊田市加納町の藤山一号噴から猿投町(さなげちょう)の池田一号噴に向かいました。 猿投町の池田一号噴は県道6号線猿投東インターチェンジの南80m以内の池田の丘陵上西南端に位置していた。 下記写真は池田の丘陵部を東を南北に通っている県道13号線から撮影したもの。 池田 丘陵の南側を東西に通っている表道路脇に愛車を駐めて、徒歩で北に立ち上がっている丘陵上に向かう山道を登って行った。 丘陵上には草原が開けており、左手(西側)に円墳があり、登ってきた道の正面に南向きに石碑が祀

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 92:巨石な古墳

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 91:Wの石室

          愛知県豊田市猿投山(さなげやま)の御船石を観に行った2012年10月は、その日に同じ猿投地区にある2基の古墳にも寄りました。最初に訪れたのが豊田市加納町の藤山古墳群にある藤山一号噴でした。 県道283号線で南西から猿投山に向かっていると、左手が加納町藤山の丘陵、右手が加納町西股の丘陵も間を283号線が切り通しして通っている場所があった。 さらに進み、右手の丘陵が切れて住宅になると、左手の土手の上に石造物や案内板があるのが目に留まったので、そこに寄っていくことにした。 下記写

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 91:Wの石室

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 90:猿投山の方位石

          愛知県豊田市猿投山(さなげやま)の猿投神社東の宮の表参道を登り口の東海自然歩道に降りて、東海自然歩道を西に460mあまり下り、猿投神社西の宮の社頭(表参道入り口)に到達しました。 西の宮の社頭に到達すると、そこは谷底に位置しており、陽が陰り始めていたことから、体感できていなかったものの、撮影した写真には手ブレがあり、すでに薄暗くなっていたことが写真を見て解った。 石鳥居は東の宮とまったく同じ規格の石造伊勢鳥居。 社号標も「東」が「西」に変わっているのみだ。 異なるのは鳥居

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 90:猿投山の方位石

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 89:マムシとカエル

          愛知県豊田市猿投山(さなげやま)の猿投神社東の宮は案内書によれば、石鳥居の設置された東の宮入り口から900m先とありました。東の宮は猿投神社本社の奥宮の一つに当たります。 猿投神社東の宮の表参道を登り、最後の尾根の上に上がると、北に延びる参道は整地された砂地になって広がり、行く手に石段と社殿が見えた。 参道の左手はここまでも多かった杉林になっているが、右手は崖になっており、参道に沿って縁石が並べられ、崖に沿って巨木の並木になっている。 猿投山では杉以外でここまでの巨木は

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 89:マムシとカエル

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 88:重複する線刻

          愛知県豊田市猿投山(さなげやま)で絶景と言える場所は大岩展望台から眺められる東方向の眺望しかないようです。 大岩展望台の大岩は同じ画面に人でも入れないと、大きさがまったく想像が付かないので、同行した友人に撮影してもらった。 この日は2012年10月だったが、汗っかきの私は、汗だくになっており、タオルは手放せなかった。 大岩展望台の大岩上で北東から南東に向けて複数のカット撮影して、つないだのが下記のパノラマ写真だ。 大岩展望台から本来の登山道に降り、北上すると230m以

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 88:重複する線刻

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 87:猿投山のアリエッティ

          愛知県豊田市猿投山(さなげやま)の登坂路は登るに従って岩が増え、樹木は痩せていきました。 登坂路脇に点在する巨岩はいずれも複数に別れているか、亀裂が入っていた。 地面は湿った樹木のチップで埋まっている状態で、養分はありそうなのに木立は痩せてヒョロヒョロしており、密集しすぎなのか、日当たりが悪いのが原因か。 背景がすぐ空になっていることから、ここが尾根に近い場所であることが分かる。 さらに進むと、別れているものの、そうでなければ、この日見た最大の巨石の前に出た。 元は1

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 87:猿投山のアリエッティ

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 86:帝の登山口

          2012年10月 愛知県豊田市猿投神社(さなげじんじゃ)の社頭脇に愛車を駐めたまま、猿投神社の社地の東側に沿って北に延びる一般道(東海自然歩道)を辿ると、猿投神社の社地に駐車場。猿投神社の北190mあまりの場所には猿投山登山者用駐車場もありました。愛車を取りに戻るのも面倒なので、そのまま猿投山山頂を目指すことにしました。 登山者用駐車場から80mあまりで西側を並行して流れていた籠川(かごがわ)を西側に渡った。 籠川から舗装された緩やかな登り道をさらに進むと、430m以内の右

          今朝平遺跡 縄文のビーナス 86:帝の登山口