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36.38.40と昭和だってアツかった!軽4輪馬力競争のモーレツな時代

東京も連日の猛暑日くらいでは驚かなくなった。埼玉や群馬の観測点では軒並み40度を窺がう高温を記録し、41.1度の日本記録更新も!と期待?もさせたが、8月はまだまだ始まったばかり。この異常さは今年限りなのか?それとも・・・・・・・

36という数字には特別な思い出がある。昭和のマイカーブームを目撃してきたものとしては36は軽乗用だとリッター当たり100馬力に相当する数字。ホンダが世に送り出した本格軽乗用車の習作,N360に追加バージョンとして加えられた「S」がその嚆矢だった。

それまでの軽乗用車はほぼ全て2ストローク2気筒といってよく、最高出力は当時の計測基準で20馬力台。それをホンダのエヌはいきなり31馬力でスタートしたのだから驚きだった。しかも価格は31万円台。馬力当たり1万円で買えるというコスパの高さはそれまでにないものだった。ゆえに若者を中心にNは大人気に。そのまっ只中にツインキャブで武装したSが投入されたのだからたまらない。
他メーカーもこれに追随するべくスズキはフロンテにSSをダイハツフェローもやはりSSを追加、スバルは車名にヤングを加えたスバルヤングSSと銘打って、いずれもがツインキャブのほか、砲弾型ミラーにタコメーター、左右独立したバケット型のシートに木目風ステアリングといういでたちで、戦線に加わっていった。ホンダとスズキ以外は2ストローク2気筒で毎回転ごとに爆発タイミングが来るのに、ホンダℕは4ストロークなので2回転ごとにしか爆発しない。トルクの不足は回転数で補うしかなく、36馬力は限界に近い数字。フロンテは3気筒だったので、爆発回数ではアドバンテージがある。

このリッター100馬力競争からアタマ一つ突き出したのはミニカーの老舗・三菱だった。1969年に来るべき70年代をネーミングに織り込んだミニカ70は全車がファストバック・スタイルにハッチバック装備という時代に先んじたデザインを採っていた。エンジンこそ縦置きされプロペラシャフトで後輪を駆動するFR形式を残しながらも、その最強版に据えられたのがミニカ70=GSS。グランドスーパースポーツと冠された2スト2気筒エンジンはツインキャブで38馬力迄増強されリッター100馬力競争から飛びぬけてみせた。

同じくFRレイアウトを採っていた古典的なダイハツフェローが、FF2ボックスの最新デザインに衣替えし、その最強版として遂に軽乗用で初めて40馬力をたたき出し、浪速メーカーのド根性を見せたのは1970年の事だった。

36馬力でスタートした馬力競争はこの40馬力で頂点に達する。が、それだけでは終わらない。軽乗用にもスタイリッシュなデザインを求める声が高まるのは必至で、ホンダからはホンダZが、鈴木からはフロンテクーペが登場する。Zは社内デザインながら海外も注目するほどユニークな造形で、水中眼鏡と揶揄されたリアウィンドウはガラスハッチバックを縁取った枠を加色したものだった。(のちにボディ同色仕様も追加)
他方、フロンテクーペは日本車も数多く手がけた気鋭のデザイナージウジアーロの作品がベース。アレンジを加えられ10年以上の命脈を保った。

他方でフェローMAXには軽4で初めてハードトップボディが加えられ、ホンダZも当初の設計通り、ハードトップ化されて追随した。クーペボディを持たないスバルはR-2を3年でモデルチェンジし、ホンダZばりのウェッジシェイプのデザインで対抗した。

馬力競争に終止符が打たれ、デザイン競争で盛り上がっていた70年代初頭、軽自の登録数が年間で1、000、000台を超え第1期黄金時代とも呼ばれたこの時代、世間では光化学スモッグに鉛公害、世界1厳しいマスキー法排気ガス規制など、クルマを取り巻く環境は俄かに険しいものへと変わってゆく。それまでは車検の無かった軽自にも車検制度が導入され、排気ガス規制の波は360という極小のエンジンサイズの存続を難しいものにした。

ホンダが馬力競争から方向を転じ、おとなしいホンダNⅢTOWNやライフTOWNといった、馬力を押さえて乗りやすさを重視したバリエーション展開を見せたのも、また時代に先行するものだった。横置きエンジンで前輪を駆動するライフのレイアウトは、翌年デビューのシビックのそれだったし、デザインも4ドアを設定するなど、今に続く軽乗用のトレンドを早々と採り入れていた。

前輪駆動の商用車、ステップバンや固定屋根を持たない幌型トラック、バモスホンダなどのユニークな作品も数多く輩出している。そんなホンダの軽乗用もシビック増産ちう新しいフェースを迎えるに至って、トラックのTNを除き、軽乗用生産から一時撤退という新たな局面を迎えることになる。

軽乗用車が馬力競争で葉を競い合う構図は550,660cc時代になると、関係当局からの「自主規制」という指導の下今も64馬力に抑え込まれ、カタログデータを競い合うことはもはや見られなくなった。

でも、コンセプトの新しさやかわいいキャラクターで勝負するさまはほんだZやフロンテクーペの登場時を思い出す、ちょっと懐かしい光景にも見えてくるのである。

結局、40度を突破することはなかった今日の関東地方。もはやエアコン非装備の軽乗用など考えられない世の中になっていた・・・・・

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