40代熊本

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誰にも伝えられなかったこと6

父には感謝していることがある。 それは、美味しいものを好きなだけ食べさせてくれたことである。 けれど、そのせいで子供時代の私はぽっちゃりしていた。 家に不在がちだった父と唯一会える場所は夜の外食先だった。 その時にしか家族が揃わなかった。 寂しいというよりも、グルメな父がいつも美味しい所に連れて行ってくれるのが楽しみだった。 フレンチのフルコースでテーブルマナーを初めて教えてくれたのも父だった。イタリアンでは、スペアリブ、ピザ、ボローニャ風パスタの上にカツレツがのっているも

    • 誰にも伝えられなかったこと5

      分相応。 時はバブル期(1986年から1991年 by Wikipedia)。 その時代と私の小学生時代は重なる。 学校には、バブルの波が押し寄せる訳でもなく、 普通の学校生活が営まれていた。 違っていたのは、父親を含めた社会。 ある日、突然、我が家(社宅の中古一軒家)に 白いトヨタのセリカコンバーチブルがやってきた。 初めて見るオープンカーである。 誰が乗るの?と目が点になる。 父は運転しないし。 母が毎日こんなのを運転するのだろうか? 後部座席に座ってみると、非常に狭いし

      • 誰にも伝えられなかったこと4

        置き去りにされた時の恐怖と不安。 幼少の頃の出来事だが、今でも時々フラッシュバックされる。 会社が借り上げたアパートに父は一人(?)で暮らしていた。 会社にも近く、繁華街にも近かったので、 父はほとんど私達の住む家に帰ることはなかった。 ある日、母は私と幼い妹をそのアパートに連れて行って、 父も誰もいないリビングに私達を残し、どこかへ行ってしまった。 殺伐とした部屋、外の様子をうかがおうにも曇りガラスでよく見えない。 初めて来たアパート。。だんだん部屋は薄暗くなり、恐怖と不安

        • 誰にも伝えられなかったこと3

          日本育英会の奨学金。 高校に行ったらもらわなきゃいけないと母親に言われ、 中3の夏、学校の制服を着て初めて他人に「お金ください。」と言いに行った面接。 なぜ、私が言わなきゃいけないの? なぜ、「家計が苦しくて、父親から養育費ももらっていません。」と 私が言わなきゃならないの? 親の問題でしょ。そして、その借金を背負うのは私。 教員になればその借金はチャラになるとか、全くの脅しだ。 月額1万5千円をもらって、家計が助かるのであれば、 「いいよ。分かった。」と出かけて行ったあの日

        誰にも伝えられなかったこと6

          誰にも伝えられなかったこと2

          小学校の給食費集め。 私の給食費納入袋はいつもからっぽ。 家庭の事情で納めなくていいから。 すごくみじめで恥ずかしかった。 みんなの袋の中にはお金が入っていて、 ジャラジャラ音が鳴っている。 しかも、先生は、列の後ろから給食費納入袋を回してください。 とか、一人ずつ前に持ってきてください。とか言う。 こんなの見せしめだ! 私の封筒が空って、みんなにばれたら、どんな言い訳をすればいいの? どうしてこんなシステムでお金を集めるんだろう!って 大人への怒りが増すばかり。。 デリカシ

          誰にも伝えられなかったこと2

          誰にも伝えられなかったこと

          小指の無い社長、私の大切な名付け親。 あの包容力のある笑顔、私は忘れない。 初めて訪れた社長さんの邸宅、怖かったけど、豪華で格式があった。 初めて見た奥さん、クマのお母さんみたい。 社長の下で働いている父、部長だそう。 いつも家にいない。 たまに帰ってくる。 夜中とか夕方。そして、また出ていく。 出社にタクシーを使う。 朝、学校に行くとき、家の前でタクシーが待ってる。 違和感。ちょっと普通じゃない。 子どもでも分かる。 夜、時々会社の後輩を連れてくる。 母が手料理でもてなす

          誰にも伝えられなかったこと