【CAKE展】日曜日の午後3時。▽針衛門
現在時刻、23時35分。
ふんわりと型の中で焼けていくスポンジケーキ。
オーブンの中でオレンジ色に照らされる生焼けのそれを、まだかまだかとじっと見つめる私。
なんでこんな時間にケーキを焼いているのか。
明日友達の誕生日だから。否。
親の結婚記念日だから。否。
彼氏に食べてもらうため?否。そもそも彼氏いないし。
このケーキは全部私のモノだ。こんな時間にケーキなんてお肌に悪いよ~とか知らん。聞かん。誰にも辛い思いはさせていないのだから。
1年前に右手を怪我して以降、後遺症で動かしにくい。生活に支障はないが、製菓学校に通っていた私にはあまりにも厳しい結果だった。実習では単位がとれず、友人からも同情の目を向けられ、耐えられず学校もやめてしまった。就活もうまくいかず、やる気も出ず、ズルズルとフリーター生活である。
自分の作ったケーキで人を癒やしたいなんて夢もいつしか、子供の頃の夢だったという思い出話に降格した。
思うように動いてくれない右手でなんどもケーキを作った。学校でも家でも練習した。同級生達が作った綺麗にデコレーションがしてあるケーキの中に、ボコボコとムラだらけのクリームの塊がのっかったケーキが、私が全力を尽くして作ったものだった。ざわつく実習室。現実を突きつけてくる歪なその塊。休日には家族にケーキを振る舞うのが習慣だった。カチャカチャと不規則なリズムで立てる泡立て器の音。心配そうにキッチンをのぞく家族。
―かわいそうに。
そんなこと言わないで。
―小さい頃からの夢だったのにねぇ。
まだ私作れるよ。大丈夫だよ。
―あの子のケーキを食べるのが、もう辛くて…。
ピーッピーッピーッピーッ
「んっ。・・・寝てた。」
嫌なこと思い出した。
そんな悪夢とは裏腹に、オーブンからは焼き上がったスポンジのいい香りが漂っている。
「うん。綺麗に焼けてる。」
もう日は変わっている。ほかほかのうちに食べるとしよう。どうせクリームで綺麗に飾ることもできない。スポンジだけでも十分美味しいさ。
「いただきます。」
ふんわりと焼き上がったスポンジを切り分け、おにぎりを食べるかのごとく、豪快に頬張る。優しい甘さが口の中に広がる。
うまくできた。
そう、満たされたはずなのに、胸の奥の靄が晴れないのは何故だろうか。
学校をやめて、バイトをしながら、一人暮らしをして、ぎりぎりで生きている。バイトは稼げる夜のシフトが多い。昨日のように日が変わる前に帰れる日は、スポンジケーキを焼く。紅茶を混ぜてみたり、抹茶味にしてみたり、レーズンを入れたり。まあ、全部ひとりで食べるんだけど。
シフトのせいもあり、昼夜逆転の生活。今日も昼過ぎに起きた。いつもならゲームしたり、マンガ読んだりして、次のバイトの時間まで時間をつぶすのだが、深夜にケーキを食べる生活はやはり身につくもので。散歩にでも行こうと着替える。外は雪こそ降っていないが、えらく寒いのでもこもこウェアを着込む。
ドアを開けると、冷たい風が鼻先を冷やした。そういえば、買い出しとバイト以外に昼にこうやって歩くことがほとんどない。
ぼろいアパートの階段を下りると、隣の家に住んでいるであろうおばあちゃんがうずくまっていた。
「おばあちゃん!?大丈夫ですか!?」
咄嗟に声をかける。
「はえ?」
私の焦る気持ちとは逆に、なんとも抜けた返事が返ってきた。牛乳瓶の底のように分厚い眼鏡のレンズからちょこんとした目が私を見つめる。
「あ。すいません。具合が悪いのかと思って。」
「あら。驚かせてしまってごめんなさいねえ。私は大丈夫なのだけど、この子の元気がなさそうなの。」
おばあちゃんはそう言ってまたうつむく。その先には小さな白い花があった。なんの花か分からないけどかわいい。
「おばあちゃんが植えたんですか?」
「ちがうのよ。庭に勝手に生えてたの。私のお庭日当たりがいいからかしら。どんどん、広がっていってね。寒くなったから、この子もお休みの時期かしら。今年は寒いものねぇ。」
少し寂しそうにつぶやく。すると何かに気づいたように私をまた見上げた。
「あなた、いいにおいがするわね。なにかしら?」
突然言われるものだから、慌てて自分をスンスンと嗅いでしまった。お風呂はちゃんと入っているし、香水なんてつけたこともないが・・・。あ。
「…ケーキのにおいかも?」
「それだわ!美味しそうな優しいにおいがするのよ!ケーキを作っているの?」
「ええ。昨晩焼きまして。」
「あらぁ、いいわねぇ。あ!そうだわ。もしよければなのだけど、うちでお茶していかない?一人でお散歩に行こうにも寒くてね。心が折れていたところなの。」
にこにこ笑顔で家へと招く。ダイエットのための散歩が一瞬で終わってしまった。
「こたつであったまっててねぇ。すぐお茶入れるから。」
「ありがとうございます。」
お言葉に甘えて、すぐにこたつに足を入れる。…これ、出れる気がしない。
こたつに入ったまま、おばあちゃんが入っていったキッチンの方を見つめる。こたつのこの部屋は畳だが、他の部屋はどうやらフローリングらしい。和洋折衷なお家だ。
「はい、お待たせ。煎茶だけど良かったかしら?」
「ありがとうございます。」
まんまるなかわいい湯飲み。さっそくお茶を頂く。
「ケーキはよく作るの?」
おばあちゃんは湯飲みで手を温めながら尋ねた。
「あぁ。まあ。ケーキといってもクリームとかでデコレーションはしない、スポンジケーキですけど。紅茶とかレーズン入れたり。」
「まあ!美味しそうねぇ。」
「本当はクリームとかフルーツでデコレーションしたいんですけど、なかなかですね。」
「デコレーションって難しいわよねぇ。昔は夫に作っていたのだけど、夫が先立ってからはめっきり作らなくなってしまったわねぇ。」
「旦那さん、甘いのお好きだったんですか?」
「ええ。本当に甘いのが大好きで、毎週日曜日はケーキの日って決めて、焼いていたの。うちは子供がいなかったからホールで焼いても多いわねって思っていたんだけど、あの人全部食べちゃうのよ。ほら、あの写真。」
おばあちゃんは棚の上を指さした。にこにこ口元にクリームをつけた男性の写真がある。
「おじいさんになっても甘い物好きは変わらなくってね。さすがに体のことを気にして、クリームなしのケーキを焼くようにしたんだけどねえ。“君の焼くケーキは他の誰かのどんなケーキよりもおいしい!”ってぱくぱく食べてたわ。」
うふふと嬉しそうに笑いながら話す。
「毎週焼いていたから、オーブンもいい物を買ってくれたのよ。“これでもっと君のおいしいケーキが食べれるぞ~”なんて。いくつになっても子供みたいなんだから。」
困ったわと言いつつ嬉しそうだ。なんてほっこりする夫婦なんだろう。日曜の3時にケーキを2人で食べているところを想像したら、こっちまで幸せな気持ちになった。
「今はそのオーブンも使わなくなっちゃって。もったいないと思うのだけど、ケーキを作る相手もいなくなってしまったし、今の私にはケーキを作る気力もなかなかねぇ。」
おばあちゃんは細い手首をさすりながら寂しそうに言った。
「あ、あの!毎週日曜日、私にケーキを作らせてくれませんか!」
おばあちゃんは目をぱちくりとまんまるにして私の顔を見つめた。
先ほど知り合っただけの小娘が何を言っているんだ。そう、自分でも思った。つい、突拍子もないことを口走ってしまった。
「す、すみません!さっき知り合ったばかりの人間が何言ってんだって話ですよね…。」
「お願いできるかしら?」
「え?」
「毎週日曜日、ケーキを焼きに来てくれるかしら?」
おばあちゃんは私の手を優しく両手で包み込み、にこっと微笑んだ。
おばあちゃんと約束してから最初の日曜日。レシピをいくつか考え、隣のおばあちゃんの家へと足を運ぶ。どのケーキを作るかはおばあちゃんと会ってから決める。インターホンを鳴らすと、おばあちゃんが靴を履いて待っていた。
「こんにちは!どのケーキにしましょう?」
レシピをおばあちゃんに見せる。
「あらぁ。どれも美味しそうねぇ。そうねぇ、おいもとりんごのケーキかしら。この間、さつまいもを頂いたから、りんごと他の材料を買いに行きましょう。」
「いえ、寒いですし。私買ってきますよ。」
「いいのいいの。一緒に行きたいの。なんだか、娘ができたみたいで嬉しくって。ああ、でも、年齢的には孫になるかしら?ふふふ。」
おばあちゃんの足取りは心なしか軽く見える。
近くのスーパーまでおばあちゃんの手をとり、一緒に向かった。
真っ赤で綺麗なりんごをゲットし、また寒い寒いと2人でおばあちゃん家へ帰った。
使い慣れた料理器具を持参してきたので、りんごと一緒にいるものを再度確認する。
それにしても、広いキッチン。料理が好きなのか、いろんな調味料が目に入る。きれいに整理されたキッチン。私のキッチンとは大違いだ。
おばあちゃんが話してくれたオーブンは本当にいいオーブンで、一目見ただけで自分では一生手に入らない代物だと分かった。こんないいオーブンを使わしてくれるなんて、なんだか緊張してしまう。
「では、キッチンお借りします!」
「楽しみにしているわね。」
早速ケーキ作りにとりかかる。こんなにわくわく心躍るケーキ作りはいつぶりだろう。
おいしくできるといいな。念を込めながら、材料を混ぜていく。
ケーキの生地ってなんでこんなに焼く前から美味しそうなんだろう。小さい頃、ケーキを作っているとき、焼く前の生地の甘いにおいに我慢できずにこっそり舐めていたっけ。最近まで辛いと思っていた記憶が楽しい思い出に戻っていく。
―あの子のケーキを食べるのが、もう辛くて…。
一番思い出したくない言葉が頭にこびりついている。
夜に両親2人で話していたときに母の口から出た言葉。喉が渇いて、リビングのドアに手をかける直前、涙声で聞こえてきたその言葉に、喉がどんどんカラカラになっていった。でも、ドアを開けることなく、自分の部屋へと戻ったんだ。
ショックだった。右手がうまくつかえなくて、学校の試験もうまくいかず、悩んでも家族だけは美味しいよって笑顔で作ったケーキを食べてくれていた。と思っていた。人を癒やしたいと思って作ったケーキが家族を苦しめていた。大丈夫!一緒に卒業しよう!そう言ってくれていた友人とも疎遠になっていった。家族も友人も学校も、全部限界だった。次の日、学校をやめ、程なくして実家からも逃げるように出た。一人暮らしを始め、バイトをこなすだけの日々。でも、ケーキ作りはあきらめられなかった。いつか、人に食べてもらおう。作る度に焼き上がったケーキをひとりで食べながら、そう思っていた。
また、自分のケーキで人を癒やしたいと思ってもいいのだろうか。
ピピーッピピーッ
オーブンが鳴った。オーブンを開けると、焼きたてのケーキの優しく甘いにおいが鼻をくすぐる。
「まあ!美味しそうなにおい!」
おばあちゃんがにおいに釣られキッチンに入ってきた。
「ケーキを寝かしている間、先にお茶しましょ。」
おばあちゃんは慣れた手つきでお茶の準備をし始めた。ほんのりピンクの花柄のカップ&ソーサーが棚からおろされる。他にもたくさんのティーセットが並んでいた。旦那さんとのケーキの日もティーセットを選んでお茶していたのだろう。
「このティーセットかわいいでしょう?他のも彼が選んでくれたのよ。“お茶が好きな君に”って。毎年、誕生日に選んでくれていたの。」
素敵な旦那さん…。
「テーブルで優雅にティータイムといきたいところだけど、寒いからこたつでお茶しましょ。女の子は体を冷やすと良くないからね。」
おばあちゃんはイシシシと笑って、ポットにお茶を淹れ、ティーセットをこたつの部屋へと運んだ。私もおばあちゃんの後をついていく。
こたつでぬくぬくお茶しながら、おばあちゃんの思い出話を聞いていると、あっという間に3時のチャイムが鳴った。
「さあ!ケーキの時間だわ!」
るんるんと体を揺らしている。
ケーキをこたつの部屋へと持って行き、丁寧に切り分けて、これまたかわいいお皿に盛る。
「いただいても?」
「どうぞ。」
少し照れながら、おばあちゃんにケーキを差し出す。
そわそわと差し出されたケーキにフォークを入れ、口に運ぶ。
「ん~~~~~っおいしい!」
頬に手をそえ、にっこりと笑った。
「ちゃんと美味しくできたみたいで良かったです。」
「またケーキの日ができる日がくるなんて。ありがとう。」
「いえ、こちらこそ、素敵な機会をありがとうございます。」
おばあちゃんは幸せそうに笑って、ケーキを口に運びながら旦那さんの写真の方へ目を向けた。
「夫との楽しい時間を思い出せたわ。その時間が何よりの癒やしだったの。もう二度と訪れないと思っていたわ。本当にありがとう。夫も感謝しているわ。」
「…私のケーキが癒やしに?」
「ええ。そうよ。」
「本当ですか?」
「ええ。もちろん!」
おばあちゃんの優しい笑顔がボヤァと歪んだ。ぽろぽろと目から熱くあふれ出してくる。
「あら。どうしたの?」
「すみません。うれしくって。うれしくって、たまらないんです。今、私の夢が叶った気がして。自分の作った美味しいケーキで人を癒やしたいと、ずっと思っていたんです。もう、自分には無理だと思っていました。」
「そんなことないわ。あなたのケーキ、とっても美味しくって幸せよ。だから、そんなに泣かないで。甘いケーキがしょっぱくなっちゃうわ。」
「…っはい。ありがとうございます。」
溢れる涙が止まるまで、おばあちゃんは優しくなでてくれた。
ケーキはやっぱり甘かった。
2人だけではケーキを食べきれず、ケーキの日は、日を追うごとに食べる人の人数が増えた。おばあちゃんが近所の人を誘っていたらしい。
春になり、陽が温かい日は、おばあちゃん家の庭でお茶会をするようになった。人が人を呼び、ケーキの方が足りなくなり、今じゃ2ホールは焼かなければいけない。
こんな形で自分の夢が叶うとは。なんでも、おばあちゃんの体のことを考え、ヘルシーめでケーキを作っていたら、それが奥様方に評判になったみたいだ。今では地域イベントに手作りケーキ屋さんとして出店しないかと声をかけられるようにもなった。
自分のケーキで癒やしを届けられるのならと出向いていき、バイトのシフトも減っていった。ケーキ作りに向き合える日が増えていった。
春夏秋冬。季節にあわせた素朴でやさしい癒やしのケーキ。小さな白い花が広がる庭で癒やしを求める人々を、おばあちゃんのお茶と私のケーキで癒やしていく。
いや、癒やされているのは私の方だな。
胸の奥の靄はいつのまにか晴れていた。
おわり。
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