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人間関係におけるフィードバックのかからなさについて

「みんな、君のことを迷惑に思っていて、距離を置きたいと思っている」という言葉を真に受けて大ダメージを受けていた時期がある。「自分だけは味方になってやる」と言って近づきそして支配するのが目的だったんだな、と理解するのには1年くらいかかった。よくある手口と言われればそうなんだけど。


フィードバックがかからない

自分が相手にどう思われているかがわからない、かりにたんに気を使ってもらっているだけだとしてもおそらく真に受ける、知らないうちに不愉快にさせているかもしれない、そういう過去と自覚があるからこそ、言語化して伝えられるとそれが真実のように思えてしまったのだった。少なくとも当時は。

一対一であってすら、相手が自分のことをどう思っているかは実は全然わからなくて、一回不安になり始めると止まらなくなる。実は迷惑なんじゃないか、迷惑なのに気を使ってくれていてそれに自分が気づけていないんじゃないか。ネガティブなコメントは「わざわざ教えてくれた」と、すぐ信じるのに、バランス悪い。

だから、「この人は気を使う人で、迷惑をかけられても迷惑じゃないかのように上手に振る舞える人なんだ」と思いはじめると、それだけで怖くて近づけなくなる。迷惑をかけていて気づけてないんじゃないかと思って、自分から距離をおいてしまうのよね。迷惑なら言ってくれるはず、と信頼できればいいのだけれど、それはとても難しい。相手の言動をいくつも集めて補助線を何本も引いて、不安からかろうじて逃れていることもよくある。「てにをは」に敏感で、そこから真意を探ることが得意なのも、ひとつはこの不安からきていると思う。

京都人ジョークが怖くて仕方ないのもそれ。何を信じていいかわからない。全部信じないことにすればいいんだけど、それはそれで申し訳ないし、近づきたくても近づけなくなってしまう。

離れることが唯一絶対の正解なのか

ただ最近気づいたのは、「迷惑なのに言わないでいてくれるだけなんじゃないか」とそれこそ黙って結論づけて黙って消えるのは、誤解であった場合にはとくに、相手を傷つけるということだった。

かりに多少は迷惑であったとしても、許せる範囲のケースもある。そこ、白黒思考だったっぽい。ちらっとでも迷惑であれば、こちらから関係を切らねば申し訳ない、なんてわけは、ない。

実際のところ、そうやって壊した人間関係は多数ある。「何をどうやったら信じてくれるのか」と問われたとして、答えはない。相手がどう思っているか「わからない」のなら、せめて言葉は信じればいいのに、言葉でこそどうにでも言えることわかっているものだから、それすら難しい。

結局、いなくならないことで証明を積み重ねるしかないのかもしれない。少なくとも今のところはいなくなったりしていないから、現時点では許容範囲なんじゃないかな、と推測する。現時点までの評価だから、次の瞬間はわからないにしても。

メリットの提示

「迷惑なんかじゃない」とアピールし続けることを求めるってのもひどい話だとは思う。でもどこかで深刻に人間不信だし、それはほぼすべての人に向けられているし、今信じている人に対しても「いまはね」という但し書きがついている。調子悪いとその疑いが全面に出てしんどい。

仕事であれば、こちらが提示できるメリットは明らかだし、そのメリットに応じて関係が続くのも当然だから、そこは安心していられる。たぶん、提示できるメリットを最大化したいというのが、一生懸命仕事に取り組む動機の一つなんだろうなと思うことがある。

ASDの女の子が、性的な被害(被害とまではいかなくても、あまりに早く関係を持ってしまう、などを含めて)にあうことが多い、と書いてある本を何冊か読んだことがある。その背景に、この「確信の持てなさ」があるのかもしれないなと思ったりした。性的ないろいろは、提示できる具体的なメリットになりうるから。

「性的ないろいろを軽く考えている」と書いている本もあったけれど、違うと思う。自分を大事にするしないでも、ないと思う(自分を大事にするというのは、それ自体分かりづらい概念ではあるとしても)。

たぶん、なんだけど、「強く求められたから断れなくて」「相手が離れていきそうだから不安で」とかじゃなくって、相手がきちんと好意を持って誠実に接してくれていても、ベースの人間不信というか自信の持てなさみたいなところで、うまく信じることができなくて、性的ないろいろを与える方向に動きがちなのかもしれないなとか。

じゃあどうすれば?

じゃあどうすれば「健全」な関係を築けるのか、人間関係において安心していられるのか、相手を信頼できるのか。答えがあるわけではないです。療育で解決できるのかな、それもよくわからない。

ただ、上でちらっと書いた「補助線」はひとつの答えにはなりうる気がしている。ことばと行動をたくさん集めて、ある程度の矛盾があったとしてもそれで崩れたりしない大筋のストーリーを組み上げてしまう、みたいなこと。ある程度の時間と、集中力と、自己開示が要るから、毎回、誰に対しても可能とは言わないけれど。

補助線をいっぱい引けるような相手であればその時点で信頼してもいいような気もしてきた。

言葉なんてどうにでも言えることはよくよくわかった上で、「言葉は真に受けるのでそこんとこよろしく」と宣言することはときどきある。ASDだからうっかり真に受けるかも、ではなくて、全部疑っているなかで「あえて」真に受ける、かりに騙されたとしてもそれは引き受ける、騙したいんならどうぞ、そういう信頼の宣言かな。信頼とは、賭けの別名だから。そっちに賭けるよ、みたいな。

ツイッター(現X)の気楽さについて

なお、ツイッター(現X)は、読みたくなければ読まない、ことが可能で、DMとかコメントとかスペースとかじゃない限り迷惑はかけようがないので、そういう意味でとても気楽です。


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