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今朝平遺跡 縄文のビーナス 53:王滝渓谷へ

今朝平遺跡(けさだいらいせき)のある豊田市に祀られている弁財天・龍神・水神などの祀られている場所を巡ることにしました。これらのものは土偶のある種のものと共通項があるからです。最初にネットで検索してヒットしたのが、足助川が合流している巴川の下流部分に、やはり合流している仁王川によって形成されている王滝渓谷に存在する王滝町の「弁財天」と「八大龍王宮」でした。王滝町の「王」は仁王川の「王」かもしれませんね。王滝渓谷への下流側の入り口から名古屋グランパスのホームスタジアムである豊田スタジアムまで、直線距離で5.7kmあまりです。

愛知県豊田市王滝町 王滝渓谷
愛知県豊田市王滝町 王滝渓谷 伊保神/弁財天/八大竜王社

巴川の左岸(東岸)に並行して延びている県道39号線は個人的にモーターサイクルで名古屋市内から豊田市足助町に向かう時にいつも利用している幹線道路だった。
真夏でも豊田市の市街地を通り抜け、巴川を東に渡り、39号線に入ると、2、3度気温が下がり、Tシャツ1枚で市街地を通り抜けてきても、上にトレーナーが必要になる。
王滝渓谷の入り口は、そんな県道39号線に面しており、豊田市街や岡崎からやって来た人に見える角度で、豊田市の製作した大きな案内標識が出ている。

愛知県豊田市王滝町 王滝渓谷案内標識

しかし、いよいよ、足助町に向かうために巴川を渡って、ほとんど信号機の無い道を走るために気を入れたばかりなので、王滝渓谷目的の人以外は心理的にここを覗いていくことは稀だろう。
この案内標識の前は南北に延びる39号線と東の王滝渓谷から延びて来て、そのまま巴川を西に渡っている滝穂橋に通じる道とで十字路になっている。
そして、東から流れてきている仁王川は39号線をくぐると、20mあまりで巴川に合流している。
数え切れないほど、王滝渓谷の入り口は通り抜けているので、39号線の周辺の仁王川が深い渓谷になっているのは気になっていた。
しかし、初めて王滝渓谷を覗いたのは2017年8月になってからことだった。

39号線上から下をくぐり抜けている仁王川の上流川を見下ろすと、水路は予想より低い場所を流れていた。

王滝町 仁王川

左岸(上記写真右側)は竹林になっており、王滝渓谷上流に向かう道は竹林の中を通っている。
右岸側には畑地がある。

王滝渓谷案内標識に従ってモーターサイクルで王滝渓谷への道に入って行くと、50m以内の川側に愛知県の製作した『愛知国定公園』の案内書が建てられていた。
この区域内で住宅などの変更、木竹の伐採、土地の形状変更には許可が必要だとある。
その隣には同じく県の建てた『王滝渓谷鳥獣保護区』の案内板があった。

その先の竹林の中から仁王川を見下ろすと、水面は近くなっており、対岸も竹林に変わっていた。

王滝町 仁王川 竹林

この10mほどの竹林を抜けると、左手の仁王川に無名橋が架かっていて、橋の向こう側には道路の両側に住宅が立ち並んでいる。

王滝町 仁王川 無名橋

橋のこちら側の橋のたもとには「王滝渓谷→」という道路標識が立っていて、間違えて橋を渡らないよう、仁王川の上流方向を指していた。

一方、橋の反対側の土手には背の高い常夜灯が1基設置してあった。

王滝町 無名橋脇 常夜灯

それで、仁王川に架かっている橋の先に神社があるのかもしれないと思ったのだが、この記事を書くために地図を見ていたら、常夜灯のある山の上に神明社があることが分かった。

「王滝渓谷→」に従って、さらに上流に向かったが、2017年に来た時には、この先に210m近く入って行くと、住宅街になってしまったので、がっかりして、39号線に戻り、巴川の上流に位置する足助町に向かったのだ。
今回は目的が住宅街の先なので、住宅街の中を通り抜けたのだが、その距離は70mあまりだった。
住宅街を抜けて90m近く進むと、右手の土手に窪みがあり、総素木造のプレーンな建物が現れた。
正面は上流側の東を向いていた。

王滝町 伊保神 社頭

銅板葺切妻造で正面の部屋の入り口に鈴緒なのか鰐口紐なのかが下がっている。
扉は無く、格子窓も素通しだ。
正面には銅板葺の向拝屋根が突き出ている。
建物の前には対になった常夜灯が設置されていた。
上記写真の左端には道路の方を向けた大きな板碑が置かれている。

この板碑を正面から見ると、自然石の上に乗っていて、角丸長方形の凹刻のスペースの中に、さらに「伊保神」と凹刻されていた。

王滝町 伊保神 社号標

境内社なのか社号標なのか。

建物の側面に看板のようなものが掛かっていたので、見に行ってみると、こちら側にも格子窓が二つ並んでいた。

王滝町 伊保神 側面

看板のようなものは墨が滲んでいて、簡単には読み取れなかったが、看板ではなく、由来の墨書きされた板書だった。
社名は「伊保神」となっているので神社であり、板碑は社号標ということになる。
由来は以下のようにある。

万霊を祀りし所にして霊泉湧き出て、古より御神水と称して難病に効あり「イボ」に塗布して霊験あらたかなり

築山村誌より

社内を見てみると、巨石が社内の土間にあった。

王滝町 伊保神 石/水壺

二つの巨石の隙間に6つほどの小中の石が挟まっており、挟まった石の下が水壺になっているようだ。
水壺の巨石の無い方向は複数の石を並べて縁石にしてある。
社内は真っ暗なので、通常はしないストロボ撮影をさせていただいた。

王滝町 伊保神 水壺

水底は暗くて深さは判らない。
現在は水が湧いている様子はないが、上記写真、左側の巨石はかなり湿っており、水が染み出しているようだ。
ここの場所は丘陵の麓に位置し、湧き水が出やすい地形に存在している。
光がほとんど当たらないので、湿った石の表面に生えている植物はコケではなく、シダだろうか。
この水壺の水を塗るとイボが取れるということのようだ。
もともと、現状のまま屋外にあったものを、社殿で覆った神社のようだ。
水壺、もしくは水壺に溜まった水が神体なので、社内に祠の類は見当たらなかった。

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名古屋市内の旧東海道脇の路肩にイボ取り地蔵という石仏が置かれていたのですが、いつしか姿を消してしまいました。イボはウイルスが原因になるのものと、紫外線や老化、体質によるものがあるといいます。この中にH2Oだけで治癒するものが一つあるようです。イボのできる原因になるウイルスは2種類あって、そのうちH2Oだけでは治癒しないヒトパピローマウイルスは100種類以上あるそうです。もう一つ、伝染性軟属腫ウイルスによってできるイボは感染するのですが、これは何もしなくても半年から数年で自然に治癒する事例が多いそうですので、水+プラシーボ効果で治る可能性があるようです。このイボは「水いぼ」と呼ばれるイボで小児に見られるものです。ヒトパピローマウイルスが原因のイボは現在は複数の外科の技術で治療できるそうです。

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