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#チームだから出来たこと。

お題/『チームだから出来たこと。』#18.

それは2005年頃の出来事。

『愛』地球博の会場に行かれた方々もきっと多いことでしょう。

ある日。

ある1人の壮健な男性が突然、その会場で地面に突然倒れた。

彼は、『愛』地球博を観に来ていた。

今まで、一度も入院経験も無い丈夫な方だったたのこと。

そのままにしていたら、命に支障がきたすことになる。

そこはたくさんの人々が居合わせた会場。

大切なのは直ぐ様、その場で『勇気』を示せるか?どうかと言うこと。

心肺停止後の体の中の止まった血液中の減少していく、たった30%しか含まれていない酸素。

それを信じて直ぐに取り掛かることしか、あなたの選択の余地はないのです。

目の前の倒れた人を見ていながら、見捨てるのか、自分!

その人の後ろにいた人は、その異変を視て、放置はしなかった。

つまり、その人の持っている勇気を奮って倒れた人に気遣いを示したのです。

直ぐに、意識の有る無しを確認。

そして、心肺蘇生。

つまり、人工呼吸です。

彼は、たまたま、そこに居合わせた医学生。

『医学生』だから、必ずしも勇気を出せるとは限らない。

一番大切なのは、全ての人が内面に持っている小さな『勇気』を大きくするか、どうかと言うことです。

私には、そんな勇気など無いと自分に言い聞かせるなら、勇気など出る筈がない。

脳は、『あ~。今、勇気を出さなくても良いんだ!』と思う。

そう思えば、行動するまでには至らない。

行動のスイッチは、自分の感性と情緒(可哀相と思う心)が心の中のスイッチを ONにする。

📚️英語のPity は日本語で言えば『腸がキリキリするほどの哀れみ』で、それは単に可哀相と感じるに留まらず、相手の為に自分がその時、その場で行える事を含みます。つまり、行動が伴っていることを指しています。☝️🐻🎓️👍️

その勇気が自分には有るか、無いか、自問自答している暇も無い。

何故ならば、心肺停止から、体内の血液に含まれる酸素量は段々減少して行き、脳に酸素がもし、行き渡らないとすれば、その脳の意識は戻らない。

『5分』が限界値。(命の空白時間)

処が、救急車を要請して、到着するまでに

愛知は東京並みで、

最低で『8分』掛かる

と言う車社会の愛知県。

つまり、5分しか持たないところ更に3分も過ぎてしまっているのです。

もし、脳に酸素が行き渡らないと、意識は戻らなくなります。

脳に意識が戻らないと、どうなりますか?

心肺が蘇生し、
血液が体内に行き渡ったとしても、

脳に意識が戻らないと、

その患者は無意識。

つまり、植物人間となり、ベッドの上で点滴や電子器機に繋がれて生命を維持して行くしかないのです。

その『8分』後ではもう間に合わないと言われています。

それは、本人にも床擦れや衛生面、何より家族と意思の疎通が一言も出来ないことを意味します。

家族にとっては、毎日、毎週、毎月病院に詰めたり看護していても、

その世話されている人と一言も話せども、伝わらないのです。

それで、『植物人間』と言われています。

植物の声を普通、一般人は聴くことが出来ません。

人は、互いの意思の疎通により相手の気持ちや考え、今、感じていることを

リアルタイムな質問により、

少し遅れながら知りうるのです。

それが、知ることの喜びなのです。

ところが、突然、倒れるその人とその家族から、その時、その家庭の全ての幸せを奪ってしまわれたのです。

災いと予期出来ないことは、全ての人に臨むのです。

その後。

その突然倒れた人は、そのたまたま居合わせた医学生の気転により命が助かりました。

つまり、意識が戻ったのです。

それは、愛知博の会場での初体験でした。

以来、法律が改正されました。

その時から、一般人でも、AEDの扱いと人命救助の為に専門の医学関係者や救命救急士が到着するまでの大切な何分間と言う命の空白時間を埋め合わせることが可能になったのです。

それ以来、蘇ったその壮健な男性は、AED のPRの為、体験談を語る大使のような存在になりました。

あちこちに出掛けていき講演会の演壇の上から、人の命の大切さを自らの体験談から語る人と成りました。

彼の家族に奥様と娘さんがおられるようです。

娘さんは学校の作文で、その話をまとめて発表し高く評価されたとのこと。

ドキュメント・レポートに勝るもの無しです。

体験談には他の人の心に触れる真実さが、言葉に真に含まれています。

想像や思い付きだけでは出てこない『命の言葉』が自然に、内面から外に現れるのです。

私たちは、他の人の言葉を感じ、内面を読み取れるように感性と理性が与えられています。

その家族の喜びはどれ程大きいのでしょう!

しかし、それを、

感じとり易い人と、

余り感じ取り難い人とが

いることも知られています。

昨今では、それが顕著に別れて二分された人間社会になっています。

本来万人に共通の『良心』の心の機能が、様々な事情により低下しているとも言われています。

私もそうした心無い言葉を聴いたことがあります。

『あんまり自分には関係ないね。』
~(東日本災害に関連した話。まだ日も浅い頃。)

その人はそう平気な真顔で語るのです。

その人が、もし、災害や急病に遭遇した時、本人はどう思うでしょう。

『助けてくれ!』

それを聴いた周りの人が冷ややかな目をしてもし、こう言ったなら。

『関係ないね。』

かつての、木枯らし紋次郎では無いのです。(これはクールさを描いていると思います。しかし、お金の為になら彼も動くのです。)

↓↓↓

『アッシには、関わり無いことでござんす』。

『知らねぇなぁ~。他を当たってくれ!』

世にはそう言う言葉がたまには満ち溢れることが有ります。

自分より弱い小動物虐待から始まり、家庭内での攻め摂関。

そして、小さな1つの命がこの地球から消えて亡くなっているのです。

それは、その人々の心が病んでいるのです。

それも1つの人間の特徴だとは認めません。

だとしたら、『人は死ぬために生まれては来ない』、と言われている訓話の言葉も訂正したら良いでしょう。

こいとちゃんも、このはちゃんも、小さな時に命を落としました。

小さい頭の中には、『親とは何か?』
『どうして自分が食事も与えられず、タバコの火やアイロンを当てられなければならないのか?』

それは、子供の頭で考えたら整理が着く種類の問題なのですか?

日本中の心理学者が考えても意見が合わないのに、その幼子は心理学者より上なのですか?

そうして、『愛すべき』とされる『家族』の手に掛かり。

他人の手にではなく。

家族とは野獣の塊なのですか?

愛を失った冷たい家族のチーム力ですか?

そのまま更に『生きていくことが、死ぬより怖いこと』だと知ったとき、

生きていくこととは『何』なのですか?

それで、『死ぬために生まれてくる人はいない』と、もし、言われることが真実だとされるなら、

『命を亡くすことによって幸せを見ることもある』と言えるのです。

(誤解しないために。『死ぬこと』と『命を亡くすこと』とは意味が違います。

小さな子供が

生きていて

この世界の地獄と

自分の親が何者かを

自分の目で見る必要が

それ以上、

無くなるのです。

それは、大人でも耐えられないでしょう。

自分が歳を取り、

施設の上からエイヤッと

下に投げられる事件も有ります。

その人は『介護に着くべき資質と能力』は元々ありません。

資格には、それが元来含まれていた筈です。

テクニックだけの問題ではありません。

そうなる前に、『自ら自覚して辞めるべき』です。

他の仕事をハローワークで探すべきことをお勧めします。

その前に、自らのメンタルを治してから。

そしたら、社会問題にはならなかったでしょう。

自らを治さずに他へ働きに行けば、そこでまた同じ問題が起きるのです。

幼い子の親も、体だけは大人になりましたが、内面が大人としては成長していなかったのです。


成熟してはいても、精神が未熟な大人です。

もっとナイチンゲールを頭でなく体験を通して学ぶべきです。

現代のホロコーストの家庭版であり、猛獣より怖いのはその人と言えます。

そして、最近は

『自分はしていません。自分は悪くはありません。』

と自己弁解だけは

頭と口が次から次へと良く廻るのです。

では、何故、あなたの子供は亡くなったのですか?

その子は誰の子供なのですか?

心の病に成れば、人は良いこと以外の何でも平気で行えるのですか?)

しかしながら、例え、その困っている人が

悪い人でも、

例え、それが敵であっても『救う』こと。

それがナイチンゲール思想です。

赤十字も、医療従事者も、それを汲んでいます。

ある外国には、車椅子の人が階段を見上げていると、

知らない人たちが自然と集まって来て、

その人を階段の上まで、頼まなくても運んでくれる町が有ると言われた日本人がおられます。

私たち、日本人の内面パワーとアイデンティティーは今、どこを旅しているのでしょう?

AED普及率は2005年以来のPR努力にも拘わらず、

30%

だとのこと。

2019年現在で

あれから

14年が経過しました。

日本人の心はまだどこかに旅行中なのですか?

まだ『関係ないね』と言っているのですか?

台湾の首相は、

日本が災害に見舞われた時、メッセージを発表して、その中で

『私たちはいつでも要請があれば、直ぐにでも援助する覚悟が出来ています。』

と言われました。

東日本の災害の時、カレーライスの炊き出しをしてくれたのは、生来の黒い顔をした人たちです。

『言葉があまりわからない私達でも、言ってくれたら、ここの人たちを助けたい気持ちがあります。』

そう言って日本の人々に申し出てくれたのです。

私たちは外国の人、国内の今、困っている人に対してはどう言えますか?

災害国、ニッポン。

200の活火山と3000の活断層の上にある日本。

今、日本には『トリアージュ』と言う緊急時の救助支援医療チームが構築されています。

自然災害に対応すべくあちこちで予行訓練が為されてもいます。

各自治体でも、自然災害の警告や対策のマニュアルも出されています。

一般企業の高層ビルでも、津波の時には逃げ込める場所として提供出来るよう協力協定が為されています。

それでも、

『もし、津波が来たら自分は逃げずに死ぬ覚悟は出来ている』。

そう言う努力しない人も現実にいます。

もし、その人を救助に向かった人が見捨てたら、その人は何と言うでしょうか?

『人間なんて、やはり、頼りに成らない冷たいものだ!』

と不平・不満・文句 を呟きながら亡くなろうとでも言うのでしょうか?

もし、引き返して来られた救助隊にもし、その人が救われたとしたら、

何と叫ぶのでしょう。

『自分なんか救ってくれなくても良かった!』

『ほっといてくれ!』(プンプン😠💨)

と、言いながら救命ボートに乗っているのでしょうか?

(以前、それに似た反対の事件がありました。事故の時、いち早く救援船に乗っていたのです。カメラの眼は見逃しません。その人が笑みを浮かべていたことを。何故、そんな時、笑みを浮かべられる人がいるのでしょう。人間の目には分からなかった事柄でしょう。)

こうした、全てのことを一切見過ごして敵でも助けることがナイチンゲールの思想です。

人は誰しも心の病気を持っています。

自分一人だけで生きていける人は絶対、いませんし、

心と頭は違ったことを考えている時と事が有ります。

医療チームの団体力。

命はアンバランスの時には、モタモタして判断している暇はありません。

アンバランスな時の命には限りがあるからです。

医療従事者たちのチームワーク力が試されます。

凄い集中力と体力、気力を一人の人の為に注ぎ込んでいるのでしょう。

私も救命救急士にお世話になったことが有りました。

そして、ある日、自らがAEDや新蘇生のことを学びに行き講習を受けて来ました。

親しい友達にその話をしたら、感動したその友は『特別講習』を受けて来ました。

私はそれを知らず、一般講習と普通講習止まりでした。

心肺蘇生の技術を学ぶとき。

ご存知だと思いますが、心肺蘇生のテンポは1分間に100-120回の速さです。

音楽の好きな方は、メトロノームでもその速さを確かめたことがおありでしょう。

私たちは1分間に60回の速さだと言われています。

平静の時のさざ波と呼吸数は同じだとも言われています。

処が、アンバランスな体の時には速いのです。

その心臓が止まってしまってから5分間のタイムリミットです。

自分が体力的に辛いなら、予備軍チームを作らなければ、自分が大変になり他の人に迷惑が掛かります。

それほど、心肺蘇生の為の心臓マッサージと言うのは実に大変なのです。

普段、運動やスポーツなどで体を鍛えられている方なら、その100-120テンポは行えるでしょう。

それを念頭に置いて、さまざまな協力者を最初の発見段階で要請しておく必要が生じます。

(AEDと心肺蘇生につきまして、詳しくはもよりの所轄消防署にお問い合わせください。無料講習が定期的に開催されています。)

そうしたことを考えても、やはりチーム力です。

人は誰一人、孤島の島で独りだけでは生きていけません。

横井しょういちさんや小野田しょうへいさんとは生きていく知恵と内面パワーが現代人の私たちは低下しているのです。

全ての人に臨む災いと予期出来ないこと。

たった1人より、

チーム力の頼もしさを

その時には感じることでしょう。

チームだから出来たこと。

大切なたった1人の人の命を救う重要な事も、

チームで無ければ行えません。

その始まりは、無力だとされる1人の人の小さな『勇気』を

大きく『奮い立たせる』ことなのです。

私の言葉が多いのは、話が下手だからです。

言葉を知らず、ボキャブラリーが不足しているからかも知れません。

それでも、かつて~最近までの事件の中で既に亡くなった方々には幼子たちも言葉が足りなかった人もいることでしょう。

私が吠える獅子、哭きたける犬、高い所で鳴くカラスの様になれば、そうした人々の代弁と成ります。

住みやすい日本、住みやすい人たちと他を変えることは出来なくても、自分を変えて行くことは出来ます。

そのきっかけは、小さな自分の中のもう1人の自分の中に縮こまっている小さな『勇気』を起こして、スイッチONにしてあげて、大きくすることはできるのです。

最後まで長文にお付き合い頂き厚く礼を申し上げます。

あなたのご家族、お友達、あなた自身がずっと健康でお暮らしされますことを。

📸巻頭の写真は、早朝の小雨の中、未来の逞しい子供たちがヘルメットと雨ガッパを着て、陸橋を渡りその近くの中学校へと急ぐシーン。(AM6:40頃)Photo/Yamashita Hideji.

©️06 July 2019.お題/#チームだから出来たこと。Work No.18.(My note)
1人の命を周りの命が救うこと。
『命の空白時間』の為に出来ること。
Words by Amembo-Aoina.& 39Thankyou

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