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NASA Strategic Design Studio④:お前もおれも、皆宇宙。feel macrocosmos & microcosmos 〜問題定義編〜

Markのクリティカルフィードバック

プロジェクトで探求したい前述の3つのキーワード(Economy・Health・Community)と、それらに付随するいくつかのリサーチテーマをプロフェッサーMarkへプレゼンします。例によって自分達の考えをプレゼンし、それに対して皆でクリティークをしていくスタイルです。はじめのフィードバックはおおよそ以下のようなものでした。

  • 3つのバケット(Economy・Health・Community)それぞれの関係性は?独立しているの?互いに関連し合っているの?

  • それらを観測するためのレンズは?

  • より上位のミッションとそれらのバケットをどう整合させる?

  • 例えば、潜水艦調査では何が起きているの?(狭い乗り物・少ない人数で危険を伴う未知なる領域への調査をするという類似性)

などなど、インサイトフルなフィードバックをいただきました。ちなみに個人的には、Economy分野の「What will the lunar economy look like?(月の経済はどのようなもの?)」を追求してスペキュラティブなアウトプットをするのも面白いかな〜と思っていたのですが、それに対するMarkの反応は意外と冷たく、

「月とか火星は次のステップや。まずは既存ドメインのLEOや。そこのモデルが月へ、火星へと複製されていくはずや。ゆえに、人類が本格的に宇宙へ進出する際に起こるイベントの基礎を、現在の与えられた状況(ISS・NASA・NL等)を使ってプロトタイプするんや。」

Feedback from Professor Mark

多分関西人じゃないんですが、私の脳内ではこのように変換されていました(今後も引用部分は関西弁になる可能性ありです)。ストラテジック〜と思わず感服してしまいました。プロジェクトをスタートするにはまだ早い。そもそものプロジェクトテーマを考えるのにもっと時間を割け、とのことです。

生物?歴史?哲学?これはデザインですか?

Economy、Health、Communityはそれぞれ独立して存在するテーマなのか?それとも関連しあっているのか?この点についてMark含め皆でディスカッション。とある生徒が”ecosystem”というキーワードを出します。そのプロンプトから私の脳内に保管されていたTerry Irwin先生の”Holarchy in the natural world”のビジュアルが取り出されました。(人間はChatGPTっぽい挙動をしている)

Terry Irwin, "Holarchy in the natural world"

宇宙が舞台のストラテジックデザインとなると、このフラクタルな構造が使えるに違いない!と反射的にホワイトボードの前に立ちます。CommunityとSystem(EconomyはSystemレイヤーの一表現形態と位置付け)でネスティングし、Communityの下層にIndividual(個体)という概念を設けてみます。(利き腕を派手に骨折しているため左手です。自分でも何書いているかわかりません。)

授業でのディスカッション後に残る謎の板書たち

すると、”Health”ってこれらのコンポーネントの望ましい状態のことじゃないか?と議論が進みます。となると、”Health”は人間だけに当てはまるものではなく、コミュニティや経済(社会)にも存在しうる状態だよね? → Healthを形容詞にしてみるとどうだろう?

こんな感じで、思ってもみなかった方向に議論が進んでいきます。

最初期に出てきたモデル

デザインスクール留学中に感動したワンシーンでした。ちょっとした、たたき台から議論が膨らみ、新たなアイデア(それもまた次へのたたき台)へとどんどんと進化していくのです。

全体を通して、Markがやっていたことはクリティークというより、生徒からのプロンプトを得てリアクションを返している、という感じでした。それが次のプロンプトになり、さらに別の生徒がアイデアを膨らませ、また別の生徒が概念図に落としていく(みかどは主にここ)という、何とも不思議なprompt-reactionの関係で授業が成り立っていました。

何か意見を発する際に、正しいのか?この発言に何か意味はあるのか?と事前に考えすぎて発言を躊躇してしまうことがあると思います(自分も典型的なそれ)。その時に、これが誰か別の人の脳を刺激するためのプロンプトになるかもしれない。その場では何も起きなくても、どこか別のタイミングで酵母菌的な作用となりアイデアの発酵を促すかもしれない。そう考えると、何かを吐き出すことのハードルが大きく下がります。このダイナミズムを感じられたのはParsonsの授業設計の緩さゆえかもしれないと思うと、学校運営の不完全さへも感謝です(不完全が創造を促すは真)。

Modeling what?

ここからは、Individual・Community・Economyなどの諸要素の関係性モデリングと、Health(or being healthy)の定義付けを行なっていくことになりました。↓このような謎の図がMiro上に乱立します。

グループ1のエコノミーモデルPrototype

モデル作りは2チームに分かれて行いました(基本は15人1チームなのですがタスクベースでこのように分けることもあります)。ミーティングに参加できる日程別で2グループに分かれたため、グループ1に10人超が結集し、僕のいたグループ2は4人ほどの生徒だけでした。少人数の方が幾分作業は捗るわけですが。

この時点で授業が始まって3週間ほど経っているのですが、既にフリーライダー的挙動をする生徒が3分の1ほど発生しています。彼らは遊牧民のようにfruitfulな戦場を嗅ぎ分け、そちらへ参加します。なるほどグループ1が大所帯になるのも納得できるわけです。意欲的な生徒たちがミーティングを前に、既にMiro上にアウトプットを始めています。一方グループ2のMiroは文字通りホワイトキャンバスです。ご多分に漏れずグループ1へ参加したかった私ですが、NYのヤブ医者とのセッションがあるため予定が合いません。渋々何もないホワイトボードを何かしらのデジタル物体で埋める作業に取り掛かるのでした。

そんな話はさておき。優秀なグループ1の生徒が現行のNL(ISS National Lab)と世の中の関係性については既に議論をしている模様です。さて残されたぼくたちは何をしようかしら。4人でのミーティング日時は決まっていますが、Miroには誰の作業の形跡もありません。おそらくはその場でドローイングしていくスタイルを想定しているのでしょうが、臆病な私にそのような即興プレーはできません。ましてや英語です。ひとまずホワイトボードのある図書館の一室を予約し、思索に励みました。

大スペルミスにも一切アテンションを払わない思考過程

ブルックリンの夜に右上腕骨を捧げてから2週間が経過し、そろそろ左腕とホワイトボードの相性が良くなってきています。ちなみにこの時点ではまだPCすら触れませんでした。世の中のあらゆるデバイスは利き腕が使える前提で設計されすぎているな〜と、骨折者向けのニッチなプロダクトの現出を幾度となく望んだものです。この間は、Parsonsの先輩がつくったこのパーソナルホワイトボードに救われました。(アフィリエイトでも何でもないですがご紹介)


先ほどのホワイトボードに書き出した表は、経済人類学の祖カール・ポランニーが著書『The Grate Transformation』で言及している”Embeddedness”の概念をこのプロジェクトに応用できないかと考えを巡らしていたときのものです。そもそも解くべきお題は何なのだ?ということを、そこそこ真剣に考えました。1st semesterのNew Economy & Societyという授業でこういった文献に触れられたのは、今思うととても有意義な時間でした。ストラテジックデザイン文脈で、歴史・哲学・人類学などの人文学を学ぶ理由に合点がいきます。そもそも何もないところから思考を展開するなんて無理なんです。先人に感謝。

前回の授業で出てきた、Individual・Community・Economyの関係性を、ポランニー的枠組みに当てはめて考えてみました。人間の活動の舞台が、地域 → 地球(グローバル)→ 宇宙と広がる中、Individual・Community・Economyの関係性はどのように変遷してきたのか?それぞれの世界観でのコモンセンスは何か?今後宇宙へと活動の範囲を広げていく上でそれらをどのようにデザインしていくのか?という具合に思考を展開しました。この時点で何となく、個人〜宇宙レベルまでの各コンポーネントを含めた全体の系(Ecosystem)のHealthyな状態を定義し、NASA・NLというデバイスを使ってどのように既存システムをそのHealthyな方向へ仕向けていくか、というのが今回のお題ではないか?とアプローチへの仮説が立ちました(この授業が本当にそんな壮大なテーマを設定するつもりだったかは疑問です)。

早速こいつをたたき台としてMiroにぶち込んでミーティングをしましたが、あまり盛り上がらず、一旦そのまま授業に持って行ってディスカッションしようとの結論に。きちんと論点を準備できなかった。いつまで経ってもミーティングのファシリテートは難しい。

グループ2のMiroボード

スライドに落とすフェーズでもないのに、手書きメモをそのままMiro上のチャートにするという謎の貢献への活路の見出し方をする人もいます。何かしらで貢献しようとするのは良いことです。一見、無駄に思えることも、バタフライエフェクト的に何かのトリガーになるはずです(実際、チャートに落とし込めていなかったコメントがあり、その点をクラスで議論する過程で本プロジェクト最重要キーワード”Balance”が登場しました)。

思いの外長くなってしまったので、続きはまた次回。

良い1日を!


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