まりな_カメラ_063

「親=山」 私の前に立ちはだかる山々。

どうもこんにちは、ただの山の子です。

私は反抗期真っ盛りの元ひきこもり現役JK(17才)

JKというと大人からしたら華やかに聞こえるかもしれないけど、私は通信制の高校生。学校は週に1~2回だけ。だからその分平日は暇だ。

でもその分できることは平日は全日制の高校生に比べて、余裕がある。

バイトや友達と遊んだり、趣味に没頭できたりする。でも私の住んでいる地域はバイトのできる範囲は限られるし、電車の本数も少ないド田舎だから友達のところへ遊びにはなかなか行けない。

それを言い訳に15、16才は絶賛ひきこもり期だった。でもその期間がなければ今に繋がっていなかったと思う。なぜなら家にいることが飽き、悶々として次第に外に出ていろいろ興味のあることにチャレンジしたいと思うようになったから。

だが、なにかしたいというとき外に出るためには親に事情を話して足を借りなければならない。でも私自身、感情だけが先走り説明がうまくできずゴチャつき、親は不満いっぱいで「は?」となってしまう。

つまり、伝えたいこと+気持ちや感情が重なる→うまく相手に伝わらない

=自己嫌悪とイライラが溜まる。こうしたことで親と悪循環が生まれてしまう

そして今、これから挑戦しようとしていること、やりたいこと。自らのチャレンジ精神に立ち塞ぐ「山のような親」が現段階でとても厄介に感じてしまう。

でも今起きている問題や悩みは反抗期だからこそ起きうることで、ごく自然なことだと冷静になってから気づいた。

しかし今17才のモヤモヤ独特の反抗期は、15,16の頃の反抗期とは少し違う気がする、、、。まさにこの今、例えるならば「高度経済成長」のように色々なことを急速にスポンジのように吸収して、日々さまざま教えてもらいながら、成長を己の血肉になっていることをヒシヒシ感じています。

そのように急速的に大きく成長していく上で自分も大きくなっていくのだから当然「山のような親」が私の視界を邪魔してきてしまうのも、仕方ないのだと

逆に山のように私の前に立ちはだかる親はまるでドラ○エのモンスター(敵)

「敵がいるからこそ倒したい」っていう反逆心と、負けてたまるかと食らいついていろいろ頑張れたりするわけで・・・。

でも今は、私の前に山のように立ちはだかる親も私が地元を離れて独り立ちすれば、故郷で「父山」「母山」のように遠くから眺めるように見守ってくれていると思います。そして親もひとりの人間であることは変わりないからいつか死んでしまう。親の存在を当たり前だと思えるのはきっと今のうちだけで、親が年老いていくほどありがたみをじわじわと感じてくるのかなぁ。

(その時々になってみないとわからないけど。。)

なんだろう・・・、この立ちふさがる親や悩み、コンプレックスなどドロドロ憤りのないどうしようもない気持ちは今しかないものなんです。きっと大人になったら忘れ薄れていってしまうだろう、この貴重な感情の心のカケラを大切にしたいです。そのために詩でしっかり記録として刻んで、大人の自分が後先、読んでどう感じているか楽しみです!

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どうしても長くなってしまいました!

最後まで読んでくださりありがとうございます!

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