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石橋を叩かず渡る

節約ができない。積もり積もった引き落とし金額を見るたびに頭を抱えるくらい、毎月カツカツで生きている。先のことを考えたお金の使い方ができず、そのとき欲しいと思ったものを買い、食べたいと思ったものを食べ、楽しければ楽しいほど長い時間飲む。そんな風に欲望のままに生きていれば、お金が減る一方なのは当然のことだ。

いつも私にとっては今しかなくて、今のことしか考えられない。「将来どうなりたいか」という大きい単位だけでなく、数ヶ月後も数日後も、ましてや数時間後のことも考えられず、自分がそのときどうしたいかが、数時間前の自分にはわからない。

誕生日、友人にクリームチーズサンドというものを貰った。要冷凍で、食べるときは四時間冷蔵庫で解凍するいう説明を読んで、四時間後の自分が食べたいかどうかなんてわからないと思った。食べたいときは、今、そのとき食べたいのだ。

私はタイミングにおいて、今なのか?と思うことはほとんどない。大体、ほぼ確信で「今だ」と思う。幸運の女神には前髪しかないというギリシャの詩人の詩にあるように、今だと思ったときに行動したい。今思ったことを言わずに、いつこの言葉を、気持ちを、伝えるのだと思う。いずれなくなってしまうかもしれないけれど、今思ったから今伝えたいのだ。

週五日働いて、月に一度のお給料で生活できるだけのお金を稼いでいるので「その日の収入でその日をやっと過ごす」という意味には当てはまらないけれど、私はある意味その日暮らしの生活をしているなと思う。「目的や理想もなく、毎日を何となく過ごせればそれでいいという生き方」。

「夢を持たなければいけない」なんてことは思わないけれど、夢に向かって努力している人たちに対して尊敬と羨望の気持ちがある。私にはいつだって今しかない。いつからこんなに生き急ぐようになったのかわからない。「まだそんな歳じゃないでしょ」と言われたけれど、年齢に関係があるんだろうか。私はいつも走っている。いつも焦っている。何に追われているんだろうか。何を恐れているんだろうか。

ただ毎日生きるだけで本当に精一杯で、だからこそ私には今しか考えられなくて。というのは本当は言い訳で、いつまでも現実から目を背けているだけなのかもしれない。何が起きるかわからない未来が怖い。どうなっているかわからない将来が怖い。元気で生きられているんだろうか。笑えているんだろうか。日々目紛しく上下するジェットコースターみたいな感情が、いつレールを踏み外すかわからない。

夢がある人が眩しい。私には何もないから、せめて今だけを楽しもうとしているのかもしれない。将来の話をされるたびに、漠然としたものも頭に浮かばず、不安でたまらなくなる。あなたが話す将来がわからない。私がそこにいるかいないかとか、そういう話ではない。みんなが考える「将来」が考えられない。私は自分のことだけ考えていて自分に甘くて、自分本位な生き方しかしてきていない。いつになったら「誰か」のことまで考えられるのだろうか。「自分」と「今」のことだけでいっぱいいっぱいで、どうしようもなくて、苦しくなる。

将来を真剣に考える慎重な人は、石橋を叩き過ぎて渡る前に壊してしまうことがあるかもしれないけれど、私は全く確認をしないから、渡っている途中で落ちてしまう人間だと思う。でも、霧で先が見えていなかったとしても渡れる。今目の前に橋があるのであれば。

だからこそ、明日のことも予想がつかない。ギリギリたどり着いた向こう側にはすごい景色があるかもしれないし、橋から落ちても案外底は浅いかもしれないし、ふかふかの絨毯かもしれない。とんでもない出来事や面白い出会いや知らなかった感情、そういうものに巡り合うかもしれない、という気持ちにだけ突き動かされて、毎日生きている。

#エッセイ #コラム #日記

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