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#5 「人生の目的」って宗教くさい

仲の良い友だちが、何らかの宗教団体に入れ込んでいたら…ちょっと引くだろう。私は46年間、平均より多くの人に会っているだろう。しかしキリスト教の人を2名知っているくらいだ。宗教の話題って禁句だからね。

「人生の目的」ってなんか宗教くさい

宗教に触れたことがない大学生。そう思うのはしょうがないと思う。むしろ危険察知能力として良いことかもしれない。「自分が分からないもの」=「怪しいもの」と考えるのは良いことだ。投資詐欺やマルチなんかもあるからね。

「人生の目的論」を動画化する際、出版も見据えて弁護士に相談した。「人生の目的」というフレーズ自体、五木寛之氏の書籍も含めてありふれたものだからだ。なぜ「人生の目的」という言葉になるか?それは他に言い方が無いからだ。

ある世界的な人材会社が、日本でパーパス経営に関する教育プログラムを立ち上げる際に相談があった。

弊社の企業向け人材教育プログラムで「人生の目的」という言葉を使わせていただいてもよろしいですか?

キャリア観点では先行して世の中に出しているからだろう。わざわざ使用許可のご相談を頂いた。もちろん快諾した。この事実が「人生の目的」以外に、表現のしようがない事を示している。ちなみに、人生の目的論の最後にも書いてあるが、就活塾のような利益団体でも、この考え方を使って良いとしている。

ではなぜ「人生」の「目的」と表記しなければいけないのか?

  • なが〜いスパンの自分の「目的」を示す

  • 仕事や会社などのチッポケな"場"と切り離す

  • 多様な生き方は「自分の人生」に軸を持つ事で始まる

もちろん面接などの場面では、こういう言い換えをしたって良い。

  • 私のパーパスは…

  • 私の仕事選びの観点は…

  • 私が仕事を通じて近づいていきたい事は…

  • 私の社会人としてのテーマは…

好きにして良い。そんなところは全く合否に関係ない。

この会社に入ったら幸せになれるよ

↑私からしたらこの方がよっぽど宗教くさいと思う。

おわり

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