麻生田町大橋遺跡 土偶A 26:ゑびすの正体
豊川市の砥鹿神社里宮(とがじんじゃさとみや)拝殿の並び、左手(西隣)にも大きな社殿がありました。
銅板葺入母屋造平入の社殿で、40cmほどの高さの石垣の上に設置されている。
社殿前には大きな由緒書『三河ゑびす社ご由緒』が掲示されていた。
「ご由緒」と言いながら営業トークがメインの宣伝看板なので、必要な部分だけ抜粋して以下に紹介する。
「由緒書」も、二ノ宮、三ノ宮だから下衆にしたのかな。
ヲシテ文献によれば、「コトシロヌシ」(事代主命)は役職のようなもので、オホナムチとタケコの第一子であるヲコヌシ(大国主命=ヱビス)を初代コトシロヌシ、そして二代目大物主としている。
祭神が初代コトシロヌシ(=大国主命)なら、出雲大社と同じ系統の神社ということになるが、それを暗示するように太さはないものの、拝殿の軒下に張られた注連縄は立派な牛蒡注連(ごぼうじめ)だった。
建御名方命も大国主命(初代コトシロヌシ=ヱビス)の兄弟ということになるが、それがこの二柱の神がこの拝殿を共有している理由だ。
参拝するために向拝に上がると、拝殿内正面奥の机上に三本の御幣(ごへい)が立てられ拝殿の外奥に銅板葺の社が2社覗いていた。
向かって左の社がゑびす社、右の社が諏訪社ということになる。
それにしても多くの献灯が奉納されており、賑やかなことこの上ない。
この拝殿内の左手には巨大なゑびす様が、マスクをしていた。
時流に乗るのは敏いんだよね。
それはともかく、菟足神社(うたりじんじゃ)の大兎といい、
この巨大ゑびすも神輿なのだろうか。
ヲシテ文献の示すように「ゑびす様」が「大国主命」の別名であるなら、日本神話では大国主命と菟足神社の菟は出雲で出会っているから、それが理由で、三河ゑびす社と菟足神社はこの地でセットにして祀られていることになる。
そのことを裏書きするように菟足神社の祭神菟上足尼命(ウナカミノスクネ)の省略名と思われる兎上命には「物言わぬ品牟都和気命に付き添って出雲大神を拝し、神宮造築を奉行した。」とするエピソードがある。
脇参道に祀られた三河ゑびす社前から表参道に戻り、南神門に向かうと、境内の東端にさざれ石が置かれていた。
その石を観に行くと、傍に『さざれ石《大きさ日本一》』という案内板が立てられていた。
他の神社でも《大きさ日本一》を観た記憶があるが、それはともかく、このさざれ石は別名を「開運石」、「子産み石」とも言うらしい。
列島各地の神社にさざれ石が祀られているが、その8割前後が岐阜県産であることが知られている。
表参道に戻り、ふたたび南神門に向かうと、右手の社務所前の生垣の前に古い注連縄の掛けられた巨石があった。
石の下部は直接地面に埋まっている。
傍の案内板には「神亀石」とあるが“読み”は不明。
酒造会社に神亀酒造(しんかめしゅぞう)が存在するから、「しんかめいし」だろうか。
特に亀に似た石ではないが、神亀石の背後から松の幼木の幹が覆いかぶさっており、「亀に松」は長寿を意味するものだ。
天皇の長寿はさざれ石に国民の長寿は「亀に松」に祈るための石ということなのだろう。
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砥鹿神社里宮に参拝した4ヶ月後の9月下旬、気温が少し下がってきたので、参道(=登山道)を辿って本宮山山頂下に祀られている砥鹿神社奥宮に参拝することにしました。
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