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「全ての自殺志願者に告ぐ」

自殺と聞くと必ずネガティブの果てをイメージしますよね?

確かにその時、背景は完全にそうです。

ただし、その状況で下す「自殺」という判断は、果たして本当にネガティブなのでしょうか?

20代の最後は見事に棺の形をしていた。


そう、あれは僕が自殺未遂をしたときのこと、今では笑い話のように「3種の自殺未遂」としてサクッとあちこちで語ることも多いのですが。

当時の僕は、夫婦で働いてました。

こじれた精神の僕は、そもそも「結婚」自体が自身の信念を捻じ曲げた形であったので、それが崩壊するとき、まぁ「離婚」なんですが、信念を砕くダブルパンチとなって、完全に詰んでしまいました。

狭い視野です。

でもそのとき、本気で「終わり」だとしか思えなかったんです。

例えば、義務教育の間、僕には学校は苦手だけど、それ以外の選択肢が全く想像出来ませんでした。

言わば、学校に通ってるという、その内側までが僕にとっての「世界」で。

真面目(=アホ)でしょ?

「世界」よりも外は「終わり」としか考えられなかったのです。

本当は色々あるのに。

で、20代も色々やらかして(ある意味限界を試してたのかも)、落ちに落ちて崩壊した挙句、自我やら信念やらを捨てて、本来ならしないはずの「結婚」をしたその上での、もっとありえない「離婚」という状況は、僕にとって初めての「世界」の外側だったんです。

リカイフノウ!…リカイフノウ!…&$#@*!?


まさにそんな感じで、僕は「自殺」を決心するのでした。

そう、今回言いたいのは、その時のことなんです。

ひとが死のうとするとき、その背景にどんなに悲しい旋律が流れていても、どんなにテンションが低かったとしても、実際に「死ぬ」というまでには、なんらかの「1ヨイショ」が必要です。

栓をひねるヨイショかもしれませんし、飛び降りるヨッコイショかもしれませんし、グサッといくドッコラショかもしれません。

でも、そこに至るとき、その判断て、実はポジティブなんじゃありません?

・そうするしかないと思える思考のポジティブさ。

・その手段で合ってると思ってる判断のポジティブさ。

・綿密に練られてもいない手段のポジティブさ。

・誰に迷惑かかるやも顧みない影響のポジティブさ。

どれをとってもポジティブしかないんです。

追い詰められて雑になったあとの希望の光。

ほんと間が悪いと言いますか、直前までネガティブにあれやこれや考えてるんで、いよいよなって、本人の自覚もないままポジティブに切り替わって、天国の扉が開かれるわけです。

怖いですよね。

最後ポジティブになりさえしなければ死んでないんですよ。

本当にネガティブならば、悲しみの底や、無気力の底に沈んだとして、そのまま何日も何日も辛い悲しい苦しいみたいな感情が続いて、ただただそのままなだけなんですよね、その挙句に衰弱死することはあっても。

もっと厳しい言い方したら、それしてていいとも思えないんですよね、ネガティブだと。

自殺は思想、自殺は文化。


だから伝染するんです、模倣が起きやすいんです。

ただ心が衰弱して自然と死んでしまうのではないんです。

ネガティブになることで弱るのは事実です。

その弱った状態で繰り出されるポジティブが恐ろしいんです。

自分自身ですらネガティブだと思い込んでますから、周囲も完全にネガティブだと思って接してしまいます。

治療方針もそうですが、なんとかしてポジティブにさせようとします。

いやいやいやいや!

あかんあかんあかんあかん!

逆のことしてたのかもしれない全部。


元気付けてもだめ、となればどうしようもない。

そう思うかもしれません。

単にポジティブにさせることなんかよりも大切なのは、僕の場合そうであったように、「世界」の拡張です。

思い込みの「世界」の外側、その謎の「終わり」を「つづく」にして、「世界」のサイズ感を変えることが必要です。

そうやって「世界」に穴を開けてやりさえすれば、ポジティブな圧が高まっても「自殺」の栓を飛ばしてしまうことはないでしょう。

そんなある意味パワーの要る「1ヨイショ」よりも、開いた穴から拡張された「世界」へと自然と流れ出て行くので。

それでは、ドキュメント、僕の場合。

あ、もうここからは読まなくっていいですよ。

有料にしますから、読めないでしょ?

話しかけなんで、当時、僕の自殺未遂がどんなだったかを。

拙いですよ。

まず最初に、僕は何をしたかと言うと?

えと、何もしなかったんです。

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