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鳥打帽

鳥打帽という言葉を聞いてそれがどんな帽子だか察しがつく人がいったいどのくらいいるのだろうか?

ハンチングと言い換えれば納得がいくのか?。本来は狩猟時に身に着けるものであり、元々の使用目的を知らないものにも、おおよその形は理解できるだろうし、一世代前に持てはやされた帽子だぐらいの察しは付くだろう。

 ファッション性重視の今日、カラフルな色合いの物や、多少奇抜なデザインのものも中には見受けられるが、私から言わせれば、ハンチングと言えばツイード素材のグレンチェックに限ると断言したい。

 一枚の写真がある。遺影写真にも拘らず時代がかった髭を蓄え、本人にしてみれば小粋にハンチングを被ったつもりであろう実家の仏間のモノクロ写真は、父方の祖父の在りし日の姿だった。

その姿は、借りてきた猫の様に畏まっており、無意識のうちに目深にかぶり直したのだろうと見て取れる、ついつい笑いを誘う一枚である。

 しかし悲しいかなその写真は、祖父が残した唯一の写真であり、切り取られた左半分には、嬉しそうに祖父の腕にしがみつき、満面の笑みを携えた若かりし祖母の姿があったはずなのである。

今その、二十代半ばの、引き伸ばされたことによって、更に写りが悪くなった写真の横には、一昨年の春九十を過ぎて天寿を全うした年老いた祖母の遺影が肩を並べている。

私が生まれてから最期を看取るまで、共に暮らした祖母との思い出は数え上げればきりがないが、祖父の人となりを父や祖母から聞いた記憶はほとんどない。

 旧家である我が家の仏壇にはいつの時代のご先祖様かも解らない位牌が幾つかあり、父の、自分の目の黒いうちに何とかしたいという意向から、過去帳を紐解き、然るべき供
養をしてもらうためここ何年か触られた形跡も見て取れない仏壇の奥を整理すると、一抱えの封書と葉書が姿を現した。

 それは、祖父と祖母の数年間に及ぶやり取りが綴られた郵便物だった。自己流としか言い様のない毛筆の崩し文字で書かれた祖母の手紙は、文面を理解するのに困難を要したが、こと祖父の残した葉書は、一読しただけでその内容が理解できた。

 終戦間近、南方の激戦地硫黄島で戦死したと聞かされた祖父が、まるで映画に描かれる悲劇の主人公そのもののような、たった一ヶ月しか祖母と暮らせなかった思い出が記されていた。

 祖父のスナップ写真を無理やり遺影写真に移し替えたその一枚は、一泊二日の温泉旅行の際、旅館の前で取られたという事実も、手紙の内容で確認するに至った。

そこには赤裸々な、孫の私でさえ照れてしまうような内容の文章がしたためられていた。

「親愛なる絹様、いよいよ最後の手紙となりさうです。戦果は日増しに激烈を極め、前線部隊は、既に全滅したと聞かされました。自分で選んだ事とはいえ、ひと月の間しか一緒に暮らせなかった事実が悔やまれてなりません。遂にあなたから打ち明けられた息子の顔も、写真ですら目にすることは叶いませんでした」

「今年も桜は綺麗でしたか?お山の雪はもう姿を消しましたか?   もう一度逢いたい。あなたと二人の日常を取り戻し、あなたの満面の笑顔に包まれたい」

 私の横で一緒に仏壇の整理をしていた父の嗚咽が聞き漏れてきた。父を一人にさせてやりたい配慮から、取るに足らない用事を思い出したかのような小芝居を打って、私は仏間を後にした。

そういえば、祖母が他界した少し前まで、私が運転する車で母や祖母を乗せスーパー銭湯と呼ばれる温泉施設を訪れる時、決まって祖母が遠くの空を見つめながら手を合わせていた記憶が今甦った。

「ばあちゃん、お風呂に来ると決まって神妙な顔つきでお空に手を合わせるけどどうして?」
 と尋ねても、苦笑いを浮かべ話をはぐらかした祖母の思いをやっと知ることが出来た。

 祖母は、ひと月だけの祖父との思い出を胸に、残りの人生を全うしたのだろう。

 そんな人生もあっていいと、思わずにはいられない私が

いまここにある。

                 完

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