渟熨斗姫命の謎①(金神社) 

前回は五十瓊敷入彦命の謎でしたが、

今回はその妻、渟熨斗姫命(ぬのしひめ)の謎と、

渟熨斗姫命が主祭神となっている、岐阜の金神社に

ついてお話します。


今回ももちろん私の勝手な妄想ですので、

文句とかはご遠慮ください。


■渟熨斗姫命について

まずは渟熨斗姫命についての情報をまとめてみます。

【Wikipediaからの抜粋】

景行天皇との八坂入媛命との間に産まれた第6皇女で
五十瓊敷入彦命の妃、市隼雄命は両命の間の子とされる。
八坂入媛命は景行天皇の叔父にあたる八坂入彦命(美濃)の
娘です。
景行天皇からみて五十瓊敷入彦命は同母兄となりますので、
兄に第6皇女を嫁がせていることから、財力と武力を
着実に増やしていった五十瓊敷入彦命への警戒感が伺えます。

金神社の伝承では
渟熨斗姫命の夫、五十瓊敷入彦命が美濃国にて滅ぼされたことを
聞いた渟熨斗姫命が、都を発ち美濃国を訪れ、夫の御霊を
慰めつつ生涯を終えたとされる。
また
その間は地域住民を母の如く労り、私財を使い町を開拓し、
産業・農業の発展に寄与した。
現在でも金神社に於いて、夫である五十瓊敷入彦命、
子である市隼雄命(いちはやおのみこと)と共に祭神として
祀られている。

とあります。

金神社 鳥居

■五十瓊敷入彦命と渟熨斗姫命の財力

金神社神社のご神徳は「金運、財運」です。

夫である五十瓊敷入彦命は景行天皇の命令で奥州へ行き、

「金石(こがねいし)」という貴重な石を山のように

美濃の叔父のところまで運んできたところ、殺されました。

と前回推察しました。

首謀者は、八坂入彦命・景行天皇・武内宿禰か物部氏と

思っていますが、当然五十瓊敷入彦命への警戒感と

財力が目当てだったのでしょう。

もちろん妻である渟熨斗姫命も

「私財を使い町を開拓し」とあるので、私財を町の開拓のために

「搾取されつづけた」と見るのが自然でしょう。

なぜなら、景行天皇の第6皇女が兄に嫁いでいるのですから、

年齢も若かったはずだし、皇女が町の造営に率先して関わると

考える方が無理があります。


岐阜市

■渟熨斗姫命を祀ったのは物部氏

【金神社のWikipediaから抜粋】
私財を投じて町の発展に寄与したことから、後に
「財をもたらす神」として祀られるようになったといい、
そこから「金大神」と呼ばれて信仰されるようになったと伝える。
また、神社としての設備は成務天皇5年、朝廷より国造として
この地に派遣された物部臣賀夫良命(もののべのおみかぶらのみこと)
が国府をこの地に定め、
金大神を篤く崇敬して創建されたと伝えられる。

つまり、「金大神」と呼ばれるようになったのは、後のことで

神社としての整備は成務天皇の時代です。

景行天皇の後が成務天皇なので、渟熨斗姫命は生涯をこの地で

終えたと推測できます。

ちなみにですが、

五十瓊敷入彦命・・景行天皇の時代
         武内宿禰が祀る(伊奈波神社社伝)

市隼雄命・・・・・景行天皇の時代
         祀った人は不明

ですから、子供である市隼雄命も五十瓊敷入彦命と

同じくして殺されたのだと思った理由です。


■財産を搾取されつづけた夫婦

伊奈波神社も金神社も神徳は「金運」です。 

五十瓊敷入彦命が築いてきた武力や財産は全て

景行天皇と八坂入彦命や物部氏に奪われた。

そして奥州から運んできた莫大な「金石」も

美濃で奪われ、子供の市隼雄命も殺された。

と推察しています。


五十瓊敷入彦命の妻である渟熨斗姫命は、

都を追われ、美濃の国で「夫の御霊を慰め」る役割を

押し付けられ、(つまり怨霊として祟られないように妻に

祀らせた)ほぼ幽閉生活だったのでしょう。

そして、「美濃で面倒を見る」という名目で財産は搾取され

町の発展や整備に使われた、と考えたわけです。

町の人は哀れに思い(ただし反面、お金を使って発展したので)

後に「金大神(こがねのおおかみ)」としたのでしょう。


後に・・・・ですけれど・・・・・。


       

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