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ある母子の物語を紹介します。



僕が10歳のクリスマスイブだった。

「クリスマスにはちょっと贅沢をして、ごちそうを食べようね」

何週間も前から、母は繰り返しそういった。


飲食店勤務の忙しい仕事にどうにか都合をつけて、クリスマスを僕と過ごす約束をしてくれていた。

イブの日の午後、母と僕は、クリスマスの買い物をするためにふたりで街に出かけた。


僕は小さい頃の交通事故で左足が動かなくなっていたので、歩くためには松葉杖が必要だった。

肩を上下にゆすり、片足を引きずりながらも、横を向くとそこにいつも母の顔がある。

だから僕は母と歩くのがとても好きった。


ウキウキとする僕の気持ちとは裏腹に、その日の母の横顔は、笑顔でも隠せないほどに浸かれていた。

この日の休みをもらうために、母は昨夜もかなり遅くまで働いていたのだ。

アパートを出てしばらくも経たないうちに、いつもなら横にいる母の姿が突然に消えた。


振り返ると数メートル後ろに、うつぶせになって母が倒れていた。

「お母さん!」

母の視線の定まらない目が僕を探していた。


「どうしたの?お母さん」

僕の手を握ると、母は何かを言いたそうにしたのだが、言葉にすることはできなかった。

近所の人が呼んでくれたのか、けたたましく救急車がやってきて、僕たちは病院に運ばれた。


病院の待合室で、僕はなすすべもなく、椅子に腰かけていた。

女性の看護師さんがやってきて、僕の横に腰を下ろした。

「ぼうや、お家はどこ?お父さんに連絡できる?」

「…お父さんはいません。死んだんです。交通事故で…」

「えっ、…じゃあ、他に誰か連絡の取れる人、いる?」

僕が黙って首を振ったので、看護師さんも黙り込んでしまった。


僕は思い切って尋ねた。

「お母さん、だいじょうぶですか。会えないんでか?」

看護師さんは、母が脳出血となり、いま難しい手術をしているのだと、少年の僕にも分かるように説明してくれた。

「お母さんも死んじゃうんですか?」

看護師さんは大きく何度も首を振った。

「そんなことない、そんなことないように手術をしているのよ」

けれど、手術はなかなか終わらなかった。


待合室で、僕は何時間も何時間も一人で待った。

どこか遠くで楽しそうな音楽が聞こえてきて、今日が何の日だったかを思い出した。

本当なら今頃は賑やかな音楽を聞きながら、母が作ったごちそうを食べていたのに。

そう思うと、おかしいやら悲しいやらで、泣きそうになった。

世界中で母と僕だけが不幸なのかもしれない。

そうならないように、そう思わないように涙をこらえた。


夜になると、待合室の窓の外に遠く、前に母と行ったことのある教会の灯りが見えたような気がして、僕は思わず目を凝らした。

あの日、教会で母はひざまづいて長い間祈っていた。

「何を祈っていたの?」

と聞かなくても、母が僕のために祈ってくれていたことを知っている。

母は僕のために働き、僕のために笑い、僕のために怒って、僕のために泣いてくれた人だったから。

そんな母に、僕はなにもしてあげていなかった。

それどころか、わがままばかりだったことを悔やんだ。

母を失いたくなかった。


だから僕は自分でも驚くほどまっすぐな気持ちになって、あんなことを言ったのだろう。

そして10歳の僕にできることは、それしかなかったのだ。


「サンタさん、サンタさん、いるんでしょう。

サンタさんは僕がいい子にしていたら、プレゼントをくれるんですよね。

そうでしょう?

さんたさん、僕、プレゼントいりません。

もう一生、何もプレゼントはいりません。

そのかわり、お母さんを助けてください。

僕、いい子になります。

一生懸命がんばって、いい子になります。

もっと、もっといい子になります。

だから、お母さんを助けてください。

おねがいします。おねがいします。

お母さんを助けてあげてください。」



あのイブの日から、十数年の月日がたった。

僕はいつしか大人になって就職し、同じ職場の笑顔のステキな女性と結婚した。

そして今年、僕らの初めての子どもが生まれた。

母は「赤ん坊のころのお前にそっくりだよ」とよく笑う。


僕が一生プレゼントはいらないと言ったから、サンタさんからプレゼントをもらうことはもうなかった。


でも、僕はあのクリスマスの日以来、気づいた。

そして、心から感謝した。

クリスマスどころか、僕は毎日プレゼントをもらっていたのだ。


愛する人たちの大切な命、そしてこの僕の命。

そう、ずっと毎日、かけがえのない贈り物をもらい続けてきたのだ。



出典:『「人生がうまくいく」48の物語』  著:中井俊巳 成美文庫

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