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麻生田町大橋遺跡 土偶A 97:鴨と賀茂神社

豊橋市賀茂町長池で東名高速道路は牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)を超えていますが、東名高速道路が通っている橋名は照山橋(てるやまばし)と言います。牟呂松原幹線水路は東名高速道路をくぐると、しばらくの間、南東に向かっています。


照山橋の下流80m以内に賀茂町長池2番目の橋〈上記地図内(1)の場所〉があり、その橋上から上流側を撮影したのが下記写真。

東名高速道路の高架が見えている。
水路を見ると照山橋北側で狭くなっていた左岸側の用水路(上記写真右側)は再び、牟呂幹線水路と松原幹線水路とほぼ同じ幅に戻っている。
そして、照山橋北側では分割壁スレスレまで満水だった松原幹線水路(上記写真左端)は水深が下がっているものの、用水路と牟呂幹線水路がほとんど水が流れていないのに、松原幹線水路だけが勢いよく水が流れている。

賀茂町長池2番目の橋から110mあまり下流の賀茂町長池3番目の橋〈上記地図内(2)の場所〉に移動。
橋上から上流側を見ると、これまでとは左岸(上記写真右側)の様子が変わり、山ノ手の雰囲気になってきた。

一方、右岸は水田地で変わらず。
水路の様子も変化は無い。

賀茂町長池3番目の橋から下流110m以内に位置する賀茂町長池4番目の橋〈上記地図内(3)〉に移動。
この橋上から上流側に向かって撮影したのが下記写真。

左岸(上記写真右側)の住宅は低中木の繁殖する土手の上に隠れているが、そのこと自体が、牟呂松原幹線水路沿いに細い通路を隔てただけで家屋が建てられていた上流域と違って山ノ手の要素を持っている。
牟呂松原幹線水路が溢れることは物理的にあり得ないが、上記写真左手方向に流れる暴れ川、豊川が氾濫しても、牟呂松原幹線水路左岸が被害に遭う可能性は右岸より低い。

賀茂町長池4番目の橋から下流70m以内に位置する加茂町天神前1番目の橋〈上記地図内(4)〉に移動。
橋上から上流側を撮影したのが下記写真。

牟呂松原幹線水路両岸の様子は変わらないが、牟呂松原幹線水路と用水路の3水路とも水位が下がり、浮子が水底に接触しており、上記写真右側の用水路は土砂が堆積して雑草で埋まってしまっている。
そして、この部分の牟呂松原幹線水路の両岸にここまで見なかったものが登場している。
金属製の手摺のようなものだ。
同じ規格のものが左岸分割壁には1基、右岸堤防壁には2基連なっている。
この手摺に掴まって何かの作業でもあるのだろうか。
謎である。
水量は少なくても上記写真左端の松原幹線水路のように流れが速いと、手摺が必要になる場合はありそうだ。

加茂町天神前1番目の橋から下流70m以内に位置する加茂町天神前2番目の橋〈上記地図内(5)〉に移動。
橋上から上流側に向かって撮影したのが下記写真。

牟呂松原幹線水路両岸、水路共に大きな変化は無い。
だが賀茂町に入って以降、明らかに橋の数が増えている。
つまり橋を渡る人口(住宅)が増えているということだ。
右岸(上記写真左側)にも洋風の建物が出現。

同じ橋上から下流側を撮影したのが下記写真。

牟呂松原幹線水路左岸(上記写真左側)出前は住宅だが、その先は世界的な高精細技術を持つベアリング製造企業旭精機の大きな私有地となっており、橋の間隔は逆に広くなっている。
右岸の県道69号線沿いは灌木が茂っているが、水田地であるのは変わらない。
写真右手奥にこれまで右岸には存在しなかった住宅密集地が初めて登場している。
水路内はこの上流と変わってないが、上記写真右側の松原幹線水路内の堤防壁に小さな水門が設けてあり、右岸の水田に水を落とせるようになっているようだ。

加茂町天神前2番目の橋から下流90mあまりに位置する加茂町天神前3番目の橋〈上記地図内(6)〉に移動。
橋上から上流側を撮影したのが下記写真。

左岸(上記写真右側)のコンクリート壁は旭精機の私有地。
水路内はこの上流と大きな変化無し。

同じ橋上から下流側を撮影したのが下記写真。

左岸(上記写真左側)が旭精機私有地。
駐車場は通勤者用駐車場だろうか。
通勤者用駐車場と思われる敷地が右岸の水田地内にも存在する。

加茂町天神前3番目の橋から下流220mあまりに位置する加茂町天神前4番目の橋〈上記地図内(7)〉に移動。
橋上から上流側を撮影したのが下記写真。

左岸(上記写真右側)は旭精機の私有地。
右岸はちょっとした住宅密集地になっている。

加茂町天神前4番目の橋から下流120m以内に位置する神山橋に移動。
神山橋で牟呂松原幹線水路左岸(下記写真手前)に渡って、対岸の県道69号線に向かって撮影したもの。

鉄筋造の橋だが、欄干の岡崎御影石造の親柱に擬宝珠(ぎぼし)が付いているのはこの橋が加茂町 賀茂神社の入り口の橋だからだ。
橋名として「神山橋」と刻まれている。
そもそも、ここの町名が「賀茂町」となっているのは、この賀茂神社に由来するのだと思われる。
そして、「賀茂」とは賀茂氏(かもうじ)のことで、以下4種の漢字表記が存在する。

・賀茂氏  
・加茂氏
・鴨氏
・加毛氏

3系統の〝かもうじ”が存在するが、代々賀茂神社に奉斎し、本貫である山城国葛野郡・愛宕郡を支配したのは天神系の賀茂氏であり、氏性を「賀茂県主(かもあがたぬし)」、始祖を賀茂建角身命(カモタケツヌミ)とする。
賀茂建角身命は別名を八咫烏(ヤタガラス)とし、下鴨神社の祭神として知られる。
日本神話にも登場する人物であり、神武東征の際、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導し、金鵄(きんし)として勝利に貢献したことで知られる。
都市伝説では「八咫烏陰陽道」が迦波羅(かばら)と呼ばれる秘術を核として、日本における神道、陰陽道、宮中祭祀を裏で仕切っているとされる。

日本各地にはここ豊橋市賀茂町、福岡県福岡市早良区賀茂、静岡県賀茂郡、京都府木津川市加茂町のように「賀茂」や「加茂」、「鴨」地名が複数存在する。
豊橋市賀茂町に関しては明らかにここの賀茂神社に由来する地名でしょうが、各地の「カモ」地名に関しては賀茂神社の荘園地であったとする説、賀茂氏が関係しているとする説など、諸説が存在します。

ところで、上記写真で神山橋の西側を見ると、ここも住宅街になっており、この辺りから牟呂松原幹線水路を下るに従って住宅密度は上がっていくことが確認できていきます。
ここまで、牟呂松原幹線水路内で見かけた鳥は鴨のみです。
賀茂神社に鴨はいるのだろうか。

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神山橋の東側にある参拝者用駐車場に愛車を駐めて、賀茂神社に渡る2つ目の橋を撮影していると、カメラのバッテリーの赤ランプが表示されてしまいました。おそらく、大きな敷地を持つ賀茂神社を撮影するにはバッテリーが足りないことが予測されたので、賀茂神社の撮影は来週にして、この日はバッテリーが切れるまでは牟呂松原幹線水路を下ることにして、帰途に着くことにしました。

今更ですが、この記事を書いていて、賀茂町はすでに豊橋市に所属する町名であることに気づきました。河川を辿っていると、県境では蛇行する河川が複数の県を出たり入ったりしながら流れている場合があり、気づかないうちに別の県に入っている場合があります。
賀茂町が豊橋市であることは随時、記事を修正していきます。

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