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第12節 純粋数学がある=純粋直観が想定される

たとえば、「2つの三角形が等しいということの証明は、2つの三角形が互いに重なり合うということである」として、これは、純粋直観に基づく綜合的命題である。
というのも、

  1. 三角形とはなにか、をいくら分析しても(つまり、概念からのアプローチでは)、「2つの三角形がどうこう」は永遠に出てこない。この命題にアプローチするには、直観が必要である。

  2. 三角形という概念プラスアルファを提唱する命題である、ということは、綜合的命題である。

  3. また、これまでわたしが経験した限りではそうだった、しかし今後については保証できない(=ア・ポステリオリ)、とかじゃなくて過去も現在も未来も常に成立する(=ア・プリオリ)。つまり、この命題はア・プリオリな直観=純粋直観にもとづいている。

などなど、「数学の根底にはア・プリオリな純粋直観があり、この直観があるからこそ、絶対確実だとみんなが確信できるような綜合的命題が存在し得るのだ」といえる。
さらにいうと、数学が存在することは、「わたしたちは、AはBであるというような命題を、経験にもとづかずに考えることができる、つまり、ア・プリオリな綜合的認識は可能である」ということの証明である。

で、経験にもとづかずに考えているということは、わたしたちが、直観において対象を、それ自体としてではなく(わたしたちに与えられる限りの)表象として認識することができる、ということである。
もしもそれ自体として認識しているとすれば、それ自体を認識しないと何も言えないことになり、つまり、「わたしが経験した限りにおいては」から永遠に抜けられない。よって、それ自体としての認識ではなく、わたしたちが認識できる限りの表象として認識しているにすぎない。

というわけで、直観(表象として認識する)を形式と内容に分けて考えることにする。形式は内容に先立つ、つまり、形式はア・プリオリ(経験以前に常に成り立つ)であり内容はア・ポステリオリ(経験があって初めて成り立つ)であるといえる。

形式 ア・プリオリな純粋直観
内容 対象があってはじめて成立する、ア・ポステリオリな経験的直観

ア・プリオリな純粋直観があるからこそ、「つねに絶対正しい」純粋数学が可能である、といえる。

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