麻生田町大橋遺跡 土偶A 172:消滅したイチイガシ
岡崎市岩戸町の神明社を降りて、県道345号線を平成大橋まで戻り、南に向かいました。
平成大橋から360m以内で乙川に架かった才栗橋に向かう十字路に到達。
その十字路から西を見ると、20mあまり先に才栗橋のコンクリート製の親柱が見えていた。
ここは才栗町だ。
才栗橋は橋幅が4mほどで、歩道は無く、車の通りが多い橋で、橋上から撮影するのは無理だった。
東側の親柱の脇から上流側を撮影したのが、以下の写真だ。
才栗橋の橋長は30mあまりだが、水面幅は20m以内しか無い。
護岸は家屋のある右岸(上記写真左手)だけ、コンクリート、あるいは石垣でされているが、対岸の家屋の無い部分は石が積んであるか、積んだ石に土が被せてあるだけだ。
川床に点在する石は角の取れた、小型のものが多い。
下流側は、才栗橋の親柱の脇からは潅木と家屋の陰に入って見えないので、その家屋を迂回して下流側の岸上から見下ろした。
右岸の足元はコンクリートで護岸され、下にコンクリートでたたかれた河川敷が見えている。
しかし、家屋の無い部分は土手になっている。
対岸(左岸)の堤防は樹木の陰になっていて見えないが、河原の縁には石が積み重なっている。
才栗橋の下流50mあまりまでは川床に巨石が転がっているが、その下流は石が見えない。
地図でチェックすると、才栗橋の左岸から西へ90mあまりの右手に「白髭神社」の表記があるので、そこに向かった。
途中にある十字路から白髭神社までの道路は緩やかな上り坂になっている。
社頭は表道路の北側に面しているのだが、石造の大輪鳥居は東を向いていた。
必然的に表道路から鳥居までの表参道は90度カーブして登りのスロープになっていた。
表参道の表道路に面した左手に「村社 白髭神社」と刻まれた社号標が立てられている。
鳥居の前には3段だが、東向きの石段が設けてある。
社号標脇に愛車を駐めて、表参道に入り、石段を上がり、鳥居をくぐると、数メートル先にさらに6段の石段があり、その石段の奥、20mあまりの場所に石垣と3つ目の石段が見えており、その石段の上に瓦葺の建物が立ち上がっていた。
社頭から見えていた石段は土壇のためのもので、2つ目の石段を上がると、3つ目の石段までは広い平地になっていた。
この平地は白ぽい砂地になっており、人為的なものは平地の端(上記写真の右手)に建てられた2棟の不明の建物と手水鉢(上記写真右手前)があるだけだ。
一方、表参道正面の2mほどの高さの石垣上の瓦葺入母屋造平入の建物は拝殿だった。
拝殿は高木は多くないものの、社叢に包まれている。
3つ目の石段の麓から見上げる拝殿は横幅4間で前面は上部の白壁以外は全面に舞良戸(まいらど)が閉め立てられていた。
拝殿前の石段の麓で参拝した。
『神社名鑑』によれば、祭神と由緒は以下となっている。
寛永14年(1637)3月創建。明治5年(1872)10月12日村社に列せられる。同42年8月27日、以下の9社が本社に合祀された。
才栗町 白髭神社の祭神として猿田彦命と猿田彦命に出会った使いを派遣した天照大御神が合祀されているのは解るのだが、ほかの4柱と5男3女神は繋がりは無くはないのだが、一般的には合祀は意味不明だ。
周辺に祀られていた神社を全部集めてしまったという感じでしかない。
拝殿前から左手(南側)に回ると、銅板葺の幣殿の手前に張られた瑞垣で遮られていたが、本殿は銅板葺流造の建物だった。
拝殿前まで戻り、拝殿の右手(北側)に回ってみた。
こちら側には拝殿脇に常夜灯と石造明神鳥居を持った境内社が祀られていた。
この境内社に関する情報は見当たらないのだが、由緒にある「本社に合祀された9社」というのはこの境内社のことなのだろうか。
拝殿〜本殿の祀られた土壇上から平地に降り、玉垣で囲われ案内板の立てられている巨木を観に向かった。
案内板には以下のようにあった。
イチイガシはカシ類の中では例外的に果実をアク抜きしないで食べることができることで知られている。
そのため、縄文時代から食用とされ、縄文時代早期の貯蔵穴からのイチイガシの発掘例があるという。
その食用に適したイチイガシが、自然種としては消滅してしまった事実が存在する。
『遺跡出土木材から知る日本人と樹木とのつながり』(能城修一)にはイチイガシに関する興味深い以下のような一文がある。
もしかして、栗のように縄文人が果実の品質を上げるために品種改良して、原種が改良種に生存競争で負けてしまったというようなことがあるのだろうか。
白髭神社のイチイガシの幹は根元から北に傾いているのだが、途中から揺り返すようにして南に伸び、十分に上方に伸びたところで、ふたたび揺り返すように北に伸びている。
北側には旧い社殿があるので、それを避けて幹を伸ばしたようにみえる。
このイチイガシには麓に細い注連縄が張られ、根元には現役ではない、旧い皿状の自然石の手水鉢が保存されていた。
イチイガシの根元は苔やシダ類が繁殖しており、新しい幹が発生しているのが見られる。
中には、その幹の直径が10cmほどに成長しているものもあるのだが、その段階ですでにマメヅタや苔が樹皮を覆っているので、大きく育つことはなさそうだ。
このイチイガシは南に向かって太い根が伸びているのだが、そのままだと表参道を遮ると判断されたようで、途中でカットされている部分があった(下記写真右手前)。
カットされた根に空があることから、この空内に何かを祀ったのか、空の前に拝石が敷かれている。
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カシの中では軽くて弾力性のあるイチイガシは縄文時代末期以降、それを使用した鋤や鍬が出土していますが、最近まで、和船の魯材(ろざい)として使用されてきています。
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