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犬とエゴ

ぺぺぺの会の上野恩賜公園での公演
『ほえあ・ゐず・つん? (Saigo’s DOG)』を観た。

https://twitter.com/pepepe_no_kai/status/1156897334749323264?s=19

「学生団体おりがみ」さんとの企画だそう。所属している友人から去年、千葉大学でのイベント(その時は東京オリンピックについて福祉や環境など、様々な分野に分かれてアイデアを出し合ったり、ゲストの方の講演を聴くものだった)に誘われて参加したことがあったので、こんな所でも接点があるのだなと驚いた。

先日まで『夢の旧作』に出演させていただいていたが、実はぺぺぺの公演を観客として見るのは初めてで少し緊張していた。野外のステージなのでぺぺぺの会を知らない方はもちろん、演劇に興味のない方も足を止めるだろう。特に、事前情報の段階から「また変わった角度から攻めるなぁ…」と思っていたので、高尚なネタ(個人的にはそう捉えている)が何も知らないお客さんにウケるのか、果たして足を止めて観てもらえるのか、今日の私は一観客のはずなのに、何だか演者の側に立って緊張していた(笑)

「〇〇さんのここが良かった」とか具体的な感想を抱いた方が絶対にいいのだろう。ところが今日はセリフの意義についてずっと考えながら観てしまった。

今回の公演がお客さんに生でどんな印象を与えるのか、単純に興味があったのでお客さんの表情に注目して観ていた。腕を組んだり、顎を触っている人。何かを読み取ろうとステージを凝視する人。スマホでステージを撮るのに夢中になっている人。演者とゼロ距離で介入できる子供たちの好奇心(自由に触ってくださいと字幕があったので、その影響も大きいのだろう。舞台を観ていると一瞬忘れてしまうほど、子供達の自由度は高かった)。
言語は犬語なので両サイドにそれぞれスケッチブックで英語と日本語の字幕も書かれていた。(実は少しずつ内容が違うそうで、字幕だけでももう一度見返したくなった。)

無差別的に色んな人が通る環境、演者は人間には理解できない犬語を喋る。字幕にも注目しなければいけない。情報が散乱する中で自分が注目したらいい対象は何なのか…全てを処理していたらいつの間にか分からなくなって、ただ立ち尽くしてしまっていた。

ぺぺぺの会の演出脚本を担当している宮沢大和さんから先日ある企画書をいただいて、その中には「夢の旧作のような無言劇の手法にこれ以上深入りしてはいけない」といった内容が書かれていたのを思い出した。明確なセリフのない演劇の意義とは何だろうか。では一方で、セリフのある一般的な演劇との間に差はあるのだろうか。

考える必要があるかないかは一度置いておく。だが深く考えすぎてしまっては私自身の真理への意思を強くしてしまうだけで、純粋な演劇を出来なくなってしまう。楽しめなくなってしまう。そんな悪寒もした。だからこれまで打ち込んできた普通の演劇の景色はどんなものだっただろうかと、過去を取り戻すように心が働いていた。

ただ確実に意図のあるものを、表面上だけで「人間が犬になって騒いでいる」とか「何か変わったことをしている人達だ」とか浅い思考だけで済まされてしまうのも何だか違う気がして…でも私は今回演者でも演出でも何者でもないただの一観客だから、あれこれ言うのは適切じゃないと思って…空虚な身体になりながら帰路についた。

楽しみ方は相対的なのだ。そう自分に言い聞かせて。

【画像元】byぺぺぺの会 @pepepe_no_kai

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