麻生田町大橋遺跡 土偶A 165:川床の石
岡崎市桜形町(さくらがたちょう)深恩山(しおんざん) 広祥院の県道35号線を挟んで直ぐ東側には国道473号線が渡っている金属製の欄干が紅色にペイントされた鉄筋造の橋が架かっていました。下を流れているのは乙川(おとがわ)です。
橋長は20mあまり、橋幅は20m近くあり、水面までは8mほどある。
ここまでの乙川で最大の橋だ。
左岸(上記写真向こう岸)の川床には巨石を覆っていると思われる土砂が堆積しており、雑草で覆われている。
橋下の川床にも巨石が溜まっている。
左岸には石垣を組んだ高さ4m近く、幅5mほどの高水敷が設けられている。
橋名プレートがありそうなので、見に行くと、白くペイントされた変則駒形のコンクリート製親柱に大きな銅製のプレートが取り付けられており、カリグラフィーで「日近橋(ひじかはし)」と墨地に金色に浮かせた文字が入っていた。
日近橋の歩道上から上流側を観ると、右岸(下記写真左手)にも幅と高低が変化している高水敷が設けられていることが分かった。
川面は40m ほど上流で、両岸から伸びている枝葉で完全に覆われている。
左手には広祥院の鐘楼が立ち上がっているのが見える。
日近橋の下流側の歩道上から下流側を眺望すると、両岸とも堆積した土砂に背の高い雑草が繁殖しており、その間を水路が抜けて、下流に向かっている。
右岸(上記左手)には商店や住宅の裏面がコンクリートで護岸された岸上に連なっている。
これらの建物の北側(右手)に35号線が乙川に並行して西(写真奥)に延びている。
一方、左岸は濃い樹木が覆っている。
川床には橋下よりは小粒な石が多数、転がっていた。
橋のすぐ下を覗き込むと、右岸の近くに1枚岩の巨石を井桁にくり抜いた橋の基礎が残っていた。
この部分には国道473号線と並行して流れてきている毛呂川(けろがわ)が合流している。
毛呂川は同じ岡崎市の上流6kmに位置する切山町(きりやまちょう)から流れてきている。
日近橋から35号線を辿り、乙川下流310mあまり下流に架かっている市場橋に移動した。
市場橋上から上流側を眺めると、左岸(下記写真右手)の川床に人為的に切り出したかのような鋭角の角を持つ巨大な一枚岩が存在するのが見える。
乙川 天神橋 下流側その巨石のすぐ下流には土砂が堆積し、潅木で覆われている。
下流側の橋下の川床を見下ろすと、右岸(下記写真右手)には白く細かな砂が溜まっており、水路にも水の溜まった場所があり、水面は波が無く、静かになっている部分がある。
左岸(上記写真左手前)から細い水路が流れ込んでいるようで、自然石が樋のように並んでいる部分がある。
下流側の遠方を眺めると、150m以内に架かっている橋が見えている。
川床は全面が石で埋まっている。
両岸には通路が通っているが、右岸(上記写真右手)は住宅、左岸は濃い森で埋まっている。
市場橋から見えていた天神橋に移動。
上流側を眺めると、右岸(下記写真左手)はコンクリート・ブロックで護岸され、ダイハツの看板を掲げた自動車整備工房の大きな整備ガレージが立ち上がり、左岸は傾斜の強いコンクリートで護岸され、住宅が位置している。
この部分は直線で流れが速いらしく、川床の土砂の堆積は少なくなっており、転がっている石も小粒になっている。
乙川の上流には複数の尾根が折り重なっている。
下流側を見ると60mほど先で左にカーブしており、やはり、カーブ部分には石が随分溜まっている。
上流側とは逆に右岸(上記写真右手)に山が迫っている。
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日近橋〜市場橋まで、すべて桜形町ですが、調べてみると、桜形町は珍しく丁番を持たない単独町名であることが判りました。そのかわり、72の小字が設置されていて、中には面白い小字名があります。以下は小生選定の難読小字名ベスト3。★字百々(どうど) ★ 字惣玉(そうだま) ★ 字行河内(いけごうち)
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