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今朝平遺跡 縄文のビーナス 17:大縣主命

愛知県知多郡阿久比町(あぐいちょう)の福住縣神社(ふくすみあがたじんじゃ)の拝所から拝殿の左手に回って本殿を観に行きました。

レイラインKM 福住縣神社
レイラインKM 福住縣神社
福住縣神社/円通寺 興昌寺

幣殿の裏面には瑞垣が巡らされ、その中に本殿としては、もっとも多い銅板葺流造の社が祀られていた。

愛知県知多郡阿久比町 福住縣神社 本殿

ただ、この社を製作した宮大工による社の前側の2本の柱をつなぐ構造材である海老虹梁(えびこうりょう)の龍の浮彫の手の込みようが凄かった。

福住縣神社 本殿 海老虹梁

死角になる海老虹梁の上面以外は完全に龍の浮彫で覆われ、彫面のない平らな部分が存在しなかったほどだ。
この本殿に祀られている大縣主命(オオアガタヌシ)とは尾張国二之宮大縣神社の主祭神大縣大神のことだが、大縣大神については諸説あり、尾張藩の儒者・松平君山の「大縣大神=大荒田命(オオアラタ)」とする説が有力であるとされている。
その大荒田命とは丹羽氏の祖であり、その娘である玉姫命は尾張氏の祖である健稲種命(タケイナダネ)と婚姻を結んでいる。
健稲種命は日本武尊の東征に副将軍として従い、帰路、不慮の事故で死亡したとされている。
日本武尊の妻の一人である宮簀姫(ミヤズヒメ)は実妹であり、息子は応神天皇の大臣になるなど、皇室とも縁が深い家系である。

拝殿の左手にはコンクリートの垣を張った土壇があって、その上にコンクリートでたたかれた場所があって、その上に素木の祠が3棟、石祠が1棟、それに小型の千本鳥居が並んでした。

福住縣神社 境内社群

表札によれば、上記写真右の本殿側から弁財天・不明・津島神社・山神社・不明・稲荷社が並んでいる。

福住縣神社 境内社弁財天

弁財天の存在は周辺に池か密教寺院か水路が存在したことを示しているが、現在の福住縣神社の周辺に池は見当たらず、南側110m辺りに東西に福山川が流れており、南南東140m以内には密教寺院であったと思われる円通寺 興昌寺が存在する。

稲荷社の千本鳥居の前には石段が設けられており、千本鳥居の奥、正面に銅板葺切妻造の社が祀られている。

福住縣神社 境内社稲荷社

社前には瓶子(びんし)などが並んでいるが、土器以外にも何か並んでいる。
千本鳥居は人がくぐれるサイズではないので、千本鳥居を迂回して見に行った。

福住縣神社 境内社稲荷社社前

対になった瓶子と蝋燭立の他は鼠と猪の干支土製品、土鈴、湯吞だった。

拝殿の西側から東側に回ると、こちら側には境内社などは見当たらず、昼顔が花を開いているのみだった。

福住縣神社 昼顔

まずは福山川を観に行った。
福住縣神社南々西180m以内には無名橋1(仮称)が掛かっているので、そこに向かった。
橋上から下流側(西方向)を見下ろすと、ガス管などインフラ関連のパイプが通された奥に県道55号線の通っている福住新橋が見えている。

阿久比町福住東脇 福山川

川幅は10mあまりだが、水面幅は4mもない。
両岸はコンクリートブロックで完全に護岸されている。
福山川の両岸は舗装道路が通っているが、上記写真左側(左岸側)が幹線道路になっている。
左岸側は住宅街になっており、右岸側は畑地が多い。 

一方、上流側を見下ろすと、途中から川床にコンクリートブロックのようなものが敷き詰めてあり、そこに雑草が繁殖している。

阿久比町福住東脇 福山川

水の流れを遅くするための措置だろうか。
上記写真左手(右岸)は広い畑地になっており、マクワウリ畑とヒマワリ畑が見られた。
やはり「菊づくり」の里だ。

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円通寺 興昌寺もレイライン上に存在するので、幹線道路の方を辿って、向かうことにした。

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