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My Favorite Things(3) セレンディピティとしてのスターバックス

本を読んでいて気になるところに貼ったり、書類にメモを書く際に書類に直に書くのは躊躇われるときなど、付箋紙を使う。付箋紙はその色や大きさや形はさまざまで、ビジネスライクな矩形のものでさえ様々な種類があるが、ちょっと遊び方向に振ったものになると、様々なデザインやキャラクターなど凝った形のものもある。今や我々の日常生活に欠かすことのできない付箋紙は元はアメリカ3M (スリーエム)社のPost-It(ポスト・イット)という商品であり、「付箋紙」という名称は日本で展開する住友スリーエム社が命名したものだ。

この付箋紙ことポスト・イットは3M社にて強力な接着剤を発明しようとしている際に、目的とは逆に非常に弱い接着剤を発明したのが誕生のきっかけだったという。この弱い粘着力を何かに使えないかと考え、本の栞のように使えるのではと思い立ち、発明されたのだそうだ。偶然のきっかけから大きな発明を生んだ例としてよく取り上げられる。そうして発明されたポスト・イットはその後世界中に広まり、あらゆる用途で使われている。おそらく世界の生産性を高めるのに大きな貢献をしたと思う。今日も世界のあちこちの本のページに貼られ、あるいは書かれていることだろう。そう考えると偶然とはいえ偉大な発明品だ。


今回はスターバックスの話をしようと思う。スターバックスについて考えると、この3Mのポスト・イットを連想させる。スターバックスはコーヒーショップだ。その価値は本来は美味しいコーヒーやコーヒーに合う食べ物にあるだろう。しかし、現在のスターバックスの価値をその美味しいコーヒーとして捉えるのはちょっと違うように思う。

スターバックスは1971年にアメリカ・シアトルに創業した。当時はコーヒーの焙煎の会社であり、今のような展開はしていなかった。1985年、のちの会長になるハワード・シュルツが同社に入社したが、その後2年ほどで彼は独立してエスプレッソを中心とした店舗を展開しこれがヒット、1987年には古巣のスターバックスの商標と店舗を買い取り、全米そして世界展開をはかり、今のスターバックスに至るわけだ。

ハワード・シュルツが展開し人気を博した当時のアメリカでのスターバックスのことを覚えている。アメリカに住む叔母は、ようやく美味しいコーヒーが飲める店がアメリカにも出来たと喜んでいた。私もアメリカに出かけた際、確かロサンゼルスで開催されたカンファレンスの時だったように思うが、初めてスターバックスに行き、コーヒーとシナモンロールで朝食を摂った覚えがある。これまでアメリカで飲んできたコーヒー(まあ、美味しくはない)からすると、なかなか美味しいコーヒーで、それからしばらくは毎朝スターバックスのコーヒーを飲んでいた。

メグ・ライアンとトム・ハンクスが出演する1998年の映画、”You've Got Mail"(ユー・ガット・メール)にもスターバックスは登場し、スターバックスを「2ドル95セントを払って、サイズやコーヒーの種類、ラテなど、瞬時に決断力を試される場所」だとトム・ハンクスが語っていた。冬のニューヨークに滞在した際、毎日のようにスターバックスに行ったが、そのシーンをちょっと思い出して面白かった。もしかしたら日本でのスターバックスの初期の認知はこの映画のおかげかもしれない。

1996年の夏に、銀座松屋通りに日本一号店がオープンした。実はこのオープンの日、私も長蛇の列に並んでコーヒーを注文して飲んだのだった。あのスターバックスがいよいよ日本にも上陸するかと嬉しくなった。その後、お茶の水にも二号店となる店舗ができ、破竹の勢いで都内あちこちに出店した。当時はブームの最先端であり、これはブームの飲み物としてだけでなくビジネス書でもスターバックスのビジネスモデルや既存の日本の喫茶店の淘汰が取り上げられていた。銀座の店舗もいつもいっぱいでなかなか入ることができなかったし、当時の私の家から近い池袋に出店した店舗にも連日行列ができており、コーヒー1杯買うのにも苦労した。

現在、当時の一大ブームは落ち着き、店の外まで並ぶということはなくはなったが、今でも大抵のスターバックスは満席に近く、席を確保するのに苦労する。おしゃれでブームな飲み物を飲むというより、場所・空間として滞在することに価値を見出しているようなところはある。スターバックス的ライフスタイルというか、ややお高いけど、スタバのコーヒーを手に、 MacBookを叩いたり、勉強をしたりするアーバンなライフスタイル・・・ そういうのを提供するのだろう。

現代のスターバックスにおいては提供価値はコーヒーではなく場の提供なのだと思う。おそらくスタバのライバルはもはや喫茶店ではなく、公園や映画館やセレクトショップ、図書館や書店などなのかもしれない。快適な時間を過ごすための空間、そのあたりの価値を、本来のコーヒーの味を差し置いて、一義的に考えているふしもある。

私は当時からスターバックスは結構好きで、今も週に何度もスターバックスに出かけている。今や現金やカードを持つ必要もなく、スターバックスのモバイルアプリで支払うことができるので、スマホさえ持っていけばいい。本を持っていって読書したりMacBookを持っていって作業をすることもあるし、家族とお茶することもある。感覚的にはおいしいコーヒーを飲みに行くというより寛ぐため。リビングの延長線上にある。

最も多用するのはSTARBUCKS RESERVE(リザーブ)という上位グレードの店舗だ。置いてあるコーヒーはシングルオリジンのものが中心で値段は一般の店舗の倍以上する。空間も凝った作りで一般店舗よりさらにくつろぎの空間が提供されている。

リザーブで供されるナイトロ・コールドブリューという窒素が入ったアイスコーヒーが特に気に入っており、冬場でも一杯目はナイトロコールドブリューを注文する。コールドブリュー、お湯ではなく水から抽出したコーヒーで、ダッチコーヒーとも呼ばれる。水流を極限まで絞って、ぽたっ・ぽたっとコーヒー豆に水を垂らすガラスの装置を設置して提供する昔ながらの喫茶店もある。一般にダッチコーヒーは抽出には恐ろしく時間がかかるが、スターバックスでも14時間かけて抽出しているそうだ。熱を加えないので苦味が少なく、カフェインも抑え気味、口当たりの柔らかいマイルドなコーヒーに仕上がる。ナイトロ(nitro)は英語で窒素を表すNitrogenから取られている。このコールドブリューコーヒーに窒素ガスを加えて泡を作り出しているのだ。

注文すると専用のビアサーバのような金色の装置の下に店員さんがグラスを置いてレバーを引く。そうすると一本の筋のような細い流れになってグラスに静かに落下する。勢いはなくスーッと。やがて適量まで注がれると店員さんはしずしずとレバーを戻す。運ばれてきたグラスは乳褐色の液体と上部に白い泡を湛えた状態である。ギネスビールに見た目はよく似ている。見た目はビールの泡っぽいがこの泡は炭酸の泡ではなく窒素の泡。爽快感やしゅわしゅわ感はなく、ただでさえマイルドなコールドブリューコーヒーをさらにスムーズにするのに一役買っている。そうしてしばらく経つと、乳褐色から褐色のコーヒーの色に戻っている。放置時間が長くなると普通のコールドブリューになるので、早めに飲んだほうがいい。

かつては利用されるコーヒー豆が時期によって入れ替わり、価格は高級寿司店同様「時価」であった。800円ぐらいのこともあれば1000円を大きく超えることもあった。この豆はナイトロに合うなぁとか、いまひとつ合わないなぁとか評価するのもなかなか面白くはあった。ただ時価というのは販売しにくいのか、店側も対応が大変なのか、登場からしばらく経って、利用する豆が専用のブレンドになり、価格も固定されるようになった。今の豆は確かにナイトロに合う。

STARBUCK RESERVEのソファ席に座り、ナイトロ・コールドブリューコーヒーを飲みながら静かなひと時を過ごす。家、職場に次ぐサードプレイス。さまざまな人の仕事や生活を支え、ポスト・イットのように世界の生産性を向上させていることだろう。スターバックスが提供するのはそういう時間そのものなのだろう。

そう、世界は素晴らしいモノで満ち溢れている。

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