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放送の歴史、ラジオ/TVのこれからとメディアの今後を考える

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活字、新聞という既存メディアだけだった時代に放送という新参者が現れました。印刷媒体と違ってライブで配信、送信される全く新しいメディアは政治の在り方も、戦争の形態さえも大きく変えて… もっと読む
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記事一覧

PLのあの二人、ワイドショー戦争とヤラセの夏

1985年夏 それは、日航機事故報道に力点を置く各局や清原・桑田の活躍を二の次におけない放送…

401da
8か月前
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終わってスッキリ??4局横並びワイドな競争時代

17年朝の時間帯を彩ってきた日テレの番組、スッキリが終焉を迎えた。と同時に後番組のスター…

401da
1年前
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SNSでwhite revolution白紙革命する人民の裏をかいた政権の秘策とは⁉️

アラビア数字でろくじゅうよんと数字を打ち込んでも中国ではまずあの夜の事は検索しても引っか…

401da
1年前
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日産サクラの魅力を新オーナー(ピストン西澤)が探る放送【のPR】

東京エリアのみでなくradikoなら全国でも聴けるモータースポーツとクルマの番組、@BRIDGESTON…

401da
1年前
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911が教えたもの

アメリカの中枢が相次いで旅客機によるテロ攻撃に曝されたあの晩、生放送中のスタジオと報道部…

401da
1年前
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ビデオリサーチとニールセン

民放テレビ局が勃興し始めると、そのテレビがどのくらい視聴されていたかを調べる会社が現れま…

401da
1年前
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ニコンがF3だった昭和60年のあの日とD7500の今

1985年8月の中旬以降、どのメディアも日航機墜落のニュースが大半を占めた日々が続く。 それから37年が経ち12日を迎えるとやはり社会面の大きなスペースを慰霊行事関連のニュースが占めている。それ程に人々の心に大きな衝撃を与えたニュースだった。 37年も経つというのに、現場の上野村には在京各テレビ局の衛星中継車が例年のように皆勤賞でスタンバイし、新聞各社も地元支局員に東京本社社会部の援軍が加わって、慰霊登山する遺族たちとマンツーマンでペアが組めるかも?と思うくらいの人と車両で

社屋からフィルム現像室が消えた80年代 ENGがTVニュース取材に革命を起こした日の…

1980年代初めはテレビの世界にも大きな技術革新が起こった。ヴィデオ・テープレコーダーの…

401da
1年前
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mediamixとナイト・フィーバーがカ・イ・カ・ンだったワケ

1970年代後半の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ヒットはアメリカばかりか日本も…

401da
1年前
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マイクロ波(FPU =Field Pickup Unit)が新幹線第1便に乗った日からTVの生中継が・…

1982年6月、東北新幹線が大宮・上野間の完成を待たず、大宮・盛岡間で暫定開業しました。同時…

401da
1年前
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突入せよ!機動隊攻防戦生中継の裏側で

あさま山荘事件が発生したのは今から50年も前のこと。安保闘争から派生した、連合赤軍と言う…

401da
2年前
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テレビという新興メディアに立ち向かうには?ラジオが仕掛けたリベンジ;~半世紀前か…

昭和20年代、東京や大阪に民間ラジオ放送局が相次ぎ誕生した少しあと、日本で最初のテレビ放…

401da
2年前
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伝えない勇気,ボツにする覚悟 (今再び見てほしいローマの休日)

オードリーヘップバーンの生涯を振り返る映画が公開中です。1953年に白黒映画として公開さ…

401da
2年前
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ラジオの敵はやはりラジオ?政治も利用したラジオのちから

政権が自分たちの都合の良い様にメディアを操作していたのは、 旧くは日本帝国陸・海軍のお家芸でした。戦況を最大限日本に有利なように改ざんして発表し、報道の自由などという文言が出ようはずもありませんでした。 同様に南北軍事境界線のむこう側の国でも自分たちの首領様のことは決して悪く言ったりしません。 民放連の2021年度ラジオ・グランプリ賞受賞作品、文化放送制作の「軍属ラジオ」では、ラジオが戦争中に果たした武器としての側面とプロパガンダについて掘り下げられています。 太平洋戦争