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ナイコンエイド

震える手が台本を開き、
拝啓から始まる母への手紙

あらすじだけ読んで挑んだ初めての朗読劇「ナイスコンプレックス」は、主観で見ざるを得ない物語でした。

見た人それぞれに感じ方が違うだろうと思います。
似た境遇の人もいれば、
まったく縁のない人もいる。
身近でないと思いながら、
もしかしたら自分にも起こりうる。
もう終わった人もいれば、
これ以上に悲しい運命を辿った人もいたかもしれない。

誰にとっても他人事とは思えない、
母と子の物語でした。

でも、物語だからいい。身近に感じられないからといって何か後ろめたく思う必要もない。

主人公には仲間がいた。脚本を喜ぶ人もいた。そんな中、苦労は続いたし、苦労する理由と、脚本を諦められない理由、どちらにも母がいた。苦しめたのも背中を押したのも母だった。誰も悪くない。

悪い人なんて誰もいないのに、現状はどんどん悪くなった。

大丈夫じゃない大丈夫が届くことの方が少ないし、大丈夫の壁を破るのは簡単ではない。

何もできないと嘆く人がいても、届かなくては現状は変わらない。

頼る人も、頼られる人も、気付き歩み寄ることが必要で、でも、何でも他人の人生を自分のことのように背負って一緒に落ちていくのではダメだ。その塩梅が難しいと思う。愛がそこにいくらあっても。

本当に助けたい、大切な人が本当に大丈夫じゃない時、私には何ができるだろうか。

誰にでもある物語。だから、これを見た人は間違えないように。善も悪も無い。必要な時、手を伸ばせるように、手を差し伸べられるように。これはもう市町村や国までもがみんな支え合わなければいけないことだったりもすると思うし。

そんなことをずっと悶々と考えてしまうような物語でした。

その真ん中で震えながら、感情の全てを共演者にぶつけて、返ってきたものを拾って、正真正銘の全身全霊、全てを捧げて駆け抜けた役者のことを尊敬します。

もう一度見られるかはわからない。私もしんどかった。それでも、見に行ってよかった。これが演劇で良かった。

このnoteは上手に書けませんでした。私の負った傷を保存するように、記録としてここに残します。

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