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カンボジア15年の歳月

2009年からカンボジアとの関わりを続けているということをカンボジアにいる友人から言われて自分のことながら驚いた。実に15年。そんなに過ぎてしまったのかという驚きと、そのこと自体に気がついていない自然な感覚が、どこか嬉しい。

若かった頃に感じたエネルギーはもうない。今は、やたらと涙もろくなったおっさんが、カンボジアの大地をヒタヒタ歩きながら昼間からビールを飲んで、涼しくなったら子供たちと遊びながら、子供たちの成長に感動してワラワラと嬉し涙を流すという、平和で幸福な日々を楽しんでいる。

子供たちが作ってくれた大きな手紙

当時、何も分からないといったような雰囲気の子供たちは、メキメキ成長して、新たなビジネスを作り上げ、自分の未来を自分で歩こうと切磋琢磨している。目の前の利益を追わず、自分を信じて大学に進む子供たちも多い。

我々がやってきたことは彼らの人生にとってほんの1ページに過ぎないだろう。人はどう感じているか分からないが、私は自分のためだけには生きていけない。誰かのために生きていこうと思った時、私の脳はまるでターボエンジンに加速がかかった時のようなブーストがかかって思考がフル回転する。そうして作り上げた、あるいは生み出したプロジェクトは、お金はあまり稼げなくても、むしろ足りなくなってしまっても、そこには愛があって、平和があって、人間が人間らしく生きていく養分で満たされている。その養分は、私の心をあっと言う間に浄化していく。

支援でいただいたウィールとトラックに市場で買った板を取り付けてとスケートボードを作る
初めてのスケートボードに乗るカンボジアの少女

子供たちはみんな、私がカンボジアに来ると、真っ直ぐに私を見つめてどれだけそのことが嬉しいかを伝えてくれる。その思いは私の心を射抜き、生きる力となって残留する。

「おかえりー」その言葉でどれだけ救われているか。

感謝すべきは私の方なのだ。いつも大切なことを教えてくれているカンボジアは、私の第二の故郷となり、私がどこにいても、体の奥底で暖かいエネルギーとなって息づいている。

私にできることは限られている。時間も無限には与えられていない。だからこそ、私は私の命が途絶える瞬間まで、私にできること、思いつくことを、正直に再現していこうと思う。

クーレン山から広大な田園地帯と地平線を眺める著者


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