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中条遺跡 土偶A 32:ヨーヨーのペトログラフ

刈谷市の北部に位置する泉田町 八王子神社の境内社秋葉社の参道脇の力石(おみやいし)の隣にはもう一つ、石がありました。

●中条遺跡 土偶A

その石は岡崎御影石で、不思議な形をしていた。

1泉田町 八王子神社地搗石

直径が40cmほどで、真上から見下ろすと円形で、マクドナルドのハンバーグのように二つの石が重なっていて、それが転がらないようにコンクリートで留めてあった。
よく観ると、重なった二つの石は繋がっていた。
上記の写真を撮影した時間帯は夕刻で、計らずも石の頭頂部に明快にL字形の線刻が認識できるのだが、最初にやってきた時には、そのL字しか認識できず、それが意味のあるものだとは思えなかった。
上記写真を観ると、他にも線刻らしきくっきりした窪んだ線があるのだが、それらは真上から見ると明らかにL字とは異質なもので、個人的には意味の無い傷だと解釈した。
ところが、この石には下記のように、シュメールのペトログラフに通じる線刻や意味不明の線刻もあったのだ。

1Pペトログラフ

ただ、これらはL字の線刻とは明らかに違い、線が弱く、小生が脳内で描き出した線である可能性もあるので、どの角度から見ても認識できるものだけをピックアップして、上記に表示した。
その真贋は見る人に委ねるしかないものだ。

以下は同じ石を比較的上側から見下ろした写真と、ペトログラフを表示したものだ。

2泉田町 八王子神社地搗石

2Pペトログラフ

この石を地面に近い位置から観ると、イメージはガラッと変わる。

3田町 八王子神社地搗石

この石のくびれの部分には3方から方形の穴が穿たれており、そのうちの一つの穴のある面だけが上記写真のように壺の上部を抜き取ったかのような窪みがあるのだが、当初は、面白い造形だなとも思ったのだが、単に穴がきっかけになって、そこからヒビが入り、割れ落ちただけなのかもしれないとも思える。

別の穴のある面を観てみると、以下のようになっている。

4泉田町 八王子神社地搗石

ヨーヨーを巨大な石で再現したかのようにも見える。
この傍に立てられた泉田文化財保護委員会の制作した案内書『地搗石(じづきいし)』には以下のようにあった。

(目方十九貫目)
(71.250kg)

此の石は、大正初期頃迄使われた共有三ケの内の市場組のもので、三方の穴に木を差し込み、竹の箍(たが)をはめ、長き縄を結び、多勢の老若男女が地搗唄を高唱しつつそれを引き、整地(特に効目下柱)に終了後、酒盛をした。いわば御祝儀的行事に使用させられたもので、当時の環境を偲ぶ上に貴重な遺品です。

この石がいつ頃から使用され始めたのか不明だし、どの時点で線刻が入れられたのかは不明だ。
さらに、「効目下柱」の意味が不明なので正確にどんな使い方をした石なのかも不明なのだが、ヨーヨーのように窪みに縄を巻いたことは想像がつく。
この石を引いただけじゃ整地はできないだろうし、「搗(つく)」からすると、櫓でこの石を持ち上げて地面を突いたのではないかと思われる。
大正初期にL字形の鉄の杭が存在していた可能性は考えられ、それを打ち込んだ時にL字形の傷が刻まれた可能性もあるのだが、杭を打ち込むには、多くのL字形の傷が刻まれたはずで、L字形の一つは打ち込む角度とは思えない場所に付いている。
しかも、この石に刻まれたL字形は線が鋭く、鉄の杭ならこの石が割れたことだろう。
そこで、このL字形のペトログラフは人為的に刻まれた線刻だと考えたのだが、事実やいかに。

1MAP泉田町 八王子神社

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地搗石の見える側はチェックできるものの、下側の石にペトログリフが刻まれている可能性もあり得るのだが、コンクリートで固めてあるので、観ることができないのが残念です。

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