アルバムレビュー:『PEOPLE』 清竜人

 このところryotaroにばかり更新を任せてしまっていたので、たまには僕(yoshiro)からも。久方ぶりのアルバムレビューです(不定期更新という公約を順調に遵守しておりますね)。


 今回は僕がデビューの頃から注目し続けているアーティストの一枚をご紹介したいと思います。

・『PEOPLE』 清竜人 (2011)

 このアルバムについて話し始める前に、まずは清竜人(きよし りゅうじん)というアーティストについて語らないわけにはいきますまい。

 遡ること七年前、2009年の彼のデビューシングルを聴いたとき、僕は「うげっ、天才だ」と思いました。Youtubeにデビュー曲の音源があがっていないためご紹介できないのが残念ですが、「Morning Sun」という曲です。ご興味あればiTunesやAmazonで視聴してみてください。

 たしかCMになってたんですよ、その曲が。その歌声にビビッときて即座に名前を調べたら、彼が僕と同い年(当時19歳)だということを知り、その天賦の才のほどに衝撃を受けたものです。

 そして続く2010年には「痛いよ」というシングルがスマッシュヒット。有線とかよく流れてたので、もしかしたらこの曲で彼をご存知の方もいるかも。デビュー曲とは少し雰囲気が変わり、個人的で赤裸々な歌詞が特徴の楽曲です↓。


 そして2011年、今回ご紹介しようとしている3rdアルバム『PEOPLE』を発表。詳細は後述するとして、ちなみにこのアルバム発表時の彼のビジュアルがこちら↓

 ナイーヴ系のJ-ROCK的なルックスからはちょっと雰囲気を変えてきたな、と思うかもしれませんが、この程度の変化はこれ以降の変貌に比べれば変わったうちに入らない。その翌年、4thアルバム『MUSIC』の予告編として公開されたライブ動画のトレイラーがこちら↓。


 どうした!? と僕は心の中で叫ばずにはいられませんでした。

 が、インタビューで本人いわく「ずっとやりたかったこと」だそうな。この4thアルバムでは見た目とともに音楽性もガラリと変わり、アコースティックから打ち込みピコピコのアニソン&ミュージカル調に。声優や女優とデュエットしたり、長台詞を挟んだり、一曲ごとに異なるアレンジャーに編曲させたり、実験的といえば聞こえはいいけどつまりはやりたい放題。

 基本的にアコースティックが好きな僕としては、彼の天才性は認めつつもこの『MUSIC』でだいぶ引いたわけですが、いつの間にか繰り返し聴いている自分に気付き愕然。こんなに破天荒でポップなアルバム、なかなかないですね。

 続いての5thアルバム『KIYOSHI RYUJIN』は完全数量限定&ホームページ限定発売で(Amazonにも流通しなかった)、なんと僕は手に入れそこねてしまい、今やヤフオクで中古が一万円を超える始末。「もう普通のことはやりたくない」という彼の気概を感じますが、頼むから再発してくれ。

 んで、6thアルバム『WORK』発表時のビジュアルがこちら↓。

 もはや何も言いますまい。そうして現在は何に取り組んでいるかといえばこちら↓

 『清竜人25』というアイドルユニットを結成し、一夫多妻制アイドルのセンターとして歌って踊ってノリまくる。かたやソロ名義では自身のアルバムを作らないかわりに声優やアイドル(有名どころでは「ももクロ」など)に楽曲提供していたり、それがまたポップで良い歌だったり。

 天才≒奇人という定型イメージを裏切らない清竜人氏ですが、そんな彼がリスナーを置いてけぼりにぶっ飛び始めるギリギリ手前の名盤、3rdアルバム『PEOPLE』についてご紹介したいと思います。やれやれようやく本題に入れる。

 まず最初に公言します。僕はこのアルバムが大好きです。人生において聴きこんだアルバムのトップ5には入る。

 これを聴いていた頃はまだ学生で実家暮らしだったんですが、家の車の中でいつもこればかり流していたおかげで家族にも伝播。カラオケに行けばきょうだい全員で合唱できるほどです(あまりメジャーじゃないのでカラオケにそんなに入ってないのが残念)。老若男女が楽しめるアルバムといえるでしょう。

 本作の魅力はなにかといえば、快活なポップネスと開けっ広げでストレートな歌詞、これに尽きますね。それではリード曲とも言えるトップバッター 1.『ぼくらはつながってるんだな』のMVをどうぞ↓


 キャッチーで楽しいメロディーに乗っかった、歌詞カードを見なくてもそのまま入ってくる言葉。このカッコつけてなさが、清々しくて心地いい。

 4.『パパ&ママ愛してるよ!』なんて、タイトルからして清々しいですが、その中の歌詞の一節。

――アウトローやアナーキーも時には必要かもしれないけど
  本当に大切なものってさ 結構ベタなものだと思うんだ――

――ありふれたものやありきたりなことって 
  きっと大切だからこそありふれてるんだよ――

 これらの言葉にこのアルバムの核心が込められている気がしますね。「きれいごと」と切って捨てられそうな歌詞が、彼独特の特徴的な歌い方で、でも堂々とまっすぐに歌いあげられる。

 そういう歌って、一歩間違えば「押しつけがましい」と感じられてもおかしくないのに(特にぼくはそういう「押しつけがましさ」に敏感なタチなんですが)、全然そうならないのはきっと、このアルバムの完成度の高さゆえでしょう。

 たぶんこの人は「良い作品を作ろう」ということしか頭にないんでしょうね。メッセージを伝えようとか自己表現をしようとかじゃなく、「きれいごと」の「ストレートさ」がもっとも輝くような楽曲を作ろう、という考えで音楽を作っている。詞も曲も丁寧に作りこんで、優れたミュージシャンとアレンジャーを起用して、一曲一曲に音楽家としてのプロ意識を込めている。そんな気がします。

 女の子の歌い手をフィーチャーした5.『おとなとこどものチャララ・ララ』は、男女デュエットのハーモニーを活かした楽曲構成の妙に唸らされますし、7.『ぼくが死んでしまっても』はストリングスとピアノの響きが冴え渡った名曲。9.『きみはディスティニーズガール』はバッキングの見事さに感動して、何度となく聴きこんでしまいました。

 ネット上で探してもぜんぜん音源が落ちてないので、具体的に曲を紹介できないのが歯がゆい。楽しくて可愛くて力強い大傑作、聴きたい人はCD貸しますから言ってください(ステルスではないマーケティング)。

(余談:「明るいポップネスとストレートな歌詞」という説明にオザケンこと小沢健二の『LIFE』を思い浮かべた方がいらっしゃるかもしれませんが、ずばり僕も同感です。本作を聴いたときには「あ、LIFEだ」と思いました。

 あと、4thアルバム以降の歌って踊ってノリまくる姿には岡村靖幸を連想させますね。なるほど、清竜人の音楽的バックグラウンドはそこらへんか、どんな天才にも先達は存在するものだな、と僕も思ったわけです。

 が、あとで本人のインタビューを読んでみたら「世代的に離れてるのでオザケンや岡村さんは聴いたことがない」などとぬかしおる。これだから天才ってやつは。)

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