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コカ・コーラを、あまり飲めなくなった理由。

 コーラ、は特別な飲み物だと思う。

コーラという飲み物

 黒くて、炭酸が入っていて、フルーツジュースなどでもなく、独特な味がしていて、おそらくは清涼飲料水は、コーラ以前と、コーラ以後で分かれるくらい画期的な「発明」ではないかと思ってきた。

 その中でも、コカ・コーラに関しては、それを飲むととてもハッピーになれるような気持ちにさせるコマーシャルを含めて、そこに流れる音楽も記憶に残っている。


 そして、カロリーを気にして、一時期は飲まなくなっていたのに、ダイエットコークや、ゼロカロリーコーラなども登場して、飲み続けることができていた。

 だけど、最近、同じコーラだったら、値段もスーパーでは、より安い、ということもあるのだけど、ペプシコーラばかりを飲んでいるコカ・コーラは、今もスーパーの棚にたくさん並んでいるのだけど、手が伸びにくくなった。

聖火リレー

 きっかけは、分かりやすいかもしれないけれど、2021年の東京オリンピックの「聖火リレー」だった。

 小高い丘にひっそりと立つ市営陸上競技場。ここがいわき市の聖火リレーコースの出発点となる。私は競技場から約200メートル下り、中腹の沿道で聖火が来るのを待っていた。
 最初に小型車が来て、「もう少しでランナーが来ます。大声は控え、拍手で応援しましょう」とアナウンスされた。沿道の隣にいた浦山義直さん(71)に話し掛けると、「次男がランナーの伴走者に選ばれているんだ」と目を輝かせている。
 しかし、森の陰から「ズチャ、ズチャ、ズチャ」と大音量の音楽を響かせ、やってきたのは大型トラックだった。真っ赤に塗られた車体に「コカ・コーラ」の文字。リレーの最上位スポンサーだ。

 車両は「コンボイ」と呼ばれる宣伝用の改造車らしい。荷台部分の上部分にDJ(ディスクジョッキー)が乗り込み、マイクで叫んできた。「福島のみなさん1年待ちました」「踊って楽しみましょう」。DJはマスクはつけていない。沿道と距離は近く、観覧者に飛沫(ひまつ)が落ちてきそうだ。われわれには「大声を出すな」と言っていたじゃないか。
 車両は早歩きくらいのスピードでのろのろ進む。並走し、10人ほどのスタッフ(マスクは着用)がダンスを披露したり、観覧客にタオルを配ったりしてくる。コロナ禍の最近は、接触を避けようと街でティッシュ配りも見なくなったけど…。

 ほかの最上位スポンサーであるトヨタ自動車、日本生命、NTTグループの「コンボイ」が続いてやってくる。「ゆず」や「EXILE」の曲をかけ、こちらはマスクを付けたDJが負けじと声を張り上げる。いくつもの音楽と掛け声が重なり、かなりうるさい。

 警察車両も合わせて30台ほどがすぎたころ、車両の影から聖火が見えた。「来た、来た」と浦山さん。すでにランナーと伴走する次男は20メートル前ほどまで迫っていた。
 慌ててカメラのシャッターを切る浦山さんに感謝を述べ、私は坂を下ってコースを先回りした。次のポイントは競技場といわき駅の中間地点。住宅地が広がり、さっきより人出が多い。歩道が狭い場所では隣同士の肩が触れ合うほど「密」が生まれていた。やはりランナーより先に来る宣伝車に対し、観覧客も驚く。

(「東京新聞」webより)

 この記事↑は、2021年3月26日で、1月から出されていた緊急事態宣言は3月21日に解除されたばかりだったけれど、次に緊急事態宣言が出されるのが、4月25日だった。

 この頃、コロナ禍はどうなるか、まだわからず、私も、家族に持病を持つ人間がいたこともあって、感染に怯えるような日々だったのに、この聖火リレーのために、一時的に、緊急事態宣言が解除されたのだろうか、と疑うようなタイミングだった。


 その上、この「東京新聞web」の記事にあるように、聖火ランナーよりも、スポンサーの方が目立つような光景のようだったが、それでも、活字で接するだけでは、この日本に住む人間だけではなく全世界がコロナ禍に怖さを持ち続けているのは、誰でも知っているのだから、そこまで、激しくないのではないかと思っていた。

 だけど、今は、どこに残っているか分からないけれど、当時は、聖火リレーの動画が、あちこちでアップロードされていた。それほど、情報に強くない私でも、そうした動画を見ることができるくらいだった。

 本当に、お祭り騒ぎだった。なんだか、うんざりするような光景だった。

プロパガンダ

 確かにスポンサーからしてみれば、この機会に自社のアピールをするのは正当な行為だし、正しい方法論なのだとは思う。

 ギリシャから開催国まで聖火をリレーで運ぶというアイデアは1936年のベルリン大会から採用され,これはナチス=ドイツによるオリンピック宣伝,国威発揚の効果をねらったものだった。

(「キッズネット」より)

 聖火リレー自体が、元々がプロパガンダとして始まったシステムだから、それも含めて、伝統的な方法だと思う。

 だけど、東京オリンピックの、この頃はコロナ禍だった。

 しかも、社会の片隅で生きている人間にしてみれば、緊急事態宣言下なのに、オリンピックも「強行」された、という印象だった。

 そして、この後、オリンピック関係者は、その因果関係は頑なに否定するものの、オリンピック開催の7月から、コロナ禍はひどくなり、第5波になり、入院できず自宅療養中に亡くなる人まで出てきていた。

オリンピックの意味

 人によって違う印象なのだろうけど、私は今でもこの緊急事態宣言下でのオリンピック開催は避けるべきだった、と思っている。

 当時は、今よりも、もっと感染が怖かったし、そんな様々な人間の不安をやわらげる、というよりは、無視するかのように、あの聖火リレーは、場違いな「お祭り騒ぎ」に見えた。

 その印象は、今も変わらない。

 もちろん、そうした動きは、誰も止められなかっただろうけれど、それでも、これまでとは全く違う状況であるパンデミック下での聖火リレーを、どうするのがいいのか。そして、この機会に、聖火リレーは、これまでのやり方で、本当にいいのか。オリンピックの本来の意味から、考え直してもよかったはずだ。

 国際オリンピック委員会が中心になり、スポンサーも含めて、再検討すべきだったのに、それをしてこそ、平和の祭典という名前にふさわしいのに、それをしようともしなかった。ということも含めて、あの、オリンピック一連のことは、あまりいい思い出ではない。

 特に、人々の不安を無視するかのような、いつもと同じように、盛り上げることに徹していた聖火リレーのスポンサーの、動画で接した「コンボイ」の音量は、とても怖さを感じたし、コカ・コーラの印象は、それ以来、その光景と結びついて、コカ・コーラを、あまり飲めなくなった。

 そんな個人的で、社会的には弱い人間の気持ちとは関係なく、今日も、スーパーの棚には、コカ・コーラが並んでいる。そこには、いつもポジティブな空気があるように見える。

 だけど、その明るさが、聖火リレー以来、個人的には、怖さをまとってしまったように思える。

工場見学

 そんなことを改めて思い出したのは、この前、コカ・コーラの工場の前を、たまたま通りかかったからだった。

 中学のとき、夏休みの自由研究で、工場見学をすることにした。当時の自宅から、数キロの範囲に、様々なメーカーがあったのだけど、たまたま、もっとも近いのが、コカ・コーラの工場だった。

 そこに、どうやって申し込んだのか、まったく覚えていないのだけど、行く前から楽しみだったし、行った時も、その工場の商品制作の過程よりも、当然、見学の後にコーラが飲めるのが一番の目的だったし、中学生は、まだ子どもに近いし、バカなことを質問したような記憶もあるのだけど、スタッフの方々はとても親切だった。

 だから、見学が終わり、工場の出入り口でバスに乗り込むクラスメートとは別れて、私はバス停2つ分を歩いて、ずっと気分が良く自宅に帰ることができた。

 そのときの記憶は変わらないし、感謝の気持ちはあるとしても、これからも、コカ・コーラのスポンサードの方法が大きく変わったりしない限り、コカ・コーラを飲む機会は、ほとんどないと思う。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、嬉しいです)。



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