見出し画像

御用地遺跡 土偶 41:弁財天と無名池

安城市 御用地遺跡の真西3.9kmあまりに位置する作野弁財天に向かいました。
最初に名称の無い大きな池を見つけ、池の南西40mあまりの住宅と幹線道路に囲われた作野弁財天に到着した時にはすでに日没を迎えようとする時間でした。

●後頭部結髪土偶

作野弁財天の社頭は西南西側の路地に面しており、社頭の玉垣には朱地に「作野弁財天」と白抜きされた幟が立ち並び、真っ直ぐ奥に延びる表参道の奥、10m以内に朱の鳥居がまたがっていた。

1作野弁財天

入り口脇には「厳島社 元宮」(いつくしましゃ もとみや)と刻まれた社号標が建てられている。
ここが「元宮」とすると、どこかに別に「厳島社」が祀られていることになるが、実際には厳島社 元宮しか残っていないようだ。
境内には全面に砂利が敷き詰められ、境内の外周を囲うようにパラパラと樹木が植えられていた。
上記写真の右手が幹線道路。
左手はアパート型の住宅になっている。

愛車を路地側の玉垣沿いに駐め、表面を鏡面仕上げにした上で割って組み合わせた、洒落た表参道に入った。

2作野弁財天鳥居

鳥居には「厳島社」の社頭学が掛かっており、正面奥20m以内に瓦葺入母屋造の覆屋(おおいや)。
覆屋の背後には覆屋の屋根とほぼ同じ角度の傾斜を持つ白い民家の壁が立ち上がり、想定外で覆屋や樹木を浮き立たせている。

鳥居をくぐると、左手の境内の端に白い花の咲く樹木があったので、見に行った。

3作野弁財天寒椿

それは白い寒椿の花だった。

4作野弁財天寒椿

この日は12月の中旬だった。

寒椿の花を観ているうちに、夕陽の茜色の日光は遮られ、境内は冷たい風景に変わっていた。

5作野弁財天覆い屋

覆屋の屋根は本瓦葺だったが、躯体は大きくはなく、妻側の破風下(はふした)と軒下部分だけは白壁で、その他は板壁に格子の板戸となっている。
3段しかない石段を上がって、覆屋前で参拝した。
覆屋の右脇には松が幹を伸ばしているが、この地域は本当に松の多い場所だ。

この社地を見つけるきっかけになった名称の無い池に向かうことにした。
明らかにその池と、ここ作野弁財天は関係があるように思えた。
池に戻ってよく見ると、池の周囲には黒い鉄柵が巡らされており、それを取り巻くように池の西側と北側には白い砂利の敷き詰められた遊歩道が巡らされていた。
池の南西側、つまり作野弁財天側の一部だけ遊歩道が広くなっている部分があり、そこだけ桜並木になっている。
桜並木のどん詰まりに愛車を突っ込んで、遊歩道を端から端まで歩いてみた。
以下の写真は北東側から作野弁財天の方向に向かい、池の水のある部分の全景を撮影したものだ。

6B篠目町 池

池の向こう岸の中央に見えるピラミッド型の白壁の住宅が作野弁財天の覆屋の背後に立ち上がって見えた住宅だ。
つまり、作野弁財天と池の間には、その住宅と一般道の路地が1本あるのみとなっている。
池の中央にはドーナツ型の葦の島がある。
もしかすると、この島に作野弁財天が祀られていた可能性もあるのではないか。
左手から島に向かって突き出た桟橋の土台のようなものがあるのだ。

最初に西側の桜並木の隙間から池をのぞいたところ、こちら岸にたむろしていた鴨たちが慌てて、遠方に向かって散って行った。

7篠目町 池鴨

水面は自然石で矩形に護岸されており、池に降る土手は45度くらいの傾斜なのだが、アールを付けて芝が敷かれている。
上記写真の右下のコンクリート部分は水門になっているので、ここから池の水が作野弁財天の方に向かっている可能性がある。

散って行った鴨たちはこちら岸に尻尾を向けて、離れた場所に停泊している。

8篠目町 池鴨

池の周囲は完全に住宅に囲われている。

9篠目町 池島

地図でチェックしてみると、作野弁財天側から北西側に向かって蛇行する水路があるのが判る。
作野弁財天とその水路の間は路地と住宅があるので、暗渠となり、作野弁財天の脇を抜け池の水門とつながっている可能性があると思われる。
以下はその推測水路(破線部分が暗渠)MAPだ。

2MAP割目川

池の南側と西側にも水門とつながる水路が残っている。
おそらく、池には湧き水があって、周囲の水路を経由して下記写真の割目川(われめがわ)に流れ込んでいたものと思われる。

10B割目川


ここまで紹介してきた多くの弁財天が鹿乗川(かのりがわ)及び、その支流に最終的に流れこむ湧き水に由来し、鹿乗川は矢作川に流れ込んでいるのだが、割目川は吹戸川(ふきどがわ)の支流であり、吹戸川は猿渡川(さわたりがわ)を経由して西を流れる境川(さかいがわ)に流れ込んでいる。

3MAP作野弁財天

つまり、作野弁財天の位置する篠目町あたりが碧海台地の東西の分水点になっているということなのだ。

◼️◼️◼️◼️
これで、矢作川西岸に位置する安城市、岡崎市の独立して祀られた弁財天の中で気づいた社は巡ったことになりますが、他にも一部、境内社として祀られた弁財天も、今後登場することになるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?