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国鉄を地上げに連れてったのは全部円高のせい?、F1中継でナカジマ記念日の1987年ニッポンのクルマ

1987、JRが民営化され国電はE電に改名したものの定着はしませんでした.東京では古い物件が軒並み地上げの対象となり、23区でも頻繁にブルドーザーやユンボの姿を目にしています。

春先の話題は日産から発売されたリッターカーのBe-1。85年東京モーターショー出品車が余りに好評で、名前もそのままに市販化されたパイクカー・シリーズの第1弾です。土台は初代マーチでしたが、レトロなムードを醸し出す,斬新なデザインは最新トレンドとは明らかに違う方向を向いています.日産はイメージアップのため青山通りにアンテナ・ショップを出店し、関連グッズの販売もはじめました。
予め関連会社=高田工業での限定生産が予告されたBe-1の人気は熱狂的で、中古車市場に出回った新古車が同時期に販売中の新車価格のプライスタグを上回ると言う、日本車でおそらく初めての現象を引き起こします。この年のモーター・ショーには第2弾のパイクカー=PAOも登場したほか、あのシーマも参考出品されています。ただ残念な事に同じく参考出品されたミッドシップ・スーパースポーツのMID 4-IIは陽の目を見ずに終わってしまいました。市販化してもあまりの高価格のため販売台数が見込めなかったとされています。後にこの判断は大きく覆されるのですが!

日産はこの年セドリック・グロリアやブルーバードと言う基幹車種がモデルチェンジ。新しいY32型セドリックのセダンは5ナンバー・タクシー向けセダンとして改良を重ねながら平成の終わり近くまで生産が続いたほか、日産シーマの母体となる、ピラー・レスでは最後の4ドアHTをラインupします。ブルーバードにはフルタイム四輪駆動とツインカム・ターボで武装した最強版アテーサSSSが君臨します。

ごくフツーの4ドア・セダンにフルタイム四駆、ターボ・ツインカムを揃えたのは車名からシグマが取れた六代目新型三菱ギャランも同様、このレイアウトがのちにランサー・エボリューションに受け継がれラリー界を席巻することになる訳ですが。

ミラージュ、ランサーのシリーズは代を経るごとに一本化がすすみ新世代では88年登場のランサーが5ドアのハッチバック、ミラ ージュが3・4ドアに特化されます。ミラージュのグレード展開は独特で、目的別に個性化した水平展開、四駆やターボで武装したサイボーグと並んで注目を集めたのはリアウィンドをボディ色に乗りつぶした2シーター仕様のザイビクス。異色すぎて街中で見かけることもまれなカルト・カーだった。ランサーにもGSRとして配備されるツインカムターボ・フルタイム4駆は、のちのランサー・エボリューションの土台となるもの・・・・・

ホンダはこの年から北米向けレジェンドにエア・バッグ搭載車を用意します。60年代から研究が続いたアイデアですが、ホンダのそれはシートベルトの補助としての位置付け、でも現地での人気は驚異的でした。やがて国産車の標準装備品となるエアバッグは日本でも導入され、今や不可欠な装備です。レジェンドに追加された2ドア・ハードトップは5ナンバーサイズを大きく上回る豊かな造形。四輪ともブリスターフェンダーに囲まれたリッチな雰囲気が魅力でした。

販売でもモデル・チェンジのタイミングでもカローラに肩を並べる存在になったシビック・シリーズが4世代目に移行します。3ドアのロングルーフやシャトルのトール・コンセプトはそのままに、全車足回りを四輪ともダブルウィッシュボーン式にするという驚異のメカニズムを奢っていました。レース用車として長くこの世代は人気の車種となります。

この年もうひとつの技術的ニュースは4輪操舵の実用化でした。高速では前輪と同じ方向に舵を切り、車体の角度変化を抑える一方、低速では前輪と逆位相に舵取りして回転半径を小さくしようと言うもの。ホンダの新型プレリュードではプロペラシャフトと偏心カムを使い、ハンドルの切れ角だけで後輪の位相を適切に変える頭のいいやり方でした。

四輪操舵にはマツダも全く違うアプローチで実用化、モデルチェンジしたFF第二世代のカペラに装備車を設定します。こちらは車速に応じて電子制御するカム・ギアを用いているので、車庫入れでも切り始めから後輪は逆位相を向きます。

好調のファミリアに兄弟車のエチュードが誕生しますが、そのデザインはファミリアのモデルチェンジで候補となっていたBプランだとも噂されていました。敢えなく一代限りで消滅しています。
反面サバンナRX -7に追加されたカブリオレは空力に配慮した、優れたソフトトップや不快な風の巻き込みを抑えるエアロボードの開発で注目を集めます。この2年後には、あの歴史的なロードスターが誕生するわけですが!

さてベストセラーを競うカローラとシビック、それにトヨタの旗艦=クラウンが共に同じ年にモデルチェンジの機会を迎えるのは四年前と同様。これはセドリックやブルーバードも同じです。

ハチロクの形式名が未だ人気のレビン・トレノが遂にFFに!カローラシリーズからはバンも含めて後輪駆動は姿を消します。代わりに2ドア・クーペ一本に絞り込まれたレビン・トレノのエンジンにはスーパーチャージャーが奢られてターボには望めないレスポンスとハイパワーが両立します。

スプリンターを名乗ってはいてもコルサの車台に乗っていたスプリンター・カリブは今回からカローラ・シリーズの足回りを譲り受けてエンジンを横に向けたまま四輪駆動化。これはセリカGT-FOURに倣った方式でした。件のGT-FOURは年頭からある映画の撮影に駆り出されており・・・・・年末に公開された「私をスキーに連れてって」は来るべきスキーバブル時代を予告する作品でした。セリカGT-FOURのプロモーション映画のようにも見えましたが・・・

クラウンも5ナンバーとしては最終モデルとなる130系に刷新。ワゴンボディとタクシー向けセダンは次のモデルチェンジでも変わらず生き残っていきます。このクラウンとほぼ同時期にレクサスLSの開発も進行中で 4リッターV8エンジンがクラウンに先行して搭載されてデビュー、クラウンにV8エンジンは実にクラウン・エイト以来でした。

ますます勝利を重ねてゆくホンダF1の活躍ぶりはフジテレビがTV国内中継権を獲得したことで日本のお茶の間でも観戦が可能になり、アイルトンセナとチームメートとなった日本人ドライバー中島悟の成績に即日、一喜一憂できるようになったのは大きな朗報。この年はセナが熱望したホンダV6ターボエンジンとの組み合わせが実現した最初の年でもありました。

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