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脱会できますか? イヤ、全然そんな気は・・・・・・いつからトミカ教信者・・・・

今週トミカの新製品が発売になったらしい
と気づいたのはある量販店のトミカ52番がぃ移籍になっていたのを
見つけたから。それがSNSでも出回っていたGRカローラだと分かるまでにはさほど時間はかかりませんでした。

すっかりお馴染みになった初回限定バージョンよりも白いボディの通常版が好印象で、まずは品切れになっていない店舗を探し歩きます。
で、ライバル系列の新宿店では無事通常版のGRカローラを購入。しかし案の定というか初回限定版は売り切れ。

この初回限定版というのが実車ではあっという間に売り切れたモリゾウエディションをモデル化したもの。特に執着はしなかったものの大手の百貨店おもちゃ売り場を探してみると、なんとあっさり限定版を発見。これは買っておかないと後悔するかな?と思いつつも安価だし1台くらい良いや、と千円札を出しました。


知ってはいたもののフロントウィンドウ隅にmorizouのサインとエンジンフードにはエアアウトレットの刻印!鋳型は特注?なのか別物なのか?ボディカラーのマットグレイも写真で見るより上質な感じで、定価以上のクヲリティ?

一体これが何台目のトミカ購入になるのか?見当もつかないけれど引越し用段ボール箱を埋めるくらいには溜まっているはず。が、カローラに限っていえば意外に買った覚えがなく遡ると去年買ったカローラワゴンが最初のカローラだったかもしれ
ない。

ガチャガチャとか食玩ならば27レビンはあるもののトミカのカローラで今まで食指が動いたものがなかったからなのか?・・・・・・当初のトミカにはやや懐疑的な見方をしていたのも一因か?

トミカ登場当時の1970年台初頭、すでにミニカーのコレクションはマッチボックスやコーギーといった老舗の者を中心にそこそこ集めてはいた。ダイヤペットのトヨタ2000GTなどもお気に入りの一台。あと尾はロールスロイスあり、シボレーのコンセプトかー、モンザあり、ランチア・フルビアラリーHFも記憶に残っている。

そんなミニカー遍歴はどこから始まったのだろう?

所沢市の一角に経済評論家森永卓郎さんが個人所有するミニカーはくぶつかん「
B宝館」がある。このビルの3階には幼い頃に見慣れたマッチボックスのミニカーの一群がとても綺麗な状態でガラスケースに収まっている。まるで幼馴染の旧友に半世紀ぶりで再会したような感激だった。シボレーやジャガー、VWに混じってロードローラーやブルドーザーといった特装車もみえる。
聞けば、森永さんがかいがいふにんの父にから定期的に買い与えられた宝物だったという、時期的には我が家と同様。マッチボックスはトミカと同様、64分の1サイズで造形もしっかりしていて、他の追随を許さなかった。

アメリカ・マテル社が同サイズのライバルを発表したのは60年代後半。

ホット・ホイールと銘打ったミニカーのさあ偉大の売りはその走行性能の高さ!極細のピアノ線を車軸にナイロン制のタイヤを組み合わせて走行抵抗を思いっきり減らした車体にプラレールのような組み立て式のコースを併売して走らせることを主眼に置いた商品展開だった。

車種も日本では馴染みのないホットロッド(400mを2台が並走して優劣を決めるレース)の人気にあやかったものが多く、車両よりもコースレイアウト(それも荷台並走できる)とセットで商品単価を上げる算段なのだと理解していた。

これが影響したあのか、数年後には日本でもトミカが登場する。トミカの方向はマッチボックス寄りだ。

では私のミニカー原点はマッチボックスだったか?というと、どうやら日本のダイヤペットであったらしい。柿の種=初代ブルーバード310系の1/43サイズのミニカーを祖母に贈られたのは確か妹が産まれた頃だったので、まだ3歳か4歳の頃。マッチボックスよりもこちらの方が先行していると思う。

あのままダイヤペットにのめり込んでいたならば、ここまで沼にハマっていただろうか?マッチボックスの適格なサイズと価格がこおkまでコレクションを豊富にしてくれた要因だったのでは?

いまだにミニカーを含めたクルマ関連玩具が好調なアメリカと違い、日本では(プラレールばかりが好調で)クルマ離れが叫ばれて久しいようで。この収集癖は若い世代に伝播するのだろうか?

















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