見出し画像

麻生田町大橋遺跡 土偶A 127:旭日意匠の水管橋?

豊橋市石巻本町の比賣天神社(ひめてんじんしゃ)から萱野橋に戻った時にはすでに陽が傾き、この日、牟呂松原幹線水路(むろまつばらかんせんすいろ)を辿るのは次の機会にすることにました。

この日、萱野橋上から下流側を撮影した最後のカットが以下の写真。

水路はゆっくりと右にカーブし、左岸の用水路に用水が少し出ていますが、カーブが始まった場所から下流にかけて土が堆積し、雑草が生えている。

別の日、萱野橋から牟呂松原幹線水路沿いの農道を南下すると、310mあまり下流に架かった沢渡橋に到達。
沢渡橋上から上流側を眺望したのが下記写真。

左岸側(上記写真右端)の用水路にはここまで土の堆積と雑草が続いている。
沢渡橋のすぐ上流で水路が西(上記写真左側)にカーブしているので、土が流れにくくなり、ここで土の堆積が絶えている。

一方、沢渡橋上から下流側を眺めると、左岸側(下記写真左側)の用水路の土の堆積は少なく、その水路の幅が沢渡橋の下流20mあまりで急に狭く変更されている。

同時に同じ場所で牟呂幹線水路と松原幹線水路の間の水路分割壁が水没している。
3本の水路幅の合計幅が絞られたのは同じ幅の水路を通すスペースが無くなったからだろうが、水路分割壁が水没しているのは用水路と牟呂幹線水路(真ん中の水路)との間の分割壁が水没していないところを見ると、牟呂幹線水路と松原幹線水路の間の分割壁は高さを意図的に下げて両水路が混じり合うようにしてあるようだ。

沢渡橋から250mあまり南下すると、白い金属パイプの欄干を持つ白石橋があり、白石橋の南々西80mあまりの左岸に「八幡社」の表記があったので、そこに向かうことにした。
八幡社は下条東町に位置しているのだが、杜は畑地の中に位置しており、社頭に向かうには畑地の中を迂回して東側からアプローチするしかなかった。
東側から畑地の中に入っていくと、社地の南東に位置する入り口に到達したので、その入り口の農道脇に愛車を駐めた。
社地に入っていくと、石造明神鳥は東向きで、鳥居前に1対の常夜灯がに設置されており、元は南側に社頭があったようだ。

社地は広くはなく、鳥居の20mあまり先に拝殿が設置されている。

鳥居をくぐって拝殿の前に出ると、高さ40cmほどのコンクリート板の垣根を張った土壇上に瓦葺切妻造平入の拝殿が立ち上がっていた。

正面は板戸と板塀で覆われた総素木造の建物で、左右の向拝柱に渡した、1本造で緩やかなアーチ状になった頭貫(かしらぬき)が印象的な拝殿だ。
おそらく、村の中でアーチ状になった樹木を探した結果だろう。
向拝前に上がって参拝したが、ネット上には「創建は明らかでないが、応神天皇を祭神とする」という情報がある。

本殿を見るために脇に回ると拝殿、本殿覆屋とも壁は波トタン張りで、拝殿の裏面に接して、拝殿をスケールダウンした瓦葺切妻造平入の本殿覆屋が隣接していた。

境内社などは見当たらない。

白石橋に戻り、牟呂松原幹線水路沿いの農道を260m近く南に辿ると、白石橋と同じ形式の橋が架かっていた。
ただ、ネームプレートは無く、橋名は不明だが住所は石巻本町桑原に当たるようだ。

名称不明の橋上から上流を見ると、下記写真のように牟呂幹線水路(真ん中の水路)と松原幹線水路(真左端の水路)の間の分割壁は水面スレスレの状況だが、まだ水没している。

右端の用水路は幅が狭くなった分、水深を深くして対応しているようだが、水はまったく無い。
雨降りの時しか水は出ないようだ。

名称不明の橋の下流側も水路内の状況は変わっていないのだが、左岸は高い土手に変化している。

名称不明の橋から牟呂松原幹線水路を下流に160m近く辿ると、「橋」と呼べるのかは不明だが、水管橋(?)が架かっていた。

人が渡ったりしないよう、両岸近くに旭日を連想する放射状の防御柵が設けられ、水管も柵も調整弁も銀色にペイントされている。
これでもどこかの国民は怒るのだろうか\\(^ェ^))//
ヘッダー写真の方が分かりやすいのだが、3本の水管の左端には少し細くて水道の蛇口のようになった水管があり、この水管は用水路に水を落とすようになっていた。

水管橋からさらに50mあまり下ると、6本の農道が集まっている桑原橋に至った。
桑原橋上から上流を見ると、水管橋が見えているのだが、桑原橋脇にも1本の水管が通っていて、この水管には上流の3本の水管と異なり、ステンレスのプレーンなキャップを被った調整弁が使用されていた。

左岸(上記写真右端)の狭い用水路に水は、まったく見えない。

桑原橋の下流側を見ると、左岸から用水路の上に渡した水色にペイントされた鉄板と鉄パイプの手摺で構成された橋が渡してあり、細いパイプで牟呂幹線水路から取水しているように見える。

排水なら用水路に落とすはずだ。
ただ、左岸には畑地しか無く、何か特別な農産物のための給水なのだろうか。

◼️◼️◼️◼️
気づくと、桑原橋の上流側ではまったく水の無かった用水路には幹線水路側と同じ水位の水が入っており、桑原橋の下に排水路が存在するようです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?