3years

2023年6月20日に大台に突入します。 これを機に自分の根本的なアプローチの変革を行…

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2023年6月20日に大台に突入します。 これを機に自分の根本的なアプローチの変革を行おうと決意致しました。 様々な分野での変革が必要になる予定です。 これらをどう変革していったかの試行錯誤を書いていきます。 終了は2026年6月20日です。 宜しくお願い致します。

最近の記事

感覚

脳と分断する。 この課題が出て来て、今日の朝にふと思った。 感覚を表現するには脳を使わなくてはならない。 それでも脳と分断する。 こんな事をどう表現するのか。 何だか良い問いが出て来たなと思う。 脳と分断しながら表現をする。 なんて出来るのか。 ただただ感覚の渦に自分を任せる。 そうなのだろうか? いや、こんな簡単な答えの筈はない。

    • 分断

      私の課題はここで書いている通り、分断である。 この分断であるが、私の場合は自分の中での分断である。 一方、社会を見てみると分断が当たり前の社会になってしまった。 当たり前と言えば当たり前だが、中産階級が無くなった。 これは分断の象徴である。 今までは生活レベルが同じの人が多かった。 しかし、今はそうではない。 だからこれからは本当に何が当たり前なのかを 擦り合わせるのが必要な時代となった。 これは今までは結婚というフェイズで事件が起こる。 これが型だったのだが、これからはもう

      • 土台

        土台を造るにはコツコツやっていくしかない。 過去はこんな思考は全く無かった。 だからいつも思っていたのは中途半端な自分だった。 確かに今でもそのきらいはある。 しかし、これはほとんど無くなったと言える。 何故なら、やり切るが基本スタイルになったから。 やり切らないと何も見つからないのが分かったから。 ただひたすらやれるところまでやる。 こんな姿勢でいる私から見ればライバルは居ない。 やり切っている人なんて残念ながら居ないから。 こんなチョロい勝負なんて面白くないから、 新たな

        • 出来ない

          出来ないのは問いが変わらないからである。 どうやら答えはこれである。 問いが変われば答えは自ずと出て来る。 しかし問いが変わらなければ答えは一生出て来ない。 この変わるタイミングをひたすら待つ。 それには修練を積む。 これが型なのだろう。 となるとどんな修練を積めばいいのか。 これが分かれば良いのだが、分からない。 何故なら問いが変わらないから。 このループなのだと思う。 さてこの問いはいつ変わるのだろう。 これを観察する為にこれを書いているのだろうが。。。

          三元論

          今日、何故三つ出て来るのか分かった。 それは私のいつもの二元論を統合した解があるから。 私の生きている世界では二元論で全てが終わる。 何せ限定された社会だから。 この世界では勝つか負けるか。 この勝負はある種、簡単に勝負が決まる世界である。 そしてこの勝負は二元論で構成されている。 しかし、人はそうではない。 いわゆる道の世界では三元論で話が進む。 この差できっと人は壊れていくのだと思う。 そして基本的には社会は二元論のように思える。 だから認識とギャップが起こりやすい構図な

          二元論

          お客さんと話をしていて、二元論の話になった。 どうなったらどうなる? こんな話をしていて、こんな事が分からないのかなぁと思った。 自慢でも何でもない。 これが普通なのである。 こうなったらこうなる? どうなったらどうなる? こんな話ばかり。 きっとこんな脳の動きをひたすらしているのだと思う。 きっとこれが日常な人と日常で無い人がいる。 ただそれだけなのだと思う。

          感覚

          脳と分断。 これがテーマとして出て来た時に当たり前だが、 感覚をどう捉えていくかという問いが出て来る。 感覚としてどう仕事をやっていくか。 きっとこれは誰も到達していないテーマだと勝手に思っている。 そしてこの山を登り切ればきっと見える景色も変わるのだと思う。 さて私の仕事で感覚となると・・・ 今までやってきた自負があるので、この部分は感覚として捉えられるが、 この次元ではまだまだ。 何もやっていないと同じだと言える。 さてどんなヒントを基にやっていくか。 思い浮かばない、た

          今日、法律の穴を見つけた。 こんなレベルで見付けれるなんて。 とはいえ、何も役に立たない。 しかし、これを見つけれただけで収穫と言える。 今日はただのご報告。

          朱に交われば赤くなる

          これは自分をどんな環境に置くかが重要であるという意味の諺である。 別の意味ではどんな基準で自分は仕事をするかにも繋がる。 さてどんな基準かと言うと、脳を分断して仕事をする。 きっとこれはもう基準ではない。 美学、いやもうそれでもない。 根本的なやり方の改善である。 それも今まできっとある業界ではやった事が無い取り組みとなろう。 そんな事をやらなくてはならない。 いや、やるしかないのだ。 もう限定された社会ではもう太刀打ちが出来ない。 そんな社会になっている。 とはいえ、大衆は

          朱に交われば赤くなる

          当たり前

          人は自分にとっての当たり前は話さない。 そして話せない。 何故なら当たり前だから相手にとっても当たり前に出来ていると思うからである。 しかし、相手にとって当たり前かどうかは大体、当たり前でない事が多い。 だからほぼコミュニケーションは通じていないと思った方が良い。 こう思うと、お客さんとのコミュニケーションは全く変わる。 こちらが当たり前と思っている事とお客さんが当たり前と思っている事のすり合わせをやる。 これが普通になるからである。 とはいえこんな事を意識的にやっている人は

          当たり前

          厄介な仕事

          最近、両極端のしごとをやっている。 ほんとチョロい仕事とかなり難しい仕事。 この差はかなり激しく、きっと社会ではこんな状況になっているのだろう。 今後、この傾向はどんどん加速していく。 かなり難しい仕事がどんどん増えていく。 こんな社会の動きに耐えられない人たちはきっとAIによって失業し、 そして自分を滅ぼすことになるだろう。 自分を甘やかすという事がいかに残酷な現実を生んでいくか。 これからまざまざと自分に見せつけられることになる。

          厄介な仕事

          脳との分断

          今日、話をした人に言われた。 「私は脳と分断をしました。」 脳と分断!? いわゆる言葉で表現するのを止めた話だった。 さてこれを聞いた私である。 脳と分断した仕事とは? 脳を使ってやる仕事なのに? そんな事できるのかい!? いや、これは大いなるいつもの問いである。 矛盾を超えた所に新たな到達点がある。 これはある方々から教えられた事。 これか、私が取り組むのは。 んんん???

          脳との分断

          生き残る

          これからの時代に生き残ると言っている若者がいた。 この生き残り方が現代的だなと思った。 何故なら現在の状況が変わらなければという前提があるからだ。 この前提が間違っている。 この前提は既に無い。 分かりやすい事例だとマイナス金利から金利のある社会となった。 こうなると破綻するのが見えているのが日本の国家財政である。 いわゆる国債である。 現在は日本国民でほとんどを所有しているが、これが外国人を必要とした場合にはもっと金利を上げないと旨味はない商品となる。 だから金利は上げなけ

          生き残る

          修練と習慣

          よい習慣を身に付けるには修練が必要である。 悪い習慣を身に付けるにはもう既に習慣になっている。 この言葉を聞いた時に思った。 日々、修練である。 ただひたすらに修練を自分の生活に組み込んでいく。 ただそれだけが人生のキモである。 そして時間効果を入れればそれだけで終わりである。 ただひたすらに修練。 それが生活の根本である。

          修練と習慣

          卒業

          一昨日で師匠のセミナーからは卒業した。 最近、出会った方々の方が訳の分からない事を言ってくれる。 是の方が学びが大きいからだ。 理論での勝負はほぼ終わり。 これからは見えていない世界での勝負が始まっている。 何も見えないまま、終わるのかもしれない。 でもある人の言葉を借りるなら、 「うわっ、難しっ。でも面白い」だろうか。 このブログを書き始めた意図は漸くスタートラインに立ったのかもしれない。。。

          初勝利!?

          さっきまで師匠のセミナーに出ていた。 そこであるワークが出された。 このワークが出された時に私が作っていたコンテンツの方が優れていることに気が付いた。 もちろん、ただの方法論である。 しかし、この方法論の方が圧倒的な結果の差が出る事が分かる。 漸く師匠の影を踏んだ?かもしれない。 〇年かかって漸くその場に立てた?かもしれない。

          初勝利!?