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『日曜の夜ぐらいは…』と『ゆっくり、いそげ』 ―「人を手段化しない」カフェをつくる人たち―

ドラマ『日曜の夜ぐらいは…』の感想を4行でまとめると、
①3人の友情、いいなあ
②元ヤンで気さくなのに実は人の感情の機微に聡い役の岸井ゆきのさん、大好き
③和久井映見さん、チャーミングすぎる、素敵
④みねくん(岡山天音さん)、というかみんな、幸せになってほしい


それはともかく、サチ(清野菜名さん)たちがカフェを作っていく様子を見ていて、ふと、この本を思い出した。

この本は、東京・西国分寺にあるカフェ「クルミドコーヒー」の店主である著者が、自らのいわゆる経営哲学(実践に基づく)のようなものをまとめたもの。

この本の中で、「『ギブ(give)』から始める」というフレーズが繰り返し出てくる。
例えば、それにかかる手間ひまを考えると、明らかに安すぎる価格で提供されるスイーツのメニュー。これを食べたお客さんは、「これが1000円なんて安すぎる。もっと払ってもいいのに」などと感じ、再度の来店や周囲への紹介につながる、それが回りまわって、結果的に、お店の利益にもつながっていく――というような話だ。

自分/自社の利益を手に入れようとすること、つまりテイクすることがビジネスの動機になっている(中略)
それを逆転させてみてはどうか。
目的を、動機を「ギブすること」にしてみる。
かけるべき時間をちゃんとかけ、かけるべき手間をちゃんとかけ、いい仕事をすること。(中略)つまり「贈る」ことを仕事の目的にする。(中略)
自分たちが本当にいい仕事をできていれば、(中略)それは受け手の中に「健全な負債感」を生む。そしてそれに応えよう、応えなければいけないという気持ちが、直接・間接に作り手に利益をもたらす。

影山知明著(2015)『ゆっくり、いそげ―カフェからはじめる人を手段化しない経済―』
大和書房, p.234.

これは、対「お客さん」の話だけれど、対「社員(働く人)」についても

会社/経営者と社員/メンバーの関係を「利用(テイク)し合う関係性」ではなく、「支援(ギブ)し合う関係性」として構築しようとする(中略)
一人ひとりの人生は会社に先立ってある。会社は、一人ひとりのメンバーを「利用」するのではなく、それぞれの人生であり、そこに根を持った一つひとつの自発性を「支援」する。(中略)
たとえば新しくメンバーが加われば、そのメンバーが加わった分だけ、理念や事業の範囲も動的に変化してもいいのではないかと思うのだ。

影山知明著(2015)『ゆっくり、いそげ―カフェからはじめる人を手段化しない経済―』
大和書房, pp.150-151.

ひるがえって、ドラマ『日曜の夜ぐらいは…』。
例えば、メニュー(アイス)検討中のサチ。
大勢でわいわい、キラキラリア充のようなグループだけではなく、一人で来たお客さんも、疎外感を抱かないようなお店にしたいと言っていた。
純粋にカフェとしての利益だけを考えるなら、1テーブルに一人よりも複数人のグループの方が売り上げも増えるのに。

お客さんがどれだけ自分たちに利益をもたらしてくれるか(テイク)、ではなく、自分たちがお客さんに何ができるか(ギブ)、を真摯に考えているように思えた。

「対お客さん」だけではない。
サチの母・邦子(和久井映見さん)は、特技を生かしてカレーのレシピづくりに奔走していた。
決してサンデイズが邦子を利用しているのではなく、邦子が心からカレー担当を楽しんでいることは、その生き生きした様子から伝わってくる。

こんな風に、サンデイズには、たくさんの「ギブ」がある。

だからこそ、サチや若葉から(金銭的に)テイクしようとばかりするサチの父や若葉の母の姿が、対照的に目立って見える(とはいえ、かれらがこんな風になったのにもきっとわけがあるのではと思ったりもする)。

7話で、結局はお金なのかな、という趣旨のセリフがあった。
たしかに、宝くじが当たらなければカフェはつくれなかったし、3人も今のようにつながっていなかっただろう。
だけど、確かなのは、彼女たちはお金を「目的」にしなかったこと。
お金はあくまで「手段」として、自分たちや自分たちにとっての大切な人たち、そしてこれから来てくれるであろうお客さんたち(=「人」)の幸せを「目的」として願っている。

4人や4人を取り巻く人々の未来に、サチあれ・・・!と思わず願ってしまう。

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