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京成名画座の周辺について

京成青砥駅と京成名画座

京成名画座があった場所は、東京は葛飾区の青砥駅。前回、京成名画座を取り上げた流れで、京成線、青砥という町周辺の土地柄にも軽く触れておきたい。

東京葛飾というと、昔(1970年代から1980年代あたりまで)ならすぐに「寅さん!」と連想が働いた人が多かったと思うのだが、今では何の事か分からないのが普通かもしれない。

京成柴又駅と寅さん

青砥駅から京成金町線(成田線ではない)に乗り約10分、柴又駅を降りると柴又帝釈天がある。松竹映画「男はつらいよ」の主役名:寅さんが出没する場所なのだが、帝釈天門前の店舗の1つに架空の団子屋さんがあり、ここが寅さんの実家?という設定になっている。

「男はつらいよ」は、おそらく日本映画では空前の作品数(計48本)を誇る、長期にわたって制作されたシリーズもの。毎年のように公開され、年2回公開の年もあった。主役は渥美清演じる寅さん、相方(寅さんが恋焦がれる役)の女優は毎回変わる。毎回変わるが複数回登場する方もいてマドンナと呼ばれていた。「寅さん」は、葛飾の地元では京成名画座のお正月公開の目玉作品だった記憶がある。

主演の渥美清が存命の時代、特に1970年代、地元での「男はつらいよ」人気は大変なもので、子供から大人まで多くの人がファンだったと思われる。上映時の京成名画座は満杯だった。何しろ地元が舞台なのだ。渥美清が亡くなり、今では柴又に寅さんの記念館が出来て、「寅さん」映画はすっかり過去のものになってしまった。

寅さん上映時の熱気

当時の熱気を軽くご紹介しておきたい。

京成名画座で「男はつらいよ」の新作上映が始める前、その前月あたりに予告編が流れ始める。予告編が始まる前、画面一杯に松竹映画のシンボル、富士山の映像(今で言うCG的な作画された富士山、雲が流れる動画)が映り、独特のメロディー(「男はつらいよ」のテーマ音楽の冒頭)が流れる。それだけで、あっ寅さんだ!と分かり、館内が大きくどよめくのだ。本当に、誇張ではなく、館内が一斉にどよめき空気も揺れる。葛飾区以外の映画館では、こうはならなかったのではないだろうか?

寅さんのロケに遭遇

地元民であった自分は「男はつらいよ」のロケに遭遇したこともある。
寅さんのロケしてるぞ!
という友達の大声に気付き、カメラを手に家を飛び出て、ロケをしているという場所へ猛ダッシュ、既に多くの人垣が出来ている中に夢中で飛び込んだ。家からごく近い場所だった。

寅さんどこだ?!
と友達に叫ぶと、隣に立っている大人が私を見下ろし目で笑った。隣にいたのが何と渥美清、その前には山田洋次監督と高羽哲夫カメラマン。何と、ど真ん中に入り込んでしまっていたのだった。

寅さんの直視を受け、あまりにも驚き硬直。カメラが狙う向こうには真野響子がいた。第19作の「寅次郎と殿様」の野外ロケ、ほんのわずかの撮影時間だったのだが、子供だから許されたと思う絶好のポジションで見学したのだった。

手にしたカメラを使ったか覚えていない。少なくともロケ風景を写した写真は残っていない。多分、あまりにも近く撮れなかったのだと思う。写真を撮ったか撮らなかったかの記憶は混濁しているのだが、場所、撮影風景、場面は鮮明に覚えている。映画の撮影時間って、こんなに短いのかとびっくりした事も。

渥美清の印象、真野響子の発音

渥美清は目の前で見るとやさ男というか、意外にほっそりしていた印象。何か色が白かった。スクリーンやTVで見る姿より上品で穏やかそうに見えた。胃薬のCMに出ていた頃だったろうか?

後日、地元の映画館で完成品をわくわくしながら見たのだが、真野響子の「金町」の発音に違和感があり(イントネーションが違った)、地元民の失笑をかった(というよりは残念な気持ち。ちゃんと発音してほしかったという気持ちの発露と思う。自分は残念だった)。

寅さんに聞かれ、「これからちょっと金町へ」と言う台詞なのだが、地元民でないと分からない発音で仕方ないのだが。。まさか、今はあの発音の方が正式になっている?とにかく、あれは正式な発音ではない。

水元公園

1994年の水元公園

上の写真は寅さんの故郷、柴又から北へ車で10分ほどの距離にある水元公園。1994年撮影だから、まだ渥美清が存命の時代。葛飾区には自然を取り入れた公園が多い、というか柴又以外にとりたてて目を引く観光拠点がない。と書くと怒られるかもしれないが本当にない。多分。

この頃は、公園で風景画を油絵で描く人を良くみかけたのだが最近はどうなんだろう?自分としては、もう何十年も見てない気がする。水元公園では毎年6月に「菖蒲祭り」が開かれるのだがこんな状況で中止。地元のお年寄りはさぞや悲しんだと思う。

京成立石駅

観光名所ではないが有名所として、葛飾区にはタカラトミーのオフィスがある。立石に本社があるが青砥に大きなオフィスがある。立石と青砥は隣町だ。

大昔、現在は大変立派な建物になっている青砥オフィスの場所には、確か二階建てのタカラのおんぼろ工場があった。そこでは「ダッコちゃん」のようなビニール製の玩具を製造していた。地元民であった自分は、小学生の時に工場見学で行った。

寅さんのふるさと、柴又に話しを戻すが、柴又の観光名所は帝釈天と矢切の渡し、とずっと思い込んでいた。しかし、どうやら矢切の渡しは千葉県松戸市が本籍らしい。というのは、矢切が千葉県側の地名のようで、葛飾区と松戸市のホームページを比較すると松戸市側に説明がある。

その他の名所としては、マンガ「両さん」の舞台になった亀有(青砥の隣町)と、立石にあるかつしかシンフォニーヒルズくらいだろうか。葛飾シンフォニーヒルズ(その昔は葛飾公会堂と呼ばれていた場所だと思う)の演目は、色々な世代の方が楽しめるセレクションになっているようで、近くに住んでいれば今も通いたいくらい充実している。

立石仲見世

ところで、葛飾の名所本命は立石仲見世のアーケード街かもしれない。昔ながらの商店街、アーケード街が今でも健在と聞いている。どこにでもある全国展開の店ではなく、地元商店ならではの価値で昔から人気。

今は大変便利な世の中で、日本どこにいっても同じ品質のものが手に入る。一方で、中身で選べる範囲はものすごく狭くなっている。立石仲見世のアーケードには、そこでしか手に入らないものがあったし、アーケードの中に多くの個性のある店が連なっていた。当時に比べると数はずっと少なくなっているようだが、今も頑張っているお店が続く事を願うばかり。

こういうお店こそ、海外では百年単位で続いているんだと思う。数は減ってしまっていても昔の良さは残っている気がする。葛飾シンフォニーヒルズからも近いので、ついでに行かれると良いかもしれない。もし行くのなら普段着がおすすめ。のはず。