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麻生田町大橋遺跡 土偶A 74:レイライン上の宿場町

愛知県岡崎市大多喜町の奥宮に神籬(ひもろぎ)の祀られている山の北側から国道1号線に戻り、北西に300m近く走って、国道1号線から南側に分岐している旧東海道に入ると、80m以内で藤川宿の東棒鼻跡(ひがしぼうばなあと)に出ました。棒鼻とは宿場の出入り口に設けられる石垣上に棒を組んだ木柵(ヘッダー写真)のことで、東西に延びる東海道の宿場では、たいてい東と西に棒鼻が存在しました。
東海道筋を中心とした藤川宿は豊川市の麻生田大橋遺跡と中条遺跡とを結ぶレイラインAN(仮称)と一致していました。

●麻生田大橋遺跡土偶A

1MAP藤川宿

2MAP藤川宿

旧東海道に面した場所に棒鼻のモニュメントなどを設置した場所があった。

1藤川宿東棒鼻跡

また、トタン葺きで素木の柱に「従是西 藤川宿 東海道五十三次之内」と墨書きされた、宿場の出入り口を示す牓示杭(ぼうじぐい)が建てられていた。

2藤川宿牓示杭

この場所は歌川広重の描いた『東海道五拾三次 藤川棒鼻之図』をアレンジして再現された場所で、藤川棒鼻之図には牓示杭と棒鼻が書き込まれている。

3『東海道五十三次』藤川宿

ここの立て札によれば、この浮世絵は幕府が毎年8朔、朝廷へ馬を献上する一行が東棒鼻に入ってくるところを描いたものだという。
つまり、西の宿場内側から江戸方向を向いた情景だという。
慶長六年(1601)に整備された藤川宿は品川宿から数えると37番目の宿駅だという。

また、明治5年(1872)頃に棒鼻から西方向を撮影した写真も残っている。

4東棒鼻から西眺望

突き当りの家屋の前はT字路になっており、旧東海道は右に折れている。

現在のこのあたりの旧東海道は美しい舗装道路になっており、所々、町家(下記写真右手の長い屋根の家)が残っているのが見られる。

5旧東海道藤川宿 

東棒鼻から旧東海道を西北西に向かうと、350m以内で北側に1対の常夜灯と「津島神社」(祭神:素戔嗚命)と刻まれた社号標のある前に出た。

6市場町 津嶋神社社頭

荒れた表参道が北北東にある2つの頂きのある山に向かって延びており、旧東海道から20mあまり奥に幟柱が立てられている。
愛車を旧東海道沿いに駐めて、表参道を辿ってみると、旧東海道から40mあまり奥で表参道を名鉄名古屋本線が横切っていることが判った。

線路の向こう側には石造明神鳥が建てられているが、周辺に向こう側に渡る踏切や陸橋は見えない。

7市場町 津嶋神社鳥居

地図を見ると、鳥居の向こう側には山綱川も流れており、国道1号線も通っている。
山綱川には表参道部分に橋が架かっているものの、国道1号線も周辺に横断歩道は見当たらない。
社殿は線路のこちら側からは見えないものの、石鳥居の奥60mあまりの場所に位置しているようだ。
社頭も社殿のある場所も市場町になっている。
東棒鼻に掲示されていた案内板『東海道と藤川宿』によれば、中世には藤川の集落は山綱川の北岸にあり、現在の南岸が栄えたのは戦国時代以降のことだという。
天保十四年(1843)の『宿村大概帳』によれば、藤川宿の総人口は1,213人、家数は302軒となっており、これは東海道の宿場としては小さな部類に入るようだ。

市場町 津島神社社頭から、さらに旧東海道を西北西に向かうと、490m以内で北側に屋根の無い三門と複数の高札が展示され「本陣跡」と刻まれた石標の建てられた前に出た。

8藤川本陣跡

高札前に愛車を駐めて三門をくぐったが、門内には案内板と井戸くらいしか無く、ガランと空いた広場になっていた。
もちろん、奥に見える山の眺望は江戸時代のままだという。
本陣は大名や公家、公用の幕府の役人などが休泊した場所で、一般の旅行者は旅籠屋(はたごや)や茶屋に休泊したが、西隣の岡崎宿が大きな宿場だったことから、
藤川宿に宿泊する客は少なく、経営は苦しかったようだ。
宿場は明治政府による廃藩置県で、その役目を終えた。

この本陣跡で面白かったのは並んでいた高札(下記写真)の中に、

9藤川宿高札

以下の内容の高札が混じっていたことだ。

・切支丹禁制
・毒薬にせ薬種売買の事禁制
・火付け用心

江戸市内には犯罪者はほとんど居なかったと言われているが、毒薬や偽物の薬なんて売ってたんだね。
香港とか行くと、今でもメリケン粉で作った冬虫夏草(漢方薬)を売ってたりするけど、世界中で怪しいサプリメントや煮沸された天然水が販売されてるから、今も昔も変わってない(笑)

本陣跡の並び20m以内には本陣の予備に当てられた脇本陣の建物が残っていた。

10藤川宿脇本陣跡

平常は一般の旅行客も使用が許されたという。
門は修復はされているが、基本的に江戸時代のものだという。
本陣や脇本陣は地元の名望家が務めたが、経営が苦しかったことから、退転と交代を繰り返したという。
現在は藤川宿資料館となっているが、この日は開館していなかった。

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藤川宿の中でも、本陣周辺の東海道は元禄時代に築造されたものだといい、風情を感じさせる道でした。

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