見出し画像

諏訪四社巡り①「朝風呂」

2024年2月某日。


午前5時、まだ日も昇らぬうちに起床。休日にしては相当な早起きである。偉業。

道の駅でトイレを済ませてから車を走らせる。国道沿いに設置されている温度計は『-5℃』を指している。俺が諏訪地域へ向かったその日は、冬が強引に春を押し退けたような寒さに包まれていた。昨日の松本は暖かかったのになぁ。

車通りの疎らな国道20号線をひた走り、標高1,012mの塩尻峠を超えると、これ以降は岡谷市であることを告げる標識が目に入る。比喩表現だと困難を突破したことにはなるのだが、現実はそうはいかない。

俺は下り坂がめちゃくちゃ苦手なのだ。

しかもここからの景色は有り得ないくらいに良い。ただでさえ気を張らなければいけないのに、よそ見が必至である。中央に静かに鎮座する諏訪湖と、まるでそれにあやかるように、はたまたそれを護るかのように周囲に形成された街並みは、唯一無二だと俺は思う。懐かしい……つい数ヶ月前に初めてこの道を走ったとき、俺は堪らなく興奮したものだ。

本当の意味での峠を超え、岡谷を尻目にそそくさと下諏訪町へ向かう。俺がこんな時間から移動を開始しているのは別に人と会う約束があるわけでもなく、遅れることが許されない大切な用事があるわけでもなく、ただ単に朝風呂がしたいだけなのだ。

旦過の湯、今日最初の目的地である。


下諏訪地域は朝風呂文化が根付いているらしく、早朝から営業している温泉が多い。しかも、天然温泉でありながら街の銭湯のような小規模なものばかりなのである。俺はそこに惹かれた。

橙の暖簾が可愛らしい旦過の湯入口

6時半頃に到着したが、すでに先客は何人かいた。どうやら地元の方と、遠方から来たその方の友達らしい。アラフォーくらいの見た目ではあったが、俺よりずっと元気そうである。

「ここらへんの山はスケールがデカくてテンション上がる」
「俺らが海見たときのテンションと一緒だな」
「確かに……それはそうとこんなに熱いお湯は初めてだ」
「ここらへんの人間はこれが普通だよ、コツは体が熱さを感じる前に超スピードで湯船に浸かること」
「……やっぱ無理だわ」
「はっ!情けねぇなぁ!!」

事前に下調べをしていたので、もちろん承知の上ではあるのだが、ハッキリ言ってここの内湯は「ふざけんな」って叫びたくなるくらい熱い。本当に熱い。熱いというかむしろ痛い。『ややあつめ』と『あつめ』に分かれているのだが、ややあつめの方でもおおよそ45℃もあるという謎基準。訓練されすぎている。

だがこれで良い。

この温度設定が受け入れられている環境そのものが最高なのだ。だって、東京でこんなに熱い温泉なんか提供した日にゃクレームの嵐になるに決まっている。観光客向けにカスタマイズされたものなんかではなく、「これがうちの文化だ」と我が道を行くその姿勢が堪らない。

かく言う俺の地元である青森も、かなり温泉文化が発達した地域である。しかも朝風呂文化も同様に根付いていて、早朝から営業しているのが当たり前ときたもんだ。お世辞にも大きいとは言えない規模感と、凍てつく空気、雪、そして高めの温度設定。目新しさの中に懐かしさが同居し始めた。

 

しばらく頑張ったあと、露天風呂へ避難する。旧中山道沿いの建物密集地帯の中にある関係で、残念ながら外の景色を拝むことは出来ない。だが、地元のおじいさん方の会話が良いアクセントになった。こっちの時間はゆったりと、そして優しく流れている。

「今日は一段とやかましいな」
「普段は静かなんだけどなぁ、この時間帯」
「こんな天気の日に限って不思議なもんだ」
「な、これは積もるぞ」
「昨日まで天気良かったのに突然だよ」
「岡谷のコンビニは最近はもう塩カル撒いて終わり、雪かかねぇの」
「除雪車の維持も大変だもんなぁ、1年の中でほんの少しの期間しか使わないから余計にな」
「んだなぁ、俺ら百姓の農業道具と一緒だな」
「な、田植え機とか脱穀機とか1年通せば数日使うかどうかだもんな」
「高級車買えるだけの値段叩いてトラクター買ってな……元取るのに何年かかるって話よ」
「レンタルでもやって金の足しにもしたいけどさ」
「最近の若い子ら百姓やりたがらないから貸す当てがねぇのよな」
「たまに、定年退職した人が退職金全部使ってそういう機械買って、一念発起で農家始めることがあるらしいよ」
「は?何をバカなことを……俺らに相談しろって話よな」
「そうだよな、確か塩尻の方の人だった気がする」
「そうか……岡谷はまあ、土地狭いから機械無くたってどうにかなるけど、塩尻とかあっちの方の人は広くて大変だろな」
「でも新しい機械はどうしたって欲しくなるよなぁ」

エモい。「観光とはその土地の内側に潜り込むこと」が信条の俺としては、とても有意義なひと時だ。地元民が寄り付かないような、露骨に観光地化された場所を巡るだけじゃ得られない魅力がそこにはあった。

温泉が交流の場所としての役割も果たしている様を見て、懐かしさが強くなった。印象深かったのは、浴室へ入る際に誰に話し掛けるわけでもなく「おはようさん!」と挨拶していた人がいたこと。本当にここは、そういう場所なんだなぁ……って。

あまりにも地元と重なるもんだから、東北訛りが一切聞こえてこなくて頭が少しバグった。当たり前なんだけどさ。


旦過の湯より旧中山道を望む

存分に『諏訪』を浴び、外に出る頃には雪が結構強くなっていた。さっきのおじいさんたちの言った通りだ。どうしようか、下諏訪駅でレンタカーを返却した後に、徒歩で諏訪大社の下社を巡る予定だったのだが……うーん。ひとまずレンタカーの返却をしに駅へ向かおう。9時までに返さなければいけないため、どっちにしろコイツとはおさらばだ。

諏訪湖周辺はとにかく温泉地らしく、至るところで温泉が湧いていた。それは駅前でも例外ではない。下諏訪駅前には『燦』と刻まれた石碑があるのだが、そこから四六時中温かい温泉が流れている。親近感。

『下諏訪町の未来は「燦」として輝く』

色々考えた結果、改めてレンタカーを借りることに決めた。レンタカーというかカーシェアである。寒冷地で生まれ育った経験上、雪の日にのんびり散歩するのは愚かだという結論に至った。シンプルに寒いの嫌だし。

とは言え、下諏訪駅前の枠はすでに埋まってしまっていたため、暖かい駅の待合室でスマホとにらめっこをし、急ピッチで近場の空き車両を探すことにした。なるべく駅チカで、今すぐ借りられてあーでこーで……。

運良く茅野駅前で借りられることになった。しかも甲府行き上り電車が数十分後に来る。茅野駅の手前、上諏訪駅止まりの電車が多い中でこのナイスタイミングである。天はこの俺に味方した。

 

改札にSuicaをかざす。目の前の1番ホームに電車が止まる。電車に乗ったあと、扉を必ず閉めるのがマナーだ。

昨夜、中央東線の塩尻〜茅野間はしばらくの間運転を見合わせていた。というのも、下諏訪〜上諏訪間で車が線路に落下したらしい。意識して窓の外を見ると、沿線の宅地より低い場所を走っているのだろうか、土手が両脇から壁のように迫ってくる箇所が散見される。なるほど、確かに何かしらが落ちてきても不思議ではない……のかな。というか、ここらへんの区間って単線なんだ。

上諏訪の温泉街を超え、真っ白に雪化粧された家々の真横を爽快に走り抜けること数分後、茅野駅に到着した。諏訪地域で最も人口の多い茅野市の中心駅なだけあって、降りる人の数もそれなりだ。

休日にも関わらず、駅前の歩道に足跡がほとんど付いていないところを見るに、本当に短時間でドカっと積もったんだということが分かる。面倒くさくて鬱陶しい気持ちがありつつも、それに勝るほどのワクワク感が湧いてきた。暖冬の影響で今シーズンは満足に雪景色を拝めてなかったのだから。 

ベチャベチャ雪じゃないから比較的歩きやすい

市民館前の丁字路を右に曲がると、カーシェアの車を発見した。青い車を借りたはずだったが、青と白のツートンカラーになっている。化粧落としの時間だね、面倒くささの圧勝だよ。

仕方がなしに、暖気運転でフロントガラスに張り付いた氷を溶かしつつ雪をはらう。それと同時並行で、これからの予定を頭の中で組んでいた。「せっかく茅野まで来たんだから下社だけじゃなくて上社も回ろう」「どうせなら四社全部で御朱印貰うか」「昼飯どうしよう」「郊外のラーメン屋を攻めるか」「SNSのフォロワーさんに諏訪の人がいたはず……参考がてらちょっと聞いてみるか」などなど。

行動範囲が広がるということは、それだけ選択肢が増えるということでもある。やはり車は偉大だ、偉大すぎる。雪道ドライブとか久々だなぁ、ちょっとワクワク感が優勢になってきたかも。

おおよその見通しは立ったので、いよいよハンドルを握りアクセルを踏む。諏訪大社は何を隠そう、今日のメインイベントなのだ。

 

続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?