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飛んで火に入る夏の虫

本当に誰からも興味を持ってもらえない人はそれすらもないだろうし、贅沢な悩みだと言われても仕方ないのかもしれないけれど、私のことを何も知らないくせに好きとか言ってんなよ、と思う。私に対する「好き」の軽さ。本当に軽い。軽すぎる。

ただ、相手からそう思われるのは、自分にも原因があるとわかっている。すべて自業自得なのに、自分から足を踏み入れているのに、毎回訪れる結果に勝手に傷付いて打ちひしがれている。「飛んで火に入る夏の虫」は、本当に私のことだ。それに、人の好きという気持ちを疑うというのは、自分も人のことをちゃんと好きになれていないからだとも思う。ちゃんと私のことを全部見てくれよと思うけれど、私もその人のことをしっかりと見て知った上で好きだと思えたことがあるのか、自信がない。他人を語ることは、自分を語ることだ。

私は、それなりにちゃんとしていると思う。良いところも沢山ある。信号はきっちり守るし、レジでいらなくてもそのままにせずレシートを自分で取って捨てるし、お店を出るときは「ご馳走様でした」と言うし、お会計のあとは店員さんに「ありがとうございます」と返す。返信を何日も溜めることなんて滅多にないし、それなりに愛想はいいと思っているし、滅多に風邪を引かないし頭痛持ちでもないし肌も強い。自炊して毎日お弁当を職場に持って行っているし、人に何かをあげることが好きだし、一人で割と楽しめるし、好きなものも沢山ある。

ただ、相手が私に抱くイメージと、自分が思う自分に矛盾を感じることが多々ある。私は冷静でも落ち着いてもいない、楽しくも生きていない、器用でもない、しっかりもしていない。感情の起伏は激しいし、些細なことで落ち込むし、何かで悩むとそのことしか考えられなくなるくらい不器用だし、嫌になるくらい抜けている。「さっぱりしてる」なんて言われるけれど、執着するし、被害者意識が人よりもおそらく強い。察しようとしなくていいところで察しようとしたり、伝えたい思いは伝わらなかったり、隠したい感情ほど滲み出てしまったり、良かれと思ってやったことが裏目に出る。器用そうとか生きるの上手そうとか、私の何を見て思うのか不思議で仕方がない。普段は上手く隠せているのか。いいことなのか。

そういう、私に対して相手が抱くイメージと自分が思う自分が違うと感じるたびに(違う、私はそんなじゃない)と思う。勝手に一人で苦しんでいる。先輩には「そういう自分も見せられる人がいいね」と言われたけれど、そうできたことがない気がするから、難しい。どうやって本当の自分を知ってもらうんだろう。普通に人と付き合って、ましてや結婚なんて、考えられない。だからこそ、周りのそういう人たちを本当に尊敬している。相手との色々な壁を乗り越えて、日々を積み重ねて、そこまで至ったことが本当にすごいと思う。電車で前に立っている人や仕事で関わった人の左手薬指を自然と見てしまう。見て、指輪があるたびに、すごいなあと思っている。私には到底できそうにない。

でも、誰かに好きと言われることで今まで寂しさが紛れていたとも思う。本当は一人で大丈夫になりたいのに、いつまでも上辺かもしれない「好き」に翻弄されている。寂しさを紛らわせるために、いつも誰かに恋するか、誰かに恋してもらっていた。軽い好きが嫌だと言っているくせに、それに今まで救われてきた自分がいる。事実だ、事実だけれど、嫌なのだ。過去は今さら変えられないけれど、今後はどうにかしたい。

自分のことを受け入れて好きになることはなかなか難しいけれど、そういう風に人に頼ることをやめたい。自分から進んで人に出会おうとすることも、しばらくはやめたい。やめた方がいい。自分から傷つきにいってそのうち自滅すると思う。最近は自分にどんどん自信がなくなっていて、家で料理が上手くいかなかっただけでボロボロ泣いたりしている。そのうち、本当に丸焦げになるかもしれない。

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