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今朝平遺跡 縄文のビーナス 35:謎の天白信仰

愛知県足助町(あすけちょう)に存在した足助宿の長野県側の出入り口脇の壁に奉られた複数の石造物の前から足助川を左岸(南岸)に渡り、最初の交差点を起点として東に延びる県道33号線に入り、東に向かうと途中から33号線は再び右岸(北岸)に渡り、そのまま右岸沿いに東(上流)に延びていました。33号線の起点から690mあまり坂道を登っていると、対になった常夜灯の前を通りかかりました。

愛知県豊田市足助町 天伯神社
足助町 天伯神社
足助町 天伯神社

常夜灯はバターの塊をバターナイフでカットして造形したかのようなプレーンな形態の石垣の中央を登る石段の広い踊り場の表参道の両側に設置され、踊り場の向かって右端、歩道に面する位置に「天伯神社」(てんぱくじんじゃ)と刻まれた白さの際立つ石柱を饅頭形の基壇に乗せた社号標が建っていた。

愛知県豊田市足助町 天伯神社 社頭

「天伯神社」(地図での表記)社号標の「伯」に当たる文字は初めて見る文字で表記もできないのだが、地図を見ていなかったら、「天伯神社」と認識できなかったろう。
上記写真は車道をはさんだ向かい側の歩道上から撮影したものだが、石段上の社叢は濃かった。
車道と歩道を分かつ縁石が高くて、愛車を駐める場所が無くて困ったが、坂の上方(東方向)に少し向かうと、縁石に切れ目があり、そこから天伯神社の境内に登る超急なスロープが存在した。
愛車で登るには急すぎるので、その麓に愛車を駐めて、社頭の石段にもどり、石段を登った。
石段を登りきると、表参道は石段の正面奥に延びているのではなく、石垣に沿う形で、右方(北東)に向かっていた。
表参道を10mほど進むと、空の開かれた場所に出たが、そこには幅の広い石段があり、石段の上には石造台輪鳥居が設置されていた。

足助町 天伯神社 石鳥居/千本鳥居

石鳥居の奥の石段の上には天伯神社と思われる社殿が見えている。
石鳥居の向かって左脇には草原に千本鳥居が並び、表参道とは別に独立した稲荷社の参道が表参道と並んで、山の上に向かって延びている。

まずは目の前の石段を上がり、石鳥居をくぐると、次の石段までの間にも踊り場が設けてあり、ここには対になった狛犬があった。

足助町 天伯神社 狛犬/覆屋

正面の石段上には銅板葺切妻造平入の建物が設置されているが、正面の壁は吹きっぱなしになっており、覆屋のようだ。

最後の石段の途中から覆屋を見上げると、屋内には大きな社が1棟だけ納められていた。

足助町 天伯神社 覆屋/社

この覆屋は側面も上部が吹きっぱなしになっており、板壁で全面が覆われているのは背面のみだ。
天伯神社覆屋の向かって左側と裏面の左寄りに柱のような円柱が立っているように見えるが、これは杉の生木で、上半分には枝葉が残されている。
下半分は上記写真のように綺麗に枝が落とされ、樹皮も綺麗に剥かれている。
境内にはほかにも枝と樹皮の無いものが複数あり、樹皮が屋根を葺くために使用されたのだろう。
石段を登り切って、天伯神社前で参拝した。
境内に案内書きは存在しなかったが、ネット情報によれば祭神は何と十王寺でも触れた瀬織津姫命だという。

以下は天伯神社と天白神社が同じものと考えた場合だが、天白信仰に関しては非常に多くの説があり、どんな神なのかも確定していない。
必然的に総本社は存在しない。
天白信仰の神とする説をWikipediaの「天白信仰」の項目から、全て抜き出してみた。

・天白波神(=天白羽神:あめのしらはのかみ)
・大天白(ラマ教の性神) ・大天白神(天白神) 
・天一神(天一星)と太白神(太白星) ・天一太白
・太白星 ・星神 
(修験道)風水除の神 ・風の神 ・水神
(修験宗)天獏
・安産祈願の神

Wikipediaの「天白信仰」

上記のリストの中で瀬織津姫命に相当するのは「水神」だろう。
興味深い説として、今井野菊という人物は『大天白神』(1971年)に各地の天白社の分布をまとめ、天白信仰は水稲農耕以前、縄文時代まで遡るとしている。

明治期に、ここ足助町 天伯神社の神(瀬織津姫命)は足助八幡宮に合祀されている。

そして、近年になって、足助八幡宮から天伯神社へ御霊(瀬織津姫命だろう)が分霊されたようだ。
それまで、天伯神社には何も祀られていなかったというのだが、なぜ神職の誰も、そのことに意見を言わなかったのか不思議だ。

この天伯神社覆屋の向かって左脇に稲荷社を収めた覆屋が設置されている。
改めて稲荷社の社頭から稲荷社の参道をたどると、天伯神社の表参道より1.5mほど低い草地に千本鳥居が奥の石段に向かって並びている。

足助町 天伯神社 境内社稲荷社 社頭

千本鳥居を抜けると、まず3段の石段があり、その上の踊り場に対になった使いの狐像が設置されている。
踊り場から延びる最後の石段の上に朱の鳥居が1基存在し、その先に稲荷社の覆屋が見えている。

足助町 天伯神社 境内社稲荷社 使いの狐像/石段/朱の鳥居/覆屋

最後の石段を登っていくと、境内社稲荷社の覆屋の前には天伯神社とは異なる、対になった石灯籠が設置されていた。
それにしても、天伯神社の石段と稲荷社の石段の間には中木が1本植えられているだけなのに、どちらの参道を登ってきても、もう1方の社を目隠しし、今居る参道の方の社に集中できるように工夫されていることに気づいた。

足助町 天伯神社 境内社稲荷社 朱ノ鳥居/石灯籠/覆屋/社

稲荷社覆屋の中には素木造の社が収められていた。

足助町 天伯神社 境内社稲荷社

天伯神社覆屋をはさんだ、反対側(東側)には稲荷社覆屋と同じくらいの寸法の覆屋が設置され、やはり素木だが稲荷社とは違い、縁を持った社が収められていた。

足助町 天伯神社 境内社

ただし、この社に関する情報は見当たらなかった。

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名古屋市内には天白川が流れています。この河川名は、かつて天白川下流域(旧東海道)に祀られていた天白社に由来するとされています。この天白社には天白神が祀られていたとされ、天白社(天伯神社を含めているかは不明)は全国で122社存在するといいます。


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