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ニーチェの「パースペクティブ」から個人の世界観について

ニーチェの「パースペクティブ」から個人の世界観について考えてみます。パースペクティブは、人が物事を見る独自の方法や視点を指し、それが世界をどのように認識し、理解するかに影響を与えることを指しています。

自己と外界を「実体」と「投影」という概念でとらえてみます。自己は実体であり、外界はその実体に対する投影です。観察者は、この投影を通して世界を見ており、その観察者が世界をどのように捉えるかが、その世界の性質を決定します。しかし、外界は観察者に影響を与えることはないのです。つまり現実は観察者に影響する事はあり得ないという事です。
この観察者による投影の違いが、まさにニーチェの言うパースペクティブだと考えています。外界が観察者に影響を与えないと言うところは、ニーチェのツァラトゥストラに出てくる以下の話に通じるのではないでしょうか。

 「蛇の頭ごと噛み千切ってしまえ!さぁ、噛むんだ。噛んでしまえ!」
 すると、牧人は言われるがままに蛇をがぶっと噛みちぎり、その頭を吐き捨て、それと同時にパッと立ち上がります。
 そしてこの様子を見たツァラトゥストラは、次のように語ります。
 「私の目の前にいた男は、もはや牧人ではなかった。いや、人間でもなかった。1人の変容したもの、光に包まれたものだった。そして、彼は高らかに笑った。今まで地上のどんな人間も笑ったことがないほど高らかに。」

この話はニヒリズムを捨て、自分の人生を否定的なものから、肯定的に投影し直した、と捉える事が出来ます。

自己と外界を「実体」と「投影」という概念において、自己はまるで舞台の監督のようであり、小さな自己はその舞台で感情や体験を演じています。それを実体としての自己が観察し、感情は一過性であると位置づけています。この観点から、人生の目的は感情や体験を味わい尽くすこととして捉えています。

さらに、自己については、実体がないとし、自己は感情や体験が通り過ぎる過程を観察する存在であると考えます。身体は空だ、であるとも言われ、これは仏教の「色即是空」の教義とも共鳴するものとして示唆しています。



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