ニコンがF3だった昭和60年のあの日とD7500の今
1985年8月の中旬以降、どのメディアも日航機墜落のニュースが大半を占めた日々が続く。
それから37年が経ち12日を迎えるとやはり社会面の大きなスペースを慰霊行事関連のニュースが占めている。それ程に人々の心に大きな衝撃を与えたニュースだった。
37年も経つというのに、現場の上野村には在京各テレビ局の衛星中継車が例年のように皆勤賞でスタンバイし、新聞各社も地元支局員に東京本社社会部の援軍が加わって、慰霊登山する遺族たちとマンツーマンでペアが組めるかも?と思うくらいの人と車両で