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麻生田町大橋遺跡 土偶A 56:古代のアンチエイジング

岡崎市の経ヶ峰2号墳のある大宝山長徳寺から愛車を駐めてある県道35号線に戻り、県道35号線を辿って、北西1.5kmあまりの場所に位置している同じ岡崎市内の大平八幡宮に向かいました。

レイラインAG(大平八幡宮)
レイラインAG(大平八幡宮)

大平八幡宮は200mあまりの南北に長い表参道を持つ神社だった。
旧東海道から始まっている社頭は国道1号線の東10m以内に位置している。
社頭には「(村社)八幡宮」と刻まれた小型の社号標と1対の常夜灯があるのみで、鳥居は見えない。

大平八幡宮社頭

「八幡宮」とは明治期に神仏分離される以前は境内に神宮寺を持っていたことを推測させる社名だ。
国道1号線の歩道脇に愛車を駐めて、アスファルト舗装された一般道を兼ね、桜並木になっている表参道を辿ると、30mあまりで白塗りのガードレールを欄干に流用したコンクリートの橋に出た。

橋の下には更紗川が流れている。

大平八幡宮表参道 更紗川(上流側)

更紗川はここから1.4kmほど曲がりくねって流れ、乙川(おとがわ)に流れ込んでいる支流で、ともに矢作川水系の河川だ。
上記写真は橋から上流側を見下ろしたものだが、コンクリートで護岸された川面を見てもほとんど水は流れておらず、そのことから川床には土が溜まり、そこには雑草が茂っている。
水は濁ってはいないが、透明でもない。

この橋を渡ると10mあまりで表参道は中央の表参道と両脇の一般道に分かれ、さらにそこから10mあまりの場所からコンクリートでたたかれた表参道は1段高くなって始まっており、そこに石造の八幡鳥居が設置されている。

大平八幡宮 一ノ鳥居

この一ノ鳥居の「八幡宮」と浮き彫りされた社頭額は4角が欠け、柱も破損した複数ヶ所が補修された箇所があり、石の表面はかなり焼けている。
空襲で倒れているのかもしれない。
その一ノ鳥居から40mあまりで石造台輪鳥居をくぐると、さらに20mあまりで三ノ鳥居である旧い石造明神鳥居に到達するが、ここまでは一ノ鳥居以外に特に目を惹かれるものには遭遇しなかった。

大平八幡宮 三ノ鳥居

しかし、この三ノ鳥居は鳥居の上の横棒である島木と笠木の両端が極端に跳ね上げてあるクセの強い意匠で、そのクセの強さが旧さを表していた。
それにしても八幡宮で三基も鳥居があるのに1本も八幡鳥居が採用されていない。
もしかすると、三基とも合祀された神社から流用されたものだろうか。
三ノ鳥居の正面奥20mあまり先には高さ2mほどの石段を持つ石垣が立ち上がっており、その上に拝殿が見えている。

鳥居をくぐり石段を上がると、境内には細かな白い砂利が敷かれており、その中にコンクリートでたたかれた表参道が延びている。
30mあまり先に瓦葺入母屋造平入で、なだらかで広い石段と両袖に別れた木造階段を持つを持つ珍しい拝殿があった。

大平八幡宮 拝殿

明らかに混雑する初詣対策をした階段だ。
拝殿の正面は全面に黄色の舞良戸(まいらど)が閉め立てられている。
この拝殿の前には平安宮内裏(天皇の居住する中心部)にある第1御殿である紫宸殿(ししんでん)に倣って、左近の桜と右近の橘が植えられていた。

大平八幡宮 橘

この日は10月の中旬だったが、橘には見事な果実が成っており、黄色く色づき始めていた。

大平八幡宮 橘 果実

もしかすると、拝殿の黒茶の舞良子を通した黄色い舞良戸は橘の果実と桜の幹を意識したものなのかもしれない。
「橘」というと、秦の始皇帝&徐福伝承、垂仁天皇&タヂマモリ伝承、『竹取物語』に関わる不老長寿の果実を想起させるが、その時代を整理してみると、

🍋 秦の始皇帝が琅邪(ろうや)を訪れた際、徐福に不老長寿の仙薬を求めて渡海する命を出した=紀元前210年
🍋 垂仁天皇の命により田道間守(タヂマモリ)は非時香菓(ときじくのかくのみ=)を常世(とこよ)の国に派遣し、田道間守は垂仁天皇崩御後に8枝の橘を持って帰還した。=紀元前29年3月12日
🍋 庫持皇子(クラモチノミコ)が橘の枝をかぐや姫にもたらした。=656年〜720年(庫持皇子のモデルとされる藤原不比等の生没年)

となり、徐福伝承が記紀に記載のあるタヂマモリ伝承の下敷きとなり、さらに庶民向けに垂仁天皇妃・迦具夜比売命(カグヤヒメ)夫妻をモデルにした『竹取物語』にアレンジされたとも考えられる。
不老長寿の果実を探す話は映画『インディ・ジョーンズ』シリーズが1本できるくらいのロマンがあるが、そのロマンは近年のアンチエイジングブームにつながっている。
最近、橘に抗認知症効果や癌抑制効果があると言われるノビレチンが多く含まれていることが知られてきている。
フラボノイドの1種であるノビレチンが多いことで話題になっているシークヮーサーの1.5倍の含有量だという。
認知症と癌の予防になるなら、まさに不老長寿の薬であり、なぜか古代の人類はそういうものが存在することを知っていたことになる。

拝殿前に上がって参拝したが、一ノ鳥居脇に掲示されていた社頭板書には祭神に関して以下のようにあった。

応神天皇 白山姫命 豊受姫命 日枝七所神

大平八幡宮 社頭板書

八幡神社に白山社、御鍬社、日枝社が合祀された結果だ。
やはり、3基の鳥居は合祀された3社と関係がありそうだ。

拝殿の西側に下ると、拝殿の裏面にはいずれも瓦葺の渡殿でつながった幣殿と本殿が連なっており、本殿は八幡造ではなかった。

大平八幡宮 拝殿〜本殿

本殿の西側には4社の立派な境内社が配置されていたが、それぞれの社が意図的に全て異なった様式の建物にしてあるのだが、軒下に掲げられた鏡をイメージさせる白い円盤状の献灯、縦格子窓で統一されているのが面白い。

三姫社 神明社
大森社 天神社

境内社に関する情報は表札のみだが、三姫社は宗方三女神(むなかたさんじょしん)を祀った境内社だろうが、大森社は祀られた神社によって祭神が異なるので、特定できない。

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八幡神社は本社として祀られている神社としては、もっとも多い神社なのですが、八幡大神は応神天皇と解釈されており、神宮寺では八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)として祀られましたが、檀家を持たない祈祷寺だったため、明治期の廃仏毀釈でほとんどの神宮寺が姿を消し、神社になっています。


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