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声のアルバムの原点③ ~地方の子の進路選択

地方の子というのは、進学しようと思うと大体は強制的に実家を離れることになります。
18歳での一人暮らし。寮に入るかアパートを借りるかで結構違うが、今の子だったら大体がワンルームマンションを借りるのではないでしょうか。とりあえず最低限の生活用品と寝具、電化製品を揃えた簡易な引越し。手伝いに来ていた親を、見知らぬ都会の駅で見送る。恥ずかしいから別れの時に涙は見せなかったけど、ホームを出て一人知らない都会のまちを歩き、誰もいない家に帰る。18歳の田舎者は鼻の奥がツンとしたものでした。

それがまぁ1年も経つとどうでしょう、すっかり都会の生活が楽しくなって、部屋の物もどんどん増えていきました。
ネット通販なんて無い時代、流行りの洋服を買うにも鈍行の汽車に乗って3時間かけて北九州まで行く、そんな地域に住んでいた私からするとパラダイスのような感じでした。(あの頃はミニマリストなんて大学生はいなかったんじゃないかと)

初めて接客のアルバイトをして、親から送ってもらう仕送りと月いくらかのバイト代を足してやりくりしながら、好きなものを買ったり遊びに行くお金を捻出する。一人暮らしの地方出身者の家は友人達の集まりの場となり、よくみんなでご飯を食べたなぁと思います。買えることが楽しくて、和モダンとアジアンとフレンチポップなどが同居する謎のちぐはぐインテリアになりながらも、「この部屋は落ち着くねぇ」と言ってもらえるのがうれしかった。

早いうちにこういう感覚が持てたのは良いことのような気がします。誰も何もやってくれないので、一通りの生活力や金勘定も身につく。欲しいものがあればお金を貯めればいいわけで、買いに行ける環境がある、選べる選択肢がある、あぁ都会というのはなんと素晴らしいんだと、キャッキャした大学生活でした。

と同時に、「本当にうちの地元には何もない」とヒシヒシと思うのもこの頃。就職活動の時期になると、うちの親(特に母)はとにかく近くで就職してほしかったようで、地元の合同セミナーなどの案内をひたすら送ってきました。すでにその頃コピーライターに憧れを抱いていた私は地元に戻るという選択肢はまるでなく、それでも諦めのつかない母は無理やりセミナー会場に連れていき、ものの数分で会場から出てくる私、ということが何度かありました。

このエピソードも書いていてなかなかだなと思いつつ、母とは、兄弟含めこれから長い攻防のようなものが始まる訳ですが、恵まれていたことも事実だと思います。そう、傍から見ると恵まれている。何の不自由もない、物欲にまみれていた女子大生。
何とか広告代理店にすべりこんだものの、わずか1年後に父が倒れるという青天の霹靂が起き、人間の醜い感情がぶつかり合う日々がやってくるのだけど、まだ私は大変に青かったのだなぁ。若さゆえの正直さと無知さ。見えている視野の狭さ。「何もない」と思ったのは、見ようとしない自分や都合のいい解釈を作っていただけだったのだろう。そして、これは人の気持ちにも言える事なんだなぁと。

どうしてそんな言葉が出たのか。そんな行動を取ったのか。
親がどんな人生を歩んできたのか知る事は、少し、親側の目線で物事が見えるような気がします。どこまで踏み込んでいいのか、自分の親であるとなおさら分からなくなるけれど。子であったとしても全てを知る必要は無い。

3週間後はもう大晦日。母と過ごすお正月は、あと何回あるだろうか


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