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自分事例検討1: 「はるまきの」ASDについて

「ASDはスペクトラムである」
そうですね。そもそも「ASD」の「S」は、スペクトラムのSですからね。

「よってはるまきが自分を参照してASDの何かを語ったとしてもそれは万人にはあてはまるわけではない」
そうですね。たぶん、一部のパラメータ(たとえば言語IQ)はほぼ外れ値だと思います。そして、たとえば協調運動障害はASDの全員にあるわけではない。療育も社会の理解もなかったころに子ども時代を送りました(いまの子どもや若者とは背景が違います)。いろいろな偶然のため、二次障害がゼロではないかもしれないけれどあったとしても非常に軽いです。ASDが多数派を占める集団に年単位で所属したことがあります。

「よってはるまきの事例はなんの役にも立たない」
そうでしょうか。医学にも「症例報告」といわれる論文があります。一人(あるいは数人)の患者さんについてよくよく分析して書く論文ですね。もちろん、大人数を対象にして統計を取った論文のほうが一般的には価値が高いとは思いますけれど、それこそ、典型例ではないケースは取りこぼされてしまう。

現状、「ASDはこんなにマイナスの性質である」という言説が目立つように思います。しかし、たとえば子どもたちや若者のことを考えるに、療育受けてればそのへんカバーされてるとしても、大人がネガキャンやっていいわけでもないでしょう。(療育を受けられなかったことに、思うところはいろいろあるにしてもです)少なくとも現在、いちおうの社会適応を果たしている身としては、自分について分析して発表するのは、価値があるとまではいわないまでも少なくとも有害ではないと思います。

「ASDの特徴」を、いいでもわるいでもなくたんたんと発信するアカウントって意外と少ないようなのでそういうのを目指していこうと思います。Twitter(現X)では謎に長くなりがちで、Twitterのよさを全然活かせてないことも多いので、こっちでまとめておこうかと。検索したりさかのぼったりしやすいですしね。

なので、「はるまきの」ASDについて少しずつ整理して語っていこうと思います。とはいえ、いちおうはいくつかの理論を参照して、矛盾がない/少ないものを採用していくつもりです。おもにこの2冊になりましょうか。


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