東洋の神秘性と表現性の謎 ~ゲームと漫画は真実を宿す~
ゲームと漫画が示す真実。
それがなんなのか?
知っているものは、
どれだけいるだろうか?
それは、
ゲームと漫画を作る、
と言う視点から物事を考えると、
良く分かるものになる。
ハッキリ言うのなら、
上辺だけの理解では、
絶対に真似ができないものが、
ゲームと漫画の真骨頂になる。
そういうことって、
創造性を知るほどに、
分かるものになる。
しかも日本のゲームと漫画は、
他の国とは比べ物にならない位に、
その中身と精度が高い。
その事実とは、
本来の日本の凄さを実は示している。
それがどの様に凄いのか?
というと、
その多様性にこそある。
特に、昔のゲームと漫画の深さときたら、
現代のゲームと漫画を比べると、
天と地程の差がある。
その訳を知っているものは、
どれだけいるだろうか?
これは勘違いではなく、
見る目があるものが見れば、
直ぐに分かるもの。
もし分からないのなら、
今見えている世界は、
平面的にしか捉えられていないことと、
同じになる。
物事とは、
立体的に見えるからこそ、
そこに真実性が隠れているもの。
それを実感するには、
裏(頭)と表(心)を知る必要があって、
立体的に物事が捉えられるほどに、
昔のゲームと漫画の凄さが良く分かるもの。
だからね、
そうして、
自身がどれだけ真実が見えているのか?
自身の目を通して、確かめて見て欲しい。
現代のゲームと漫画、
昔のゲームと漫画。
その違いを明確に理解して欲しい。
その違いをあえて教えるのなら、
全体性との調和性。
タイミングと間の使い方。
表現の奥深さと多様性。
裏と表の一体感。
更には、
映像と音楽の一致感と流動性。
物語を感じさせる音楽の躍動感。
声優の声の質と厚みと豊かな表現力。
機械的ではなく、柔軟性の高い統率力。
多彩なストーリー性と深みのある内容。
謎が謎を呼ぶ、人ではなく、
自然を主とした物語性。
画質や画像はある意味、低クオリティだが、
低クオリティの良さが逆に滲み出ている。
だからこそ、
オリジナル性から生まれる、
味わい、色気、気品、雰囲気に溢れている。
現代との差はそこにあって、
現代は外枠を綺麗にすることに囚われ、
中身を失った。
そして失った分だけ、
オリジナル性はなくなり、
目には見えない中身が、
どんどん失われていった。
だからね、
中身は外枠を綺麗にするだけじゃ、
作れないんだよ。
泥臭いことだけが、中身を作るんだよ。
この意味が本当に分かるだろうか?
まさに現代の人々の在り方と、
同じだと思えないだろうか?
物事の具体性(物質性)を得る変わりに、
その他の要素(心)を犠牲にした、
と言えないだろうか?
果たしてこれが、
進化と言えるのだろうか?
全ては、
外枠の作り方に囚われ、
中身を失った、
と、言えないだろうか?
と言うか、そうとしか言えない。
もし分からないのなら、
ハッキリ言って見る目がない、
としか言えない。
この世界の理解は、
物事の1部分しか捉えられないのなら、
とても理解できるものではない。
そう考えると、それを表しているのが、
ゲームや漫画、と言える。
その証明として、
理解が足りていないからこそ、
現代の表現は全てが浅いものとなっている。
その浅いものを、上辺だけの理解と言って、
その上辺だけを徹底的に学ばせたのが、
現代になる。
だからこそ、
なんの深みもないもので、
世界が溢れている。
その現象と結果を、分かりやすく言うのなら、
正しいのか、
それとも、
間違っているのか?
結果(物質)ばかりに囚われ、
成果(心)の大切さを忘れ、
そういう在り方が、
理解の在り方をおかしくした。
全ては、
見解の狭さが、
今風と言う、浅い世界を生み出している。
今風とは、
カッコいいか?
それとも、
可愛いのか?
または、
綺麗なのか?
そういう狭い見解そのものが、
人の中見を枯渇させている。
人付き合いを余計に難しくしている。
だからこそ、
現代のものは、
その多くが、形だけの浅いものばかり。
実際に蓋を開けて見れば、
その中身は、ほとんどない。
パッケージが綺麗なだけで、
本当にしょうもないものばかり。
最早、詐欺と大差がない。
詐欺に近いからこそ、
そろいもそろって、
取って付けたようなことばかりを言っている。
だからね、
形を作ることと、
中身を育てることって、
別物だよ。
その別物を同じものとして考えているのが、
現代の落ち度だよ。
そういうことに気が付いているものは、
どれ位いるのだろうか?
そう考えると、
全ては、
段違いで、
そこには、
圧倒的な空間認知能力の差があることが、
現代と昔との違いになることが分かる。
だからこそ、昔は、
空間認知が優勢で、
物質認知が劣勢だったことが分かる。
言い換えるのなら、
昔は、
精神文明よりで、
今は、
物質文明よりになっている、
と言うことになる。
だからね、
何かを学ぶのなら、
昔から学んだ方が良いよ。
現代から学ぶと、何も本当の意味では、
身に付かないよ。
逆に、
昔は、深みが沢山あるからこそ、
中身に直結するものばかりだよ。
ゲームや漫画は、
ストーリー性があるからこそ、
その全体像が掴みやすく、
全体像を掴むからこそ、
理解って深まるものだからだよ。
だからね、
お勧めのゲームと漫画、
教えておくね。
古すぎるものは、
逆に分かりにくくなる場合もあるので、
その中間層と言えるものを、
教えるね。
お勧めのゲームは、
ゼノギアスとゼノサーガ、
これは、宇宙をテーマとした壮大なもので、
裏を返せば、
日本が宇宙の知恵と知識を持っていたことが、
伺えるゲームになるよ。
後は、
クロノトリガーや、ファイナルファンタジー、
ドラクエなど、
定番なものになるね。
深さがあるからこその、
物語と内容になっているよ。
確かな繋がりがなければ、
絶対に作れないもの、
ってことだよ。
後は、
日本の深層を知りたいのなら、
俺の屍を越えてゆけ、とかも良いね。
他にも上げればキリがないので、
ここまでにしておくね。
後、お勧めの漫画はね、
HUNTER×HUNTER、
バガボンド、
ベルセルク、
この3つになるよ。
HUNTER×HUNTERは、
宇宙的世界観と多様性の極み。
バガボンドは、
人の深層心理と達人の考え方。
ベルセルクは、
ファンタジーから読み取れる、
この世界の裏の深層。
分かりやすく言うのなら、
闇の根元とその理由。
それと、
火の鳥もお勧めなんだけど、
古すぎるから気になる人は、
実際に見て確かめてね。
ちなみに、
映画でも1つぶっ飛んでいるのがあって、
それが、
フォースカインドになるよ。
フォースカインドは、
宇宙人にアブダクションされる内容で、
その内容が、
やたらと信憑性があるものになっているよ。
特に気になる部分が、
人の顔だよ。
演技では不可能な顔をしていて、
その顔が真実性を示しているよ。
人相学を何となく分かる人なら、
見る価値はあるかもね。
結果、
何が言いたいのか?と言うとね、
認識力を高めたら、
そういう世界にある不思議に、
自然と疑問を持つようになるよ、
ってことだよ。
その疑問を自身で紐解くと、
様々なことが自身で読み解けるようになるよ。
そのきっかけとなるものが、
ゲームであり、漫画だよ。
ゲームや漫画とかって、
簡単に操作できるものでないからこそ、
そこにこそ、
信憑性が宿っているんだよ。
裏を返せばね、
ゲームや漫画ってね、
そこら辺の啓示より、
よっぽど中身があるんだよ。
中身があるからこそ、
天からの意志がそこに感じられて、
その現象そのものが、
最早、
人智を越えていて、
人智を越えているからこそ、
作る人に託された、
神からの信託そのもの(予言そのもの)、
とも言えるんだよ。
頭の硬い大人ほど、
そういうことが分からないけどね。
何故それが分かるのか?と言うと、
とてもじゃないけど、
一人の人間の力で作れるものじゃないからだよ。
そう言うことがね、
創造力を得るほどに、
分かるようになるんだよ。
どう考えたって、
理屈で作れるようなものでもないし、
理屈でないものって、
感覚を主にして作られている証拠なんだよ。
だからね、
感覚を宇宙に繋ぐことが可能になると、
そういう不自然な作品の凄さが、
自然と分かるようになるんだよ。
その不自然を読み解くだけで、
分かることが沢山あるんだよ。
宇宙を知ることって、そういうことで、
身近にこそ、多くの謎が隠されているんだよ。
見付けられないのは、
表面的にしか物事が見えていないからだよ。
だからね、
簡単に分かるものの中に、
答えなんてないよ。
世界を読み解けてこその答えだからだよ。
だからこそ、
身近を解くほどに、
理解って勝手に深まるものなんだよ。
難しい勉強なんてその後で充分なんだよ。
まさに、
宇宙を表現していたのが、
「日本」
となることが、その時に分かるんだよ。
他の国との表現性の違いと、
内面の深さの違いを読み解ければ、
そういうことって、
自然と腑に落ちるからだよ。
まさに表現者こそ、
答えを授かりしもので、
体現性こそ、
答えを導く鍵なんだよ。
だからね、
体現なき理解はないよ。
表現なき理解は浅いよ。
深さはその2つを兼ね備えることだよ。
理屈は後付けだよ。
その表現の深淵にいたものが、
日本だよ。
だからこそ、
その在り方そのものが、
日本こそが、神の国、
と言うことを表していて、
他の国が簡単に真似できないからこそ、
日本はそもそも、
他の国と在り方そのものが、
違うことも分かるんだよ。
分かりやすく言うのなら、
起源は日本で、
日本は、0から1を生み出す文明。
その他の国は、1から生み出す文明。
ってことだよ。
だからね、
他の国のやり方が、日本に適応する訳がないんだよ。
0と1の違いは、
0は、内側から学ぶこと。
1は、外側から学ぶことだよ。
内側は、創造性(体現性)を宿すこと。
外側は、模倣性(二面性)を宿すことだよ。
言い換えるのなら、
内側は、東洋思想、
外側は、西洋思想だよ。
直ぐに結果が出るのが、
西洋思想(科学信者)で、
なかなか結果が出ないのが、
東洋思想(自然信仰)だよ。
その違いが、
深さと浅さの違いだよ。
形に終わるのが、浅さの宿命で、
無形に始まるのが、深さの深淵だよ。
生命の理解は、深淵の理解で、
物質の理解は、宿命の理解だよ。
宿命は越えてこそ、
真の理解となるものだよ。
そのことを、
「東洋の神秘」
と言うんだよ。
東洋の理解は、外の適合性には遅れが出るけど、
内の整合性は、抜群だよ。
西洋の理解は、内の適合性には遅れが出るけど、
外の整合性は、抜群だよ。
そういうものが、
東洋と西洋の違いだよ。
何事も陰陽なんだよ。
ただ、
東洋あっての、西洋と言うのが、
本当の答えだよ。
自然信仰あっての、物質信仰だからだよ。
全ては順序あっての、サイクルだからだよ。
だからね、
総ての謎は、東洋文明が握っているんだよ。
そのことを示しているものが、
ゲームと漫画の質そのものなんだよ。
形に囚われなくなることが、
それを知る唯一の手段だよ。
感覚を開くことがそのきっかけになるよ。
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