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数歩先へ行くために(4)

レンヌ、フランスのホテルにて

これまで自身の創作のテーマとしてきた「”あわい〜根源的場所性」について再度、考えを巡らせている。
なぜ、芸術家とは「何か」と「何か」の間というものの、真意を紐解きたいという衝動に駆り立てるのだろうか。

私の創作において、最も大きな影響を与えたのは2005年から2011年にかけて参加していた山海塾である。主宰の天児さんは今回の新作で初めて、自分が出演をせず、演出のみに徹する作品を創作している。その作品「Arc 薄明・薄暮」では、「昼と夜の間の時間、寄せては返す波のように巡るもの」と作品を表現している。私自身も陰翳礼讃から始まり、Fata Morganaそして、空気の風景という3つのシリーズを展開する中で、常に光と闇の間にあるものとは、根源的場所性という「あわい」とは一体どんなものなのかを模索してきた。そして、昨年、偶然にも同じ「薄暮」というタイトルをつけた小作品を発表するという偶然性、そして尊敬する天児さんと同じ言葉から成る何かを探していることに小さな喜びを感じずにはいられない。

もちろん、先にも述べたように、私自身の創作において、山海塾の影響は大きい。「重力との対話」「身体をからの器として捉え、そこへあらゆるものを入れることで動かされる」「パーソナリティーを排除することでヒューマニティーを表出させる」など幾つもの舞踊哲学が現在の創作に影響を与えている。

しかし、近年のダンサーとしての仕事において、VESSELの振付家ダミアン・ジャレとの出会いも忘れるわけにはいかない。彼も常に「すべての中間とは何か」を探っいるし、次回の新作で作曲を依頼しようと考えている武満徹作曲賞や芥川作曲賞を受賞した作曲家の坂田直樹さんもアプローチは異なるものの、「属性の異なる様々な要素を混在させてみること」でそこに新たに生まれるものを常に探っているとパリでお会いした時に話していた。

芸術家を虜にする、この意味不明な「間〜あいだ」というものの正体を空気の風景とは違うアプローチで改めて探る必要性がある。