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「ヌ」っぽい「マ」の「マ」感を強める

ここ数日は昼夜逆転がさらに逆転しむしろ健康的な時間帯に活動できているため、集合時間が早くとも慄くことはない。その日は午前中から千代田区某所に用事があった。

普段なかなか来ない場所なので少し手前から歩いて向かうことにした。途中、警備員が守る政界の建築物を通り過ぎていく。人通りの少ない中、「こっちを意識した向こう見」をかましながら、心の中で「朝からお疲れ様です。日本のため、我々の生活のためにありがとうございます。すいません。」と声をかけて彼らの前を通っていった。

予定の時間まで余裕があったので近くのカフェで時間を潰すことにした。昔はカフェや飲食店に入ると音楽やラジオを聴いていたりしたものだが、今はイヤホンをせずに人の会話を盗み聞きすることにハマっている。「盗み聞き」と言うのは人聞きが悪いので、「聞こえてくる音を遮断しないで受け入れてみる行為に興じている」、という言い方にしよう。聞こえてくるのだから仕方ない。あくまで受け身だ。

ある時は

「殺し屋にでもなりたいなぁ。」
「スパイファミリーばっか見てバカになった小学生みたいだね。」

なんて会話が聞こえてきて、ある時は

「一夏の思い出だけを残して転校してみたかった。」
「分かる。毎年夏に一生自分のことを思い出してほしい。」

なんて会話が聞こえてきて思わずメモをしてしまう。そしてこんな折に文章に起こしてみたくなるのだ。

千代田区のカフェと言うこともあってスーツに身を包んだ官僚らしき人達が疎にいた。不自然に思われない程度に近くの席に座って聞き耳を立てると(あくまで受け身だ)、今話題の旧統一教会の話なんかが聞こえてきた。特にメモをするような面白い発言はなかったのだが、カフェでの会話内容に土地柄がこうも反映されるものかとしみじみ考えた。そうこうしていると集合までの時間が20分に迫っていることに気づく。慣れていない土地での移動なので少し焦る、しかし、焦ったところで依然として熱々のホットコーヒーは一気に飲み干すことはできない。

「この世には猫舌なんてものはない」と言う旨のひろゆきの切り抜き動画をYouTubeにおすすめされたので観たことがあった。なんでも、猫舌だと言う人は食べ方や飲み方が下手なだけだという。例えば熱々の鉄球を両手に渡された時、手に熱さを感じないように右手左手に代わる代わる鉄球を移していきますよね、それと同じように熱さを回避するように舌を動かせばいいだけのことなのに、それができないのをあたかも自分は熱さに弱いんだと思い込んでるんですよ、みたいな内容だった。なるほどな、と思ったのを覚えている。

その教えを実践しようと再度熱々のホットコーヒーに挑むが、ちびちび飲み進めることしかできないので、仕方なくちびちび飲み進めていった。ちびちびよりも思い切って大胆に飲んでみると、喉を経由して胃に向かっていくコーヒーの温もりが感じられた。その最中、夏のホットは許せるけど冬のアイスは断固として受け入れられないな、とこれからの冬の到来に思いを馳せた。遂に飲み終えると、集合時間まで10分となっていた。

カフェを後にして地図アプリに従って集合場所へと向かう。徒歩3分と表示されたので先ほどまでの焦りは必要はなかったのかもしれない。しかし、焦った時間があったからこそ後の余裕があるのだと納得した。

集合場所に無事到着し、時計の短針が直立するより前に用件が済んだ(ここはあっさりと書くことにしよう)。

その後、個人的な用事のため高円寺に向かうことにした。と言うのも、古着を買いに行きたかった。先日投稿した自由律の随筆の中で、ピース・又吉さんのYouTubeチャンネル「渦」について書いたが、ここ数回は高円寺の古着屋巡りの動画を投稿している。今度機会があれば行ってみようと思っていた中、今日が良さそうだと思ったのだった。

高円寺には過去に一度だけ行ったことがあった。その時も古着を買いに行ったのだが、その時は高校からの友人(♂)も一緒だった。最近はその友人と連絡をとっていないが、名古屋で立派な社会人をしていることだろう。

久しぶりに来た高円寺の風景は少し変わっていた、と言えるほど前回来た時から月日は経っていない。まずは腹ごしらえをしようと商店街の中飲食店を探す。ラーメン屋で妥協したくはない。すると、美味しそうな雰囲気を醸し出すタイ料理屋を発見し、そこに決めた。店前のメニュー看板を見ていると、店内の厨房からタイ語で話す店員の会話が聞こえてきた。果たしてそれがタイ語なのかは定かではなかったが、脳内の網目の粗いタイ語フィルターに、「コップンカー」らしき言葉が引っかかった気がしたので間違いなさそうだと思い、入店しようとすると、「入口の用紙に名前を書いてお待ちください。」と言われた。ちなみに調べてみると、その用紙の名前はウェイティングリストというらしい。少し早い時間だったが、確かに店内は満席だった。

ボールペンを手に取りウェイティングリストに名前を書こうとしたところで、果たしてここは本名である必要はあるのか、とふと頭に疑問がよぎる。仮に偽名を書いたとしても店員からそれが偽名だとバレそうにはない。だからとは言え、「ダザイオサム」とか「ブラットピット」みたいなあからさまな偽名は避けた方が良いだろう。そもそもフルネームじゃなくても良さそうだ。だが今度は、「サトウ」や「タナカ」では識別子としての機能は弱そうだという別の問題が浮上する。そんなことをペン先が紙に触れるまでの瞬間で考え、そして次の瞬間には「マタヨシ」と書いていた。自分の中では非常に納得感のある答えだった。一応断っておくが本名は又吉ではない。

カタカナの羅列に書き慣れていないから「マ」が「ヌ」ぽくなっていて「ヌタヨシ」に見えた。気が付くと自然に手が動き、「ヌ」の上から「マ」を書き重ねて「マ」感を強め、ちゃんと「マタヨシ」に見えるようにしていた。客観的には「ヌタヨシ」のままにしていても問題ないはずだったのだが、ちゃんと「マタヨシ」にしたかったのだった。

程なくして口にしたグリーンカレーは絶品だった。

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