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けむりの肌に

以前より気になっていたものの、タイミングの合わなかったキ上の空論さんの舞台。

今回は、安西慎太郎さん、谷佳樹さんの名前が並ぶのを見て観に行きたい!とまた思い、ついに観劇が叶いました。

結論から言うと、大好きな演劇を見つけることができました。

暗転はほとんどなく、入れ替わり立ち替わり人物たちが出てきてはシーンを演じる。それらはある世界の一角で、交わりそうで交わらない。近くにいる人の出来事だけれど、さっきのシーンにいた人は今のシーンの出来事を知らない。しかし舞台上ではその場に残ってそのシーンを別空間からじっと見ている。この演出が巧みで好きでした。受け取り方があっているかは分からないけれど。

誰かにとって素敵な人は、他の誰かにとってとてつもなく悪い人だったりする。複数あるコミュニティを生きる人間。どこに自分が重きを置いているかとか、すごく自分勝手な部分。でもそうして選択をしないと人間は全てを抱えきれないんだと思う。それに人間は自分の感情の全てをコントロールできるわけじゃない。コントロールできる感情なんて本物だろうか。思わぬ誘惑に負けたり、人の気持ちを考えているつもりが自分のエゴだったりする。

わたしは観客として、ここにいる人たちの世界を、何人かの人生で起きた出来事を、すべて見ることができた。だから分かることがたくさんあった。

この人は昔にこの経験をしているから今傷付いたんだ。自分が他人にやられて怒っていたことをすっかり忘れて、似たようなことをまた別の他人にやっているな。誰かのさりげないセリフが、ある誰かには致命傷で、トラウマだったり。

どんなに近くにいても、わたしたちは人の人生の全てを知らない。ごく僅かな一緒に過ごした時間以外の事は、一生誤解していることだってあるのかもしれない。無意識に人を救いもするし、傷付けもする。

思いがけない誰かの一言で、ずっとはまらなかったピースがぴったりはまることもある。

今時タイムリープものとかたくさんあるけど、わたしは苦手。ほんの一言、ほんの1アクションが及ぼす影響は大きいと思うから。それによって人生の全てが変わる人もいると思うから。そう簡単に描けるもんじゃない。今回の劇を見て、そんなことを思いました。

人の人生は難儀。上手くいかなくても充実する人もいれば、上手くいっているのにボロボロな人もいる。それを上手くいっているとは言わないかな。

役者がもれなく全員素晴らしく、リアルを生きすぎて、自分も同じようなことを他人にして無意識に人を傷つけてやしないかと、ドキッとしてずっと苦しかった。主軸にいる人物たちの年齢に近いし、社会を生き抜く人たちの日常が自分の日常と重なった。

舞台セットも大好きだったな。椅子や照明がいくつも置かれていて、それがシーンごと演者の手によって動く。

椅子さえあれば芝居はできる、と始まったユニットです。

キ上の空論Twitterプロフィールより

これでした。なんだか応援している役者のソースにも似ていて、わたしにとっては身近な魅力でした。面白かった。

具体的に好きなシーンやたまらない気持ちになったシーンがたくさんありますが、まだ言わないでおきます。来週日曜までCBGKシブゲキ‼︎にて上演中です。お時間許す方はぜひ、見届けてみてください。

P.S.大千秋楽おめでとうございます!

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