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VOICARION ⅩⅣ 『スプーンの盾』

2016年の『女王がいた客室』(初演)を見て、一瞬で心を奪われたVOICARIONの最新作と聞いて、何も考えないでチケットを取りました。
あまりにも素敵であたたかくて"美味しい"物語に、これは感想を書かねばと思いました。なんか書けば書くほど野暮な気もするけど、残しておきたい。
配信が終わるまでにと思って必死に書いています。副音声付きで真面目に聞き直したいんだ……!!
いつも通り何にも配慮は無いし好き勝手言ってるのでそういうのダメな人はそっと閉じていただけると……。


見に行った回

4月23日ソワレ。ちょうど配信されてた回です。

タイムテーブル、キャスト表
キャスト表

あらすじ

フランス革命のあと
二人の無名の男が帝王となった。

一人は言わずと知れた皇帝ナポレオン・ボナパルト

そして、もう一人は料理の帝王と呼ばれるアントナン・カレーム

この時代
王侯貴族たちを料理で、饗(もてな)し説得する
いわゆる料理外交が頻繁に行われていた。

この物語は
料理の力で、血の一滴も流すことなくフランスを守った人々の
世界一美味しい戦争の物語。

公式サイトより


感想

食べられない物ばかりの世界の中に少しだけ隠されている“美味しい宝物”を探し続ける料理人アントナン・カレームと、腹ペコな世界の話。
カレームと他の登場人物の関係性もまた面白くて、
・“硬いパン”に救われたカレームとナポレオン
・"料理人"に救われたカレームとマリー
・"料理人"カレームと"美食家"タレーラン
みたいになっている。タレーランは最後、カレームが旅に出るところまで「腹ペコ」(満たされない気持ちや寂しさのようなもの?)を知らないのかなと思うとまた噛めば噛むほど美味しい気配がする。そしてみんながカレームの料理に救われるのも最高。
そして、「美味しい」で始まり「美味い」で終わる物語だった。(「美味しい」ははじめの台詞ではないのだけど)
大切な誰かと一緒に、美味しいご飯が食べたくなりました。ちなみにエクレアとバゲットとコンソメポタージュは食べたのであとはヒラメを食べるだけです。パイも食べたい。作中に出るその他の料理の名前は呪文かなんかだと思ってる。
以下細かい感想のような何か

「本当の泥棒は空腹だよ」

初っ端から、カレームがどういう人物なのかが分かる台詞(笑)
お腹がすいている。だから悪いことをしてしまう。人の中にある大切な何かを奪っていくのは空腹で、本当に責められるべきは悪いことをしている人ではなく、そういうことを起こしてしまうような環境なのかもしれないなぁ、とか。そういう話。

「人生は硬いパンの上にある」

硬いパンに救われた、カレームとナポレオンの記憶。全く違う2人を繋ぐ、美味しい記憶。分かり合えないかと思われた二人が、自分の中の何かが同じものによって救われたことが分かって、ここから2人の距離がぐっと縮まり雰囲気が柔らかくなっていく。
過去回想の後の「少しでも美味くしてやってくれ」で私の涙腺は決壊した。
硬いパンの土台(ピエスモンテ)の上で踊って、子どもみたいにはしゃぐナポレオン。ここが楽しいほど、後半がしんどい。そしてこの記憶が色濃いほど、ウィーン会議でタレーランと同じ経験ができるのである。

個人的しんどいポイント

タレーランとナポレオンの関係性が徐々に崩壊していく様が個人的しんどいポイント。戴冠式(ではない)の後、マリーの作った料理を食べながら、「私たちはもう同じ速さで回る2つの車輪じゃないのかもしれない」と話し、距離が離れていることを自覚していく。
2人の決別の場面では、激しい口論とグラスが割れる音が溢れている後ろで、穏やかで哀愁を帯びたメロディが流れ、2人の関係がもう修復不可能であることを際立たせる。切ない。
ナポレオンが必死に皇帝ナポレオン・ボナパルトとして在ろうとしていることに対するタレーランの回答は「ナブリオーネ・ブオナパルテ!!」なのである。その後「タユルラン」ではなく「タレーラン!!」と呼んでしまうナポレオンは、変わらずにとっておきたかった大切なものを自分から捨ててしまうんだなぁ……。あたたかいスープは、もう冷めてしまったのです。

「我々はこの世界という一つの食卓の、招かれし客なのだから」

ウィーン会議の冒頭場面で、ナポレオンの回想と、厨房でのカレームの様子が重なって見える。違う戦場で、それぞれの武器で戦う、2人の"帝王"の姿。王冠が見えた頃の、タレーランが大好きなナポレオンの姿がそこにあったことだろう。
難しい話は一旦置いておいて、みんなで美味しいデザートを食べようよ、と呼びかけるカレーム。この場面でカレームが作るピエスモンテは、そこにいる全員に縁のある美味しいもので構成されている。背景の違う様々な人達の大切な記憶を1つの料理にしてしまう圧倒的な強さが際立っていて最高だった。
タレーランは彼の呼びかけで、あの頃のナポレオンを思い出し、美味しく一緒に何かを食べた、この世で何よりも価値のある素晴らしい時間を思い出す。そんな偉大な時間の素晴らしさを、外交という彼自身の戦場で語る決意の籠った「デザートの時間だ」。物語の中に散りばめられた、色々な想いの全てが煮込まれた演説。あまりにも美しすぎる伏線回収の連続で私のマスクは見事に水没しました。

「美味い」

この世界の美味しいもの全てが詰まっている、ヴァーミセリのコンソメポタージュ。カレームがナポレオンに食べてほしい、初めて「美味い」と言ってくれた、彼の誉れ。勲章よりも価値のある言葉。これまでの思い出を味わった、たった一言の「美味い」。この美味しい物語を締めるのに、これ以上に相応しい言葉はないでしょう。
この"勲章"、カレームだけでなくマリーも貰うことができて良かったなあと思う。

「スプーンがなくては、人の命を繋いでいくことはできない」

この台詞や、「みなさまのスプーンで」に象徴される、美味しいものを食べるためのスプーン。命を守り、繋いでいくための道具。スプーンではなく、銃を手にしてクーデターを起こす1幕の最後と、みんなで笑いながらスプーンを持ってデザートを食べる2幕のウィーン会議の場面。フランスを守るためには、とそれぞれが考える場面で、持っている物が違うだけで、みんなの表情が全然違う。カレームの戦場では、誰もが笑顔なのだ。
銃や剣で争って土地を守ることではなく、スプーンを持って同じ食卓を囲むことで命を繋いでいくことができるという信条を最初から最後まで貫いたからこそ、カレームはこの物語の勝者なのだと感じました。
タレーランの「お前が正しい。いつだって」はそれまでの彼を全て認めた上での敗北宣言でしょう。
24日の配信を聞いたら中村カレームは言い回しが違った。VOICARIONのそういうところも好きです。

おわりに

美味しくて繊細で美しくて切なくて、圧倒的な満足度で「お腹いっぱい」になりました。私は今後、コンソメスープを飲んだりバゲットを齧ったり、ヒラメを食べたりエクレアを見たりする度に、世界のどこかであったかもしれない、この"世界一美味しい戦争"の物語を思い出すのでしょう。

「ではまたいつか、どこかの食卓で」
どこかの食卓で、私たちはいつだってカレームに会えるのです

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