私について
この記事の背景
ずいぶん久しぶりのnoteである。
新しい記事を書きたかったのだけれど、過去に書いて自分のwebsiteに載せていたものをnoteで少しずつ記事としてアップしていこうと思い立った。
というわけで、これからしばらく連載のような形で毎日記事をあげる。
テーマはタイトルの通り、私について。
私は本当のところは、平凡に普通に穏やかに人生を歩みたかったのだが、けっこう波瀾万丈な、彩り豊かなプロセスを歩んでしまった。
ゆえに、私という人間を他者に理解してもらおうとする際に、説明がとても難しい。
暇つぶしに読んでもらえたら嬉しい。
まずは、幼少期の話からスタートしよう。
私について
数奇な人生の中で得たものを還元していく
私がこれまで歩んできた道は凸凹で時にジェットコースターのように激しいものだった。
失敗だらけ、傷だらけ、自分のダークサイドとの直面、気がつけば何もかも失って、最後に残ったのは命だけ。
しかし、大切だと思っていたすべてのものを手放したとき、私の人生は奥底から輝き始めたのだった。
今は、私の得たものを還元していくことをライフワークにしている。
略歴
1982年 愛知県名古屋市生まれ
2000年 スペインとドイツに留学(現代美術・リベラルアーツ)
2006年 早稲田大学人間科学部卒業
2006年 外資系銀行入行(リテール・バックオフィス)
2007年 外資系保険会社に入社(マーケティング)
2010年 イギリスに留学(アートマネジメント)
2012年 個人事業主(Catinco.un)として起業
2016年 コーチングと出会い学びと実践開始
2019年 アート事業を縮小し、業務を人材育成・研修講師 ・コーチの仕事を拡大
2020年 株式会社THE COACH 参画
2022年 合同会社No Borders設立
2022年 ARUKUKI株式会社設立
喫茶店の看板娘
1982年、アヴァンギャルドな父と箱入り娘の母のもとに愛知県名古屋市で私は生まれた。両親が喫茶店を営んでいたこともあり、ものごころついた時から周りに沢山人がいた。
喫茶店の名はマスターシュ。
父のトレードマークであった口ひげから付けられた。店はアメリカ帰りの父と古風な母、両親のセンスが響き合う雰囲気のある店だった。話好きな父と気の利く母の切り盛りする店はいつも賑やかであったと記憶している。
両親が喫茶店を始めたのは、私が生まれた直後。
さかのぼること、両親の新婚旅行。そこで母が「いつか喫茶店をやってみたい」と呟いたのを父は聞き逃さなかった。父は愛する母のために、全力で喫茶店立ち上げの準備をし、母の夢を叶えた。
私の父はかなり変わった人で、アメリカでの生活が長かった影響もあるのか、日本文化に全くハマらない人だった。会社に入って定収入を得ることが安泰に繋がるという発想を持ち合わせておらず、お金は自ら生み出すものであり、自由自在に増やせるのだという世界観で生きていた。
父の自由奔放な破天荒っぷりは、その後、家族の波乱を呼ぶことになる。母は保守的で世間体を気にするタイプだったので、2つの極に割れた価値観の対立は後年すさまじいものとなる。
私の破天荒なところは、父に似ているとよく言われる。(父の方が100倍ひどいと思うけれど)
喫茶店時代の私の記憶は一人遊びをしているものが多い。一人静かに絵を描いて過ごすことが好きだった。人見知りが激しく、お客さんたちに「可愛い!」と構ってもらうのは苦手だった。とはいえ、両親以外の大人たちに可愛がってもらえたことは、私にとって大切な思い出だ。
優等生
私が3歳になるころ、弟が生まれたのを機に両親は喫茶店をやめた。
父は定職につき、母は実家の会社に入った。この頃から、教育熱心な母は、幼い私に読み書きや英語の学習をさせ始めた。近所に住んでいた従兄弟も同じように勉強をしていたので、私も一生懸命頑張った。
小学校に上がる頃には、私の学力はかなり進んでいた。小学生時代の私は、絵、作文や習字などを提出すれば賞を取るし、成績も行儀も良く、文句のつけようのない良い子だったように思う。
一方でたまに「こういう生き方をやめたい!」という衝動が湧くこともあった。
良い子でいることにウンザリした時は、こっそりと鉛筆を折ったり、仮病を使い塾を休んだりしていた。ネガティブな感情を表に出すことは、良くないことだと教育されていた。私はイライラする感情のやり場のなさに戸惑うことも少なくなかった。
我が家は商売人家系の影響か、血縁の関係性以外に、組織内における上司部下の関係性が一族の中に根付いていた。
祖父母は私の「おじいちゃん・おばあちゃん」であると同時に「母の雇用主」であもあった。祖父母から見ると私は「孫」であると同時に「後継者ではない女の子」であり「社員の娘」でもあった。
この幾重にも絡み合った役割は、今後の人生において私を悩ませることになる。
家族と組織という関係性は複雑であったものの、私は組織が好きだった。学校帰りに祖父の会社に立ち寄っては事務所内の人間模様を観察していた。学校では教えてくれない、人間関係の不思議さはこの観察から学んだ。この頃から、リーダーの影響力に注目を寄せており、役職者の在り方でチームの動きが変化することに不思議さを感じていた。
経営者である祖父は畑を持っており、その手伝いをする傍ら、祖父から畑と経営の共通点や人の闇の話を聞くのが好きだった。
また、祖父の会社では知的障害の方たちを雇用しており、彼らと家族のように関わりながら組織づくりをしていたことも、私に大きな影響を与えた。今、組織開発の仕事をする上でこの視点はとても役立っている。
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